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11.アユイ

 うるんだマトリの瞳に、アユイは唾を呑み込んだ。 「いま……なんて言ったんだ」  体の芯が動揺しているせいで、うろたえた声になったアユイに、マトリは熱っぽく艶やかな笑みで答えた。 「僕は……アユイとツガイになりたいんだ」 (まさか!)  頭の中で叫んだアユイは、手の中に包んでいるマトリの欲の熱さに胸を焦がした。これは、自分を想っている証拠だとマトリは言いたいのかと、アユイは呼気を荒くする。 「ずっと、アユイとツガイになりたいと思っていたんだ……だから、アユイ……僕のぜんぶを、アユイのものにして」  マトリのせつない声の響きに、ウソは感じられなかった。アユイは股間を熱くたぎらせながら、情動に呑まれないよう目を閉じて深い呼吸をした。 「アユイ」 「マトリ……それは、本当なんだな」  念を押したアユイに、マトリはきっぱりとうなずいた。思いがけないよろこびに打たれて、アユイはマトリの唇に噛みついた。 「んっ、ふ……んぅうっ、う、ふ、うう、んっ」  くぐもったマトリの声もすべて食べつくすほど、愛しい人の唇をむさぼったアユイは性急に服を脱いだ。広い肩やたくましい胸郭から腰にかけてのなめらかなラインに、マトリの視線が注がれる。その目が腰で止まり、キラキラとかがやいた。ほうっと息の塊を吐き出したマトリの、途方もない色気にアユイはクラクラする。いますぐにマトリを貫き、すべてを手に入れてしまいたい。 (だめだ)  そんな乱暴なことはできないと、アユイは暴れたがる性欲を叱りつけた。濡れたマトリの目じりに唇を落とし、首筋にキスをする。 「あっ」  ちいさな声に鼓膜が震えた。アユイの頭に狼の耳が現れ、尻にしっぽが揺れる。本能を示したアユイに、マトリがしあわせそうにほほえんだ。唇をついばんだアユイは、桃色に染まった胸に顔を落とした。カブフリの名残を上書きすると、マトリが「いたっ」と声を出す。それでもアユイはやめなかった。マトリがすべてをくれるというなら、ほかのオスの痕跡を残しておくわけにはいかない。 「ぁ、あ……アユイ」  可憐な声に狼の耳を揺らして、アユイはマトリの胸の突起に舌を伸ばした。チロチロと舌先でくすぐり、軽く歯の間で転がすとマトリが細い悲鳴を漏らす。脚を開いて腰を浮かせるマトリの股間は、しとどに濡れて脈打っていた。その奥にアユイは手を伸ばす。オメガだけが、尻の谷の奥が濡れる。そこに指をあてると、蜜があふれていた。 「マトリ」  感激に胸を震わせ、アユイはマトリを抱きしめた。勇む股間がちいさな孔に入りたいと天を向いている。 「アユイ……僕を、アユイのツガイにして……いますぐに!」  力いっぱい、マトリはアユイにしがみついた。うなずいたアユイはマトリにキスをし、うつぶせに寝かせた。なにも言わなくても、マトリは肩を寝台につけて尻だけを高くあげた。ふさふさの白銀のしっぽが持ち上がり、アユイを誘う谷を見せる。  小ぶりな尻を両手で掴んで、アユイは顔を近づけた。マトリのそこは、めまいがするほどかぐわしく甘い匂いがする。舌を伸ばして蜜を舐めると、強い酒を呑んだような恍惚とした気分になった。 「ぁ、ああ……は、ぁ……あっ、ふ、んううっ」  あふれる蜜に負けないほど、甘ったるいマトリの悲鳴に誘われて、アユイは狭い入り口に舌をねじ込み、たっぷりと濡れているそこをあやした。 「は、はふっ、ん、ぅうっ、あ、ああ……アユイ、あ、ああっ」  興奮しきってるアユイの股間に先走りがにじむ。いますぐに舌ではなく、己を突き入れたい。けれど舌でこれほど狭いと感じるのだから、ほぐさなければ苦しめる。  欲望に言い聞かせて、アユイは舌を抜いて指を入れた。一本だけなら、すんなりと入った。ゆるゆると抜き差しをすれば、それに合わせてマトリの喉から声が出る。 (苦しくはなさそうだ)  アユイは指を増やした。 「うっ、は、ぁあ……っ、あ」 「きついか?」 「へ、いき……っ、アユイ」  伸ばされたマトリの手を、アユイは握った。細くしなやかなマトリの指に、アユイの節くれだった指が絡まる。アユイは緊張しているマトリの内壁を、傷つけないようやさしく撫でた。抜き差しされる指と秘孔の口の間から、蜜があふれて肌を流れる。マトリの蜜嚢を通って陰茎にまで垂れた蜜は、幹を伝って先端に到達し、先走りと交じって寝台にしたたり落ちる。アユイは揺れるマトリの蜜嚢を口に含んだ。 「はぁうっ、あ、んは、ぁ、ああ」  アユイの指を、マトリの指が強く握った。内壁が指にキュウッとすがりつく。その感覚が、アユイの意識を刺激して股間をさらに昂らせた。 (もう、限界だ)  指を抜いて、アユイは立ち上がった。マトリの尻の肉を左右に開き、谷に欲熱を擦りつける。蜜で濡れたそこは、ぬるぬるとして気持ちがよかった。このまま挿入せずに、互いのたかぶりを放って終わらせようかと、アユイは考えた。 (だれも、俺とマトリがツガイになるなんて予想もしていない)  マトリはカブフリとツガイになるものだと、だれもが思っている。そうなることが自然だと、アユイすらも思っていた。しかしマトリはアユイを選んだ。アユイもマトリがほしい。全身全霊を賭けて手に入れたいほど、愛おしい。だが、ここでマトリを貫いて、契りを交わせばどうなるか。だれも予想していなかった、望んでいなかった結果となる。  当人同士の気持ちが優先されるとはいえ、釈然としないものはすくなくないだろう。群れ社会の中では、過ごしにくくなる。だからといって、ふたりでどこかへ行くというのも、なにか違う気がする。 (俺が、カブフリと対抗できるほどの実力があると、皆に認めさせればいい)  そうなってから、きちんとツガイになればいいのではないか。そう考えたアユイは、尻の谷に陰茎を擦りつけ、マトリの肉欲を手淫した。 「っ、は、ぁ……ああっ、あ、アユイ、はやく……アユイ」  欲しがるマトリの声に抗うのは、かなりの精神力が必要だった。パクパクと動くマトリの秘孔がアユイの陰茎の横腹をくすぐり誘う。 「くっ」  陰茎の傘が秘孔の口をかすめるたびに、アユイは突き入れたい情動にかられた。 「んぁっ、あ、アユイ……っ、アユイ……っ!」  全身で叫ぶマトリの陰茎が、アユイの手の中ではじけた。手のひらに伝わった衝撃と、締まった臀部に圧迫されて、マトリも絶頂を迎える。 「っう」  放たれたアユイの精が、マトリのしっぽの根元を濡らした。 「アユイ、どうして」  荒い息でかなしげにマトリが言う。アユイはマトリを抱き起こし、あぐらをかいて膝に乗せた。  目じりを赤くしたマトリが、キュッと眉をつりあげてアユイをにらむ。眉間のシワにキスをして、アユイは首を振った。 「僕とは、ツガイになれないの?」  上がっていたマトリの眉が下がった。 「そうじゃない」 「じゃあ、どうして」 「周囲が納得をしない」 「きちんと言えば、大丈夫だよ」  アユイはまた、首を振った。マトリの目に涙がにじむ。しかしそれは、こぼれ落ちなかった。マトリは目を伏せて深呼吸をし、気持ちをなだめた。そんなしぐさがいじらしいと、アユイは想いを募らせる。 「だれにも文句を言わせないくらいのことを、してみせる。すぐにでも」 「どういうこと?」 「カブフリに引けを取らないと、知らしめる。そうすれば俺がマトリをツガイにしても、だれも文句を言わないはずだ」  ちょっと考えてから、マトリが口を開く。 「そんな簡単にいくものなのかな。僕はアユイがすごいことを、昔から知っているけど。でも、気がついていない子のほうがおおかったし、いまだってそれを知っている人って、すくないんじゃないかな」 「だからこそ、それだけのことをするんだ」  アユイの頭の中には、黒々とかがやくおおきな姿があった。勢いよく潮を吹き、悠々と大海原をいく威風堂々とした姿。 「クジラをマトリに贈ると約束する」 「クジラ?」  目をまるくしたマトリに、アユイはそうだと顎を引いて不敵に笑った。 「クジラをしとめれば、だれもが俺を認める。あれほど実力を示すのに適した獲物はいない」 「だけど、とてつもなくおおきくて、ひとりではしとめられないんだよね」  不安そうなマトリに、大丈夫だとアユイは額を重ねた。 「どちらにせよ、クジラ漁の継承はしなければならないんだ。それをする。時期的にも、ちょうどいい。これは、海が俺に与えてくれた機会なのかもしれないな」 「海が? 機会って」  どういうこと? と表情で問うマトリの鼻先に、アユイはキスをした。 「マトリの発情の時期と、クジラの来訪の時期が重なっている。覚悟を決めて、気持ちを貫けと言われている気になったということだ」  不安を残したまま、マトリはほほえんだ。 「ぜったいに、危ないことにはならないよね」 「かならずクジラをしとめて帰る。そして堂々と、皆の前でマトリに求愛をすると約束する。そのときに、きちんと繋がろう」  静かな決意を込めたアユイのまなざしに、はにかみながらマトリはうなずいた。  そのままふたりはしばらく眠り、目覚めると体を洗ってマトリは狼の姿になって集落に帰った。  アユイは長の小屋へ、クジラ漁をしたいと告げに出た。 「クジラ、か」  片手を上げた長は、前回のクジラ漁で一番銛をつとめたオスを呼べと息子に命じた。 「クジラ漁の技の継承は、しなければならないとは考えていた。それを言い出されるとはな」  ニヤリとした長は、老齢ながらも全身から野性的な凄みを放った。いまでも現役でクジラに挑めると言わんばかりの迫力に、アユイも剣呑な笑みを返す。 「しかし、なぜ急にそれを言い出した。しかも、明日だと?」 「早急にクジラをしとめて、俺の力を示したいんです」 「なんのために」 「ツガイになってほしい相手がいます」  長が笑みを消した。アユイも表情を引き締める。 「カブフリと対抗をしたい、と?」 「わかりますか」 「ほかに、理由が思いつかん」  やれやれと息を抜いた長とアユイは、無言で見つめあった。しばらくして長の息子が壮年のオスを連れて戻ってきた。 「明日、クジラを狩る」 「クジラですか」  壮年のオスはアユイに流し目をくれた。アユイはわずかに頭を下げる。 「アユイが一番銛だ。指示はおまえにまかせる。クジラに挑めそうなものに声をかけておけ。明日、クジラに挑む」 「これはまた、急ですね。なにかあったんですか」  アユイの隣に、壮年の男が座った。 「カブフリに負けてはいられない、のだと」  長がクックッと喉を震わせた。 「そういうことですので、よろしくお願いします」  壮年のオスに体を向けたアユイは、深々と頭を下げた。壮年のオスはよくわからないと顔中で示しながら頭を掻き、わかったと言って立ち上がった。 「明日なら、いそいで声をかけて準備をしなきゃならん。一番銛はアユイだと、触れまわっておく。クジラは手ごわいぞ。おまえが急所を打てなければ、あとはいくら銛を打ち当てても、ほぼ確実に逃げられる。それほど生命力が強く、難しい相手だ」 「だからこそ、いいんですよ。でなければ、カブフリに引けを取らないと示せないでしょう」 「おまえ……もしかして、マトリとツガイになるつもりか」  不敵な笑みで、アユイは答えた。深いため息をついた壮年のオスは、アユイの肩に手を乗せて長に頭を下げると去っていった。 「ありがとうございます」 「礼を言われることじゃない」  長とアユイは、悪童めいた笑みを交わした。 「クジラのここを、確実に打て」  トン、と長が自分の脳天をつつく。 「かならず」  短く答えたアユイは礼をして、長の前から辞した。 「明日、クジラを獲るんだって?」  アユイが小屋の外に出れば、同年代のオスが頬を紅潮させて走り寄ってきた。 「ああ、そうだ。一番銛は、俺がやる」 「主舟には、だれが乗るんだろう」 「おまえも声をかけられたんだろう? 聞いてないのか」  なにも、と首を振られた。 「ただ、クジラ漁に出るから準備をしておけと言われただけだよ。銛を念入りに手入れして、太い縄をつけておけって」  そうかとアユイはうなずいた。 「俺も帰って準備をする。明日がたのしみだ」 「俺もだ。クジラに挑むのは、はじめてだからな。でも、どうして急に……なにも明日じゃなくても、準備期間を取ってから、挑めばいいのにな」 「クジラが狙い通りに現れるとは、限らないからだろう」  じゃあなと別れたアユイは、自分の言葉を反芻する。 (明日、かならずクジラが現れるとは限らない)  しかし長はクジラ漁を認めた。現れる可能性が低ければ、いまはまだ無理だと言われるはず。つまり、可能性は高いということだと、アユイは気持ちを奮い立たせた。 (マトリ)  小屋の扉に手をかけたアユイは、森の集落の方向に首をめぐらせ、胸中で呼びかけた。 「かならず、しとめる」  つぶやいたアユイは手持ちの銛のすべてを丹念に磨き、荒縄の具合を確かめて明日に備えた。

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