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15.カブフリ

 すべては自分の勘違い。そう皆に正直に伝えたのに、なぜか「カブフリはアユイを気遣い、マトリのことを守るために求愛を続けていた」と解釈された。どうしてそんな話に変換されるのか、カブフリには理解ができない。 (単に、俺が振られただけだ)  マトリはすこしもカブフリに気を向けてはいなかった。はじめからアユイを見ていた。それに気づかず、カブフリは自分が想われているものと勘違いをして、マトリに迫っていた。 (関係を崩したくないから、という予想はあたっていたが)  アユイの気持ちがわからないマトリは、想いを伝えられなかった。アユイもカブフリとおなじく、マトリの気持ちを誤解していた。 (俺は自分の気持ちに視界を遮られ、アユイはマトリへの気遣いが過ぎて見誤った)  それが自分とアユイの決定的な違いだと、カブフリは反省する。そんなつもりはなかったが、知らず知らずのうちに傲慢になりかけていたのではないか。 (いや。俺はすでに、傲慢になっていたんじゃないか)  だから想う相手の気持ちが見えていなかった。周囲からもてはやされて、調子に乗っていたのだ。 (なにが、リーダーだ)  公平に物事を見渡せてこそ、群れを率いていける。狩りの腕がいくらよくても、集落の長にふさわしいとは言えない。子どもの遊びのリーダーが、そのまま大人社会のリーダーになれるわけではない。 (俺はまだまだ、未熟だ)  今回のクジラ漁を成功させたことで、アユイへの評価はおおきく変わった。彼の実力を認める声が、カブフリの耳に届きはじめた。クジラはおおきく、そうそう狩る獲物ではない。一頭をしとめられれば、充分すぎるほどの肉や脂が手に入る。今回も大量の肉が手に入った。クジラが回遊してくるシーズン中に、またクジラ漁をするとしたら、あと一回で次のシーズンまでの必要量はまかなえる。干し肉を作成し、調理や灯りのための脂を保管して冬の備えにするだけの量がすべての集落に分配される。  クジラとは、それほどの獲物だった。  またアユイがクジラ漁に出るかどうかはわからない。クジラ漁はひとりではおこなえない。ほかのものたちの協力がいる。しかしこの勢いに乗って、もう一頭と声が上がるはずだとカブフリは踏んでいた。ちかいうちに、アユイはまたクジラ漁に出る。そして見事にクジラを捕らえ、評価が上がる。 (アユイの評価は上がるんじゃない。本来の、あいつの実力に見合った評価がされるだけだ)  カブフリはニヤリとした。子どものころから胸にわだかまっていたものが晴れた。マトリとツガイに、という願いはかなわなかったが、アユイが自分と匹敵する実力者だと周囲に認めさせたい、という願望は満たされる。 (片方だけでも、よしとするか)  想いは簡単に吹っ切れるものではない。だが、マトリはもうアユイのものだ。ツガイになったものを横取りする気はないし、アユイが相手ならマトリをまかせてもいいとも考えている。 (まかせてもいい……か。そうじゃないだろう)  はじめから、アユイはマトリの心を手に入れていた。カブフリがまかせると感じていい理由はどこにもない。そこが自分の傲慢さの表れだと、カブフリは重い息を吐いた。  あの日から、自分に対する周囲の評価は変わっていない。ただ、ツガイの相手が未定となったので、自分の娘はどうだとか遠まわしな誘いをかけられるようになった。  いますぐに別のだれかをツガイに決める気にはなれない。カブフリは軽い笑いでごまかして、それらをさりげなく断っていた。 「さあ、て」  そろそろ狩りに出る時間だ。腰を上げたカブフリは小屋を出て、集落の中央広場を目指した。いつもカブフリはだれよりも先に立ち、狩りのメンバーが集まるのを待って出発する。だから中央広場はいつも無人だった。それなのに、今日はそこに人がいる。 (あれは……たしか)  カブフリたちとおなじ年に成人の儀式を受けて、オメガと判明したミヨウだ。ふわふわと小鳥の羽を思わせる髪に、白い肌。ぷくりとまるい頬は赤く、手足は細くて背が低い。そのせいで、年齢よりも幼く見えてしまうミヨウは、子どものころから容姿があまり変わらない。マトリは子どものころから、うつくしかった。ミヨウはたよりなげな雰囲気をまとった、かわいらしい子どもだった。いまでも、庇護欲をくすぐる容姿をしている。  当時の姿を思い出しながら、カブフリは話しかけた。 「どうしたんだ。こんなにはやく」  狩りはいつも早朝からはじまる。カブフリたちが狩りに出かけてから、村は活動をはじめる。早朝の狩りの獲物が朝食となり、カブフリたちは休憩をしてから次の狩りに出かける。狩りに出ないものたちは、昼前に木の実や山菜を取りに山へ入る。早朝に摘まなければならないものもあったが、その場合は前日に狩りに出るものが収穫を頼まれる。 (なにか、収穫してほしいものがあるのか)  ミヨウの身長は、傍に立ったカブフリの胸の高さまでしかなかった。ミヨウは胸の前で指を組み、モジモジしながらカブフリを見上げた。 「違います」  鈴を転がすような声がした。カブフリはミヨウとあまり会話をしたことがない。声まで幼いままなのかと、少年を思わせる声音にカブフリはすこしおどろいた。これほど未成熟なまま成人をして、しかも身体能力の劣るオメガである彼が、にわかに心配になる。 (これで発情期を迎えたら、ひとたまりもないんじゃないか)  本人にその気がなくとも相手の発情を誘発し、ろくな抵抗もできずに襲われてしまうのではとカブフリは眉をひそめた。 「あっ、ご、ごめんなさい。僕なんかが、声をかけてしまって」 「なに? ああ、いや。そうか……そうじゃない。声をかけられて不快になったわけじゃないんだ」  ミヨウのことが心配になったと同時に、発情の匂いに抗えずマトリを襲った自分を思い出してしまっただけだ。そう言うわけにもいかず、カブフリは首に手を当てた。困り切った顔のカブフリに、ミヨウはますます萎縮する。いつも尊崇のまなざしを向けられているカブフリにとって、はじめて対面する反応だった。 「ええと、ミヨウ」  名を呼べば、パッとミヨウの表情があかるくなった。 「名前」 「ん? ああ、間違ってはいないだろう」 「はい。いえ、あの……覚えていてくれているとは、思っていなくて」  目じりをほんのりと赤くしたミヨウに、カブフリの表情がなごむ。 「子どものころから、遊びの輪の外でながめていただろう。いつも」  コクリとミヨウはうなずいた。 「だから、僕のことなんて覚えてくれていないだろうなって」 「なぜだ」 「いっしょに遊んだわけじゃないから、です」 「敬語じゃなくていい。それに、まったく遊ばなかったわけでもないだろう。たまには参加していた」 「それは……はい。僕ができそうだなってものだけ。もっと、マトリみたいにできたらよかったんですけど」 「どうしてそう思う」 「……っ」  うつむいてなにか言ったミヨウの耳が赤い。声がちいさすぎて、カブフリには聞こえなかった。 「マトリはマトリだ。おまえとは違う」 「はい」 「おまえは、自分には無理だと判断したんだろう。自分の実力をきちんと把握できるのは、いいことだ」 「でも、挑戦をしていたら、できたこともあるんじゃないかって」  もしかして、とカブフリは口を開いた。 「狩りに連れて行ってほしいと言うんじゃないだろうな」 「いいえ。僕が行ったって、足手まといにしかなりませんから」  首を振ったミヨウに、そのとおりだと言うわけにもいかず、カブフリは問うた。 「それじゃあ、なんだ」 「あの……僕、手先は器用なんです。運動とかは、ぜんぜんですけど」 「そうだったな。俺たちが狩りの練習をしている間に、蔓で籠を編んだりしていたな」  えっとミヨウがまるい目をさらにまるくして、カブフリを見上げた。 「それに木の実なんかを入れて、持って帰っただろう。手で運ぶよりも、ずっとたくさん持ち帰れた」  カブフリが笑いかけると、ミヨウは照れながら視線を左右に揺らした。 「うれしいです。そんなふうに、僕をちゃんと覚えてくれていたなんて」 「うん?」 「ほかの皆は、その程度しか役に立たないとか、そう言ってました。でも、カブフリさんだけは、そうやって僕をほめてくれた」 「そうだったか? それなら、アユイやマトリもそうだったろう。あのふたりも、そういうことを認めるヤツだ」 「はい、それは……そうです。でも、はじめに気がついてくれるのは、カブフリさんでした。僕がついてきているって、いつもカブフリさんは気がついて、さりげなく待ってくれていましたよね?」 「そうだったか」  そうかもしれない。輪の中に入らず、すこし遅れてついてくるミヨウにカブフリは気がついていた。理由があって距離を取っているのだろうし、強いて声をかける必要はない。置いて行くという選択肢を思いつかなかったカブフリは、ミヨウがついてきているかを気にしながら、遊びの場へ向かう速度を決めていた。 (だが、待っていたという気はなかったな)  仲間なのだから、ともに来ようとしているのだから、という意識しかなかった。 「僕は、とてもうれしかったです。僕をちゃんと認識して、遊びや狩りの練習をしていなくても、仲間だって思ってくれているんだって感じて。勘違いかもしれないんですけど。それでも、僕はとてもうれしかったんです」 「そうか」  はい、とうなずいたミヨウの目がキラキラとかがやいている。意志の強さを思わせる光に、ミヨウの芯は見た目よりもずっとしっかりしているとカブフリに伝わった。 「僕は、僕の得意なことでがんばります。マトリみたいにきれいじゃないし、薬草の知識とかも豊富じゃないし、背も低くて力もないですけど。でも、手先はきっと、マトリよりもずっと器用です」  胸を張るミヨウに、そうかとカブフリは目じりをゆるめた。 (アユイの件が、ミヨウに勇気を与えたんだな)  あまり評価をされていなかったアユイが、にわかに実力を認められたことで、ミヨウも自分の得意分野に自信を持とうと考えたに違いない。そう思ったカブフリは、ミヨウの細くちいさな肩に、力強くおおきな手のひらを乗せた。 「自分の能力を正確に見極め、発揮するのはいいことだ。俺だって、泳ぎではアユイにはかなわない。俺はクジラをしとめられない。だが、山の獣についてはだれにも負けない気でいる。おまえも手先の器用さで、そうなればいい」 「はい。だから、あの……これ」  足元に置いていた麻袋から、ミヨウがベルトを取り出した。黒々とした革で作られたベルトには、ちいさなポーチがついている。ナイフを入れる鞘もついていた。 「クジラの革で作ったんです。ポーチは仕切りがあって、薬をわけて入れておけます」  受け取ったカブフリは、太いベルトの強度を確かめ、ナイフ用の鞘やポーチがスライドできることに感心し、ポーチのマチの広さとサイズにうなずいた。 「使いやすそうだ。これを、おまえが?」 「いつもベルトに布袋をかけているので、ベルトのほうが便利かなって思って。気に入ってもらえましたか?」 「ああ」 「よかった」  手のひらをあわせて満面に喜色を広げたミヨウに、カブフリも笑顔になった。足音が近づいてきて、ハッとしたミヨウが集まってくる狩りのメンバーの姿を見つけて顔をこわばらせる。 「どうした」 「いえ、あの……それ、使ってください! 僕、がんばりますから。カブフリさんのツガイになれるように、努力しますから」  それじゃあと頭を下げて、ミヨウは空になった麻袋を抱きしめて走り去った。 「どうしたんだよ、カブフリ。いまの、ミヨウだろ?」 「あれ? そのベルト、もしかしてミヨウが作ったのか」 「クジラの革で作ったそうだ」  へえ、と集まった狩りのメンバーたちから、感心の声が上がった。 「あいつ、昔から手先だけは器用だったもんな」 「ほかは、なんにもできないけどな」 「ひとつでも、得意なものがあれば充分だろう」  笑う彼等に、カブフリはピシャリと言った。 「これだけのものを、ほかのだれが作れるんだ」 「それは……まあ」 「俺たちは群れで生きている。それを忘れるな」 「悪かったよ」 「まあ、道具は俺たち、作れないしな」 「そういうことだ」  カブフリは腰に下げている小袋を外し、クジラの革のベルトをつけた。しっくりと腰になじんだそれを撫で、ポーチに小袋の中の薬を移し、鞘にナイフを収めた。あつらえたようにぴったりとくる出来栄えに、見ていたものたちがため息を漏らす。 「かっこいいな」 「使い勝手もよさそうだ」  これを機に、ミヨウに対する評価もアユイほどではなくとも、よくなっていくだろう。  カブフリはミヨウが走り去った方向に顔を向けた。  狩りに出るものたちが集まり、出立の時間になった。 「それじゃあ、行くか」  山へ向かうカブフリの耳に、去り際のミヨウの声が残っている。 ――僕、がんばりますから。カブフリさんのツガイになれるように、努力しますから。  カブフリの口許は、やさしい形にゆがんでいた。

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