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第289話
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次に【小見山 世那】としての意識を取り戻した時には、先程のように冷たい床に四つん這いにされているのではなく、両手足をきつく拘束された上で固い椅子に座らされていた。
先程と決定的に違うのは、梅后院継臣と加賀菊丸以外に他の人物がいることだ。
圧倒的に上の立場である継臣から命令されたとはいえ、嘉晴に屈辱的な行為を施した、あの軍人の男ではない。
『あの男は………っ____』
いきなり目の前に現れた男のことを詳しくは知らない。奇妙な体験をしている小見山にとっては名前すら分からない。
ただ、不思議なことに本能的に感じたのだ。
今、己(正確には違うが)と同様に無理やり椅子に座らされ、手足の自由を奪われて苦痛な表情を浮かべながら苦痛に満ちた表情を浮かべつつ呻いている男が、とても大切な存在なのだと___。
「篤嗣……っ___君は今頃、故郷で勉学に励んでいるはずじゃ……何故、ここに……」
またしても自らの意思に反して【鵜月嘉晴】として言葉を発すると、すぐさま優越感に支配され醜い笑みを浮かべてくる加賀菊丸によって体を竹の鞭で打たれ、耐え難い激しい痛みと、この上ない屈辱感に襲われてしまう。
「察しが悪い………これだから、今まで都会でぬくぬくと暮らしてきた余所者で世間知らずの坊っちゃんは___。この男は、わざわざご主――いや、継臣様直々に貴様の素性を調べあげて呼び出したのさ。さすが、盗人という汚らしい貴様のご友人なだけはある……実に下品極まりない男じゃないか」
『よくも汚らしい口で、ぺらぺらと……』
『鵜月嘉晴を盗人にでっち上げて自らの欲望を叶えた下衆のくせに……っ……』
そう叫びたいが、やはりそれは叶わない。
「菊丸___そう無下に言うな。この一等兵は、こうなることを承知の上で、わざわざ志願して此処に赴いたのだ。男同士の美しい友情――いや、もしかするとそれ以上といっていいほどの誉れ高き絆じゃないか。私はね、感動したのだよ。だからこそ、この目で君らの絆とやらを見届けたい……そう、最期までね」
にこり、と誰もが見惚れるほどの麗しい笑みを浮かべつつ継臣はつかつかと【鵜月嘉晴】の方へと歩みを進める。
そして、おもむろに拷問を受けたせいで傷だらけになってしまった彼の手に、ある物を握らせる。
ひんやりと冷たい、それを嘉晴は怪訝そうな表情を浮かべながら見つめることしかできない。
「こ……っ……これは、どういうものなのですか?」
「確かに、知らないのも無理はない。何せ、今この時のために我儘を言って異国から特注で取り寄せたものだからね。これは、いわゆる銃と呼ばれているものでね……君が人差し指を手前へ向けて押し込めば、一等兵のご友人の頭など軽く吹き飛ぶ___これは、そういうものさ」
その瞬間、ぞわっと全身に鳥肌が立つのを、観察することしかできない立場の小見山ですら感じることができた。
このままでは考えうる限り、鵜月にとっても篤嗣という名の一等兵にとっても最悪の結末になってしまう。
「で……っ___できません……そんな恐ろしいこと……っ………」
【鵜月嘉晴】はあまりの恐怖で体をがたがたと震わせながら、小見山が予想した通りの答えを出した。
しかしながら、本当の恐怖はここからなのだ――と【鵜月嘉晴】と小見山は思い知らされることになる。
彼が答えを出した直後、目線を石の床から真上に動かした時には既に篤嗣という一等兵の心臓の奥深くに何かが突き刺さっており、床には紅い染みが広がっていた。
【鵜月嘉晴】の目に映るのは、鞘から抜かれた日本刀を深く突き刺す構えをしたままの【加賀菊丸】の姿と、隣で一部始終を見つめて醜く口元を歪めて恍惚そうな表情を浮かべている【梅后院継臣】の姿___。
むろん、篤嗣という一等兵はぴくりとも動かない。その表情には苦悶の色が浮かんでいる。
直後に襲いかかってくるのは、猛烈な【怒り】【悲しみ】【悔しさ】という負の感情であり、部屋中に鵜月嘉晴の叫びが響き渡る。
しかし、それも一瞬のことだった。
篤嗣という一等兵だけではなく、己の胸にも深々と日本刀が突き刺さったせいだ。
叫び声を上げる暇などなく、物凄い速さで意識が遠ざかっていく。
やがて【小見山世那】の目の前に広がるのは真っ白な世界となり果てた。
そして、再び《現実世界》で桐柳日和(と思い込んでいた男)から垂らされた万年筆の黒いインクが、じわりじわりと体全体を覆っていき_____
_____青ざめた表情を浮かべつつ目を覚ました時には、図書館の椅子に座っているのだった。
「やっぱり、君は大丈夫だったね。流石、僕が見込んだ甲斐があったよ。何はともあれ、無事にこの時代に戻ってこれて良かった」
桐柳日和の体を乗っ取り、かつて【鵜月嘉晴】だった男は極めて穏やかな笑みを浮かべながら放心状態の小見山にそう言うのだった。
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