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第5話

 一度だけ、清正自身がトラブルに巻き込まれたことがあった。  クラスの女子に、清正と光は仲がよすぎると揶揄われた時だ。 『そのカバーいいな』  転校してきてすぐの頃、光が読んでいた本を見て清正が言った。  手漉きの和紙で作ったブックカバーを褒められたのだ。嬉しくなって、光は清正のために紙から漉いて同じようなカバーを作った。清正は喜んで、それを愛用していた。  そしてある時、色違いのお揃いのカバーに気付いた女子たちが二人を揶揄ったのだ。 『七原と此花って、仲いいよね』 『ちょっと良すぎるくらいにね』 『だけど、男同士でお揃いのブックカバーとかって、なんかキモイ。ひょっとして、デキてるの? どっちがどっちを……』 『ヘンなこと言うなよ!』  顔色を変えた清正が、最後の言葉を発した女子にきつい口調で言った。  急に言い返されたことがショックだったのか、顔を赤くした彼女はムキになって同じ言葉を繰り返した。 『やっぱりデキてる』 『黙れ』  清正の怒気が増すと、彼女は顔に赤黒いほど血を上らせた。そして震える手で清正の本を奪い、カバーを剥ぎ取って力いっぱい引き裂いた。 『何するんだよ!』 『カバーくらい、何よ!』 『人のものを……』 『そんなに怒って。図星だったんでしょ! 七原と此花って、デキて……』 『黙れ! それ以上、ヘンなこと言うな!』  清正が本気で怒鳴った。  光は驚いて、自分でも気づかないうちに目からぽろぽろ涙を零していた。 『光!』  泣くなよ、と清正は焦った様子で光を引き寄せた。裂けたブックカバーを奪い返して、光の顔を覗き込む。  女子は勝ち誇ったように言った。 『ほら、やっぱり! デキてるんだ! ホモなんだ! 気持ち悪い。変態!』  清正は彼女の前に無言で立ち、ブレザーの襟をつかんで手を上げかけた。さすがにまわりの男子が止めに入ったが、あたりは騒然となり、清正に殴られかけた女子が引きつった顔で泣き始めた。 『七原、やりすぎだ』 『何をそんなに怒ってるんだ』 『此花も、男のくせに泣くなよ』  口々に責められながら、怒りで頬を赤くした清正は光の腕を掴んで教室を出た。背中から半泣きの女子の声が追いかけてくる。 『ほら、やっぱりデキてる……っ。ホモ……! 変態……!』  今思えば相当な人権侵害、問題すぎる発言だ。  けれど、当時の中学生にそんな概念や知識はなく、まわりはただ騒ぐだけだった。本気で二人をどうこうと判じるわけではなく、ほとんど何もわからないまま、ただ騒いでいた。 『気にするなよ。ヘンなこと言う方がヘンなんだ』  誰も来ない屋上への階段で、怒った横顔のまま清正が言った。黙って見上げていると、ふいに視線を光に向けて早口で付け加えた。 『光のほうが綺麗で可愛いから、あいつら嫉妬してるんだ』 『嫉妬……?』  光の視線を避けるように、清正は横を向いてしまう。きつく口元を結んだ、硬質で端整な横顔。その顔を見上げて、光はぼんやりと思った。  嫉妬しているとしたら、それは彼女たちが清正を好きだからではないのか。  今ならもう少しはっきりわかる。いつも清正のそばにいる光に、彼女たちは嫉妬したのだ。清正に責められたから彼女は傷ついて、それを隠すためにブックカバーを破き暴言を吐いた。  無残な姿になったカバーを、清正が丁寧に広げた。素人の光が漉いたものだが、それでも和紙は普通の紙より丈夫だ。それを力任せに千切ったために、繊維が毛羽立ち、ひどくみすぼらしく見えた。  悲しくなってしょんぼりとうつむくと、大きな手が光の小さい頭を包むようにして撫でた。 『せっかく光が、俺のために紙から漉いて作ってくれたのに……』  顔を上げると黒い瞳がじっと見下ろしていて、胸が少し苦しくなった。清正の手のひらが頬に触れて、吸い寄せられるように目と目が合って動けなくなった。  ふいに、清正が囁くような声で言った。 『光が好きだ』 『え……?』  驚いて目を見開くと、慌てたように強い言葉が続いた。 『あ、違う……っ! ヘンな意味じゃないから……っ』 『ヘンな意味って……?』 『あ、あれだよ。なんか、あんなこと言われたけど、気にするなってこと。俺たちは、ずっと普通に一番の友だちだから……』  心臓がドキドキしてうまく声を出せずにいると、清正が繰り返した。 『ヘンな意味じゃないから……。何か言われても、ずっと友だちだからな』  安心しろと小さく付け足されて、光は黙って頷いた。「ヘンな意味」じゃなければ、清正はずっと光のそばにいてくれるのだと思った。  光は清正を失いたくなかった。清正を失えば、きっと生きられないと思った。  だから、「ヘンな意味」のことは忘れて、自分の中に芽生えたよくわからない気持ちにも名前は付けなかった。

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