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「テメェ!!!!」  耳を劈くような怒声のあと、隼也(しゅんや)の興味は完全に陸斗(りくと)から逸れたらしい。目線も、ナイフの切っ先も、なにもかも、もはや陸斗に向けられてはいない。突然の乱入者である無邪気な声の持ち主こと、柚陽(ゆずひ)に向けられている。  柚陽の声はいつも通り、明らかな苛立ちこそ含んでいたけれど、「だいたいいつも通り」と言えるだけの物だった。でも、表情は違う。  常に可愛らしく微笑んで、その童顔を存分に生かしている柚陽の面影は、そこにない。  大きな目には怒りが湛えられて、隼也を、さも「ゴミ」「生理的に受け付けない汚物」でも見るかのように見下している。それを向けられているのは自分ではないというのに、ぞっとさせられるものさえあった。  だからだろうか。ナニカは切れる寸前で辛うじて持ちこたえた様で、逆に陸斗の頭は、すっと冷却されていく。ああ、でもこんな柚陽の顔見た事あったっすねぇ。記憶に新しい。隼也と向かい合った時の柚陽が、こうだった。 「テメェにだけは! テメェにだけは言われたくねーよ!!」  ぐっと握り込んだナイフを、また、隼也が振り回す。段々さっきの血も乾いてきたのか、飛沫が散らないのはせめてもの救いだろうか。それにしても人の家の前で刃傷事件はカンベンっすよ。ここは海里(かいり)の家、海里を待つための家でもあるんだから尚更。  けれど陸斗のそんな心情なんて隼也はお構いなしだろうし、柚陽は分かっているのかいないのか、一切の動揺もせずに相変わらず隼也を見下してる。ご丁寧に「やだやだ」なんて言いながら肩を竦めて。 「お前は本当に適当なの。紗夏(さな)のことになるとうるさいくせに、適当っていうか、無責任なんだよねぇ。お前みたいなの、ほんと嫌い」 「それこそお前に言われたくねぇよ。月藤(つきとう)を利用するだけ利用しやがって」 「そうだねぇ。紗夏を利用したっていうの、否定はしないよ。オレは紗夏を代用品にした。でもねー、オレが紗夏をあそこまでしたからには、少しだけ、ほんの少しだけ愛はあったかもしれないの。お前は、ほんと、中途半端っていうか、いい加減なんだよねぇ」  こんな時に危機感がないっすねぇ、我ながら。自分で自分に呆れつつ、柚陽の言葉にどこか陸斗は安堵した。ああ、もしかしたら紗夏には、やっぱり、少しでも希望はあったんだ、って。  とは言っても、安心しきっているワケにはいかない。まだ柚陽には注意しないといけないし、隼也もなにをするか分からない。それにこの場だって収めないと。家の前で事件を起こされるのは、どうしたって避けたい。  そんな陸斗の内心を、柚陽は悟ったのか。見慣れた、無邪気な笑顔を1つ。えへへー、なんて笑ってみせて。 「だいじょーぶだよ、りっくん」  無邪気に、明るく言った。「何言ってんだよ」なんて不機嫌そうに吐き捨てる隼也を、僅かにも気にせず。

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