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act.9極彩カメリア<93>
「爽くんも軽音部に入るの?」
忍や櫻、そして幸樹までもがいつのまにか彼ら双子を下の名で呼ぶようになったから、奈央も自然と苗字で呼ぶことをやめた。
部室での用事を済ませて寮へと向かう道すがら、奈央はまだ難しい顔をし続ける爽に声を掛けた。彼の持つ傘は未里の折り畳み傘よりもサイズが大きいうえに、爽が自らの左肩を犠牲にしているおかげで奈央は全く濡れずに済んでいる。その感謝を伝えても上の空だった爽のことだから、きっとこの問いも無視されるだろうか。
そんなことを思っていると、爽はようやくこちらに視線を向けた。
「まだ分かんないっす。全然喋ったことないし」
「え、そうなの?」
「室生とはまぁ、何回か。けどあとはさっき初めて喋った」
爽は名前も覚えていないと言いながら、少し前を歩く集団を見やる。本当なら部室に寄ったあと外まで食事に行く予定だったらしい。それが奈央のせいで一度寮に立ち寄るなんて遠回りを強いられたにも関わらず、彼らは全く気にしない素振りで楽しそうに会話を弾ませていた。同じ趣味を持つ者同士、いくら時間があっても話し足りない様子。それがたとえ部室だろうが、ファミレスだろうが、道端だろうが、変わらないのだろう。
その中でも一際目立つのは、水色の髪の生徒。爽が告げた“室生”という名には聞き覚えがあった。冬耶の口から何度か聞いたことがあるからだ。
この学園に数枠だけ設けられている一芸入試で入学した生徒であることも知っている。ただ、彼はバレエの才能を買われていたはずではなかったか。なぜ軽音部での生活を謳歌しているのか分からない。
「あの、葵先輩には言わないでください。まだ迷ってるし、もし入るにしても自分の口から言いたいんで」
「うん、分かった」
今日はよく口止めをされる日だ。それをどこか可笑しく感じながら、奈央は爽の頼みを受け入れた。
寮まで奈央を送り届けると、爽は自分の帰りを待ち侘びている同級生たちの輪の中へと照れ臭そうな顔で入っていった。口ではああ言っていたけれど、きっと入部するんだろうと思う。
彼がそうして世界を広げる一方で、生徒会にも満足に顔を出せない状態の聖のことが気に掛かる。けれど、それは奈央が口を挟む問題ではない。きっと彼らの中で、そして時には葵の手を借りて進めていくものだろうから。
「奈央さん、もうお腹がぺこぺこです」
「ごめんね、遅くなって。お待たせ」
寮のエントランスでは、不機嫌な猫を連れた葵が今にも倒れそうな顔で奈央の帰りを待ってくれていた。先輩への態度を崩さない葵が責めるようなことを口にするぐらい限界だったのだろう。
待ちきれないとばかりに手を取って指を絡めてくる葵を可愛く思いながら、奈央は頭の片隅で未里のことを考える。若葉が待っているはずの部屋にも行かず、未里はどこに行ったのだろう。大丈夫という言葉を信じていいものなのか。
食堂に掲示されたメニューを見ながら相談してくる葵の相手をしながらも、後味の悪さは薄れるどころか胸に深く広がっていく。この悶々とした気持ちを晴らすには、彼の部屋まで様子を見に行くのが一番かもしれない。
葵を部屋まで送り届けたら顔を出してみよう。ようやくありつけた夕食を前にとびきりの笑顔を見せる葵を眺めながら、奈央は食欲のなさを押し隠すように微笑みを返した。
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