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I love youをあなたに ※
10月のある晴れた月曜日。ポストに一通の封筒が届いていた。差出人を見て、俺の心臓は今までにないくらい高速で脈打ち始めた。
部屋に戻り封筒を開ける。無駄に時間をかけて、丁寧に。中の用紙を取り出して恐る恐る開くと『教員採用2次選考結果について』という文字が目に入り、一旦閉じて小さく深呼吸。
‥ええい、どうにでもなれ!意を決して勢いよく用紙を開き、俺は目を細めてさっきの続きに目を向けた。
『あなたは公立学校教員採用選考試験第2次選考試験の結果( 合格 )と判定されましたので、通知します。』
‥‥‥あれ?もっと盛大に喜ぶかと思ってたんだけど‥嬉しさよりも安心感の方が勝って、俺は通知を握り締めたまましばらく天井を見つめていた。
教員採用試験、無事合格。
来年からはついに小学校の栄養教諭になる。‥っと、その前に。3月の管理栄養士国家試験を乗り越えないといけないんだった。
周りの友人たちが次々と内定をもらう中、思うように試験勉強が進まなくてかなり凹んだりもしたけれど、結果が出せたのはフクちゃんやなっちゃんのサポートのおかげだと思う。‥そうだ、早く結果を伝えなければ。俺はいの一番になっちゃんに電話をかけた。(フクちゃんゴメン!)
3回目の呼出音が鳴り始めてすぐ、なっちゃんの声が聞こえた。試験結果を伝えると、いつもと変わらないテンションで「おめでとう」を言うからちょっと切なかったんだけど‥
「それじゃあ合格祝いに旅行でもするか」
なっちゃんからの提案に俺は両手を上げて喜んだ。
10月下旬。国家試験の勉強と卒業研究の合間をみて、俺となっちゃんは久しぶりに少し遠くへ一泊二日の旅行をすることにした。いつもより少しだけ早く起きて、電車と新幹線とバスを乗り継ぎ日本屈指の温泉街へと向かう。天候にも恵まれ絶好の旅行日和だ。
「1‥2‥3‥‥この弁当、めちゃくちゃおかず入ってるよ!栄養バランスいいし彩りも最高〜」
「炊き込みご飯じゃん、美味そ」
「なっちゃんのは?あ!俺これと悩んだんだよねー、手まり寿司」
「ひとつ食う?」
「え、いいの?」
「おう。その代わり‥俺にもそっちの弁当味見させて」
「もちろん!」
俺たちは豪華絢爛な駅弁に夢中になった。中身を交換しながら、今日泊まる旅館や温泉、観光名所について途切れることなく話す。
なっちゃんと旅行なんて本当に久しぶりだ。‥というか、なっちゃんとこんなにゆっくり話をするのはいつぶりだろう。試験に集中したいということもあって、2次試験の結果が出るまで勉強を見てもらう以外はなっちゃんとほとんど会っていなかったし、なっちゃんも俺の意思を尊重して受験勉強中は極力連絡をしないでいてくれたから。その反動だろうか、今日はお互いいつも以上に饒舌だった。
会話が弾むと長い移動時間もあっという間だ。目的地に到着してバスを降りると、日はもうだいぶ傾いていた。
「泊まるとこ、このすぐ近くなんだぜ」
旅館はなっちゃんが手配してくれた。展望露天風呂が自慢の老舗旅館で、有名な石段街からも近いらしい。なっちゃんの後について5分位歩くと、目の前に趣のある小さな門が現れた。門をくぐって石畳を歩き、正面玄関の引き戸を開けるとお香の香りが鼻を掠めた。
「凄い立派な旅館‥高かったんじゃないの?」
今日の宿代はなっちゃんの奢りだ。予想以上のハイクオリティな旅館にビビっていると、チェックインを済ませたなっちゃんは大笑いしてあっけらかんと言った。
「お祝いなんだからケチってもしょうがねえだろ」
‥ああもう、男前すぎる。一生ついていきます!
純和風の旅館は畳廊下になっていて、青畳の香りが心地よかった。
「浴衣のまま外出していただけますので、ぜひ石段街を散策してみてください」
客室に案内してくれた仲居さんはニコリと笑ってそう言うと、深々とお辞儀をして部屋から出ていった。
「せっかくだから石段街行ってみようぜ。夕飯までまだ時間あるし」
「そうだね」
俺たちは荷物を部屋の隅に置き、衣装盆から浴衣と半纏を取り出した。
「あーやばい。やばいな‥なっちゃんの浴衣姿。何度も想像はしてるけど、本物はガチでやばい」
‥何を隠そう、俺の『なっちゃんにしてほしいコスプレランキング』堂々の1位は和服である。(ちなみに、次点はナースと婦人警官だ。)妄想ではなく、現実として目の前に浴衣姿のなっちゃんが存在している奇跡‥何というご褒美。
顔を手で覆うが、我慢ならず指の隙間からチラチラその姿を見てはブツブツつぶやいている俺に、なっちゃんは呆れ顔で肩パンをかます。
「やばいのはお前の頭ン中だ、変態。行くぞ」
変態、頂きました。‥って!準備万端のなっちゃんはスタスタと部屋を出ていってしまったので、俺は慌ててなっちゃんを追いかけた。
旅館を出る時に下駄を勧められたので、せっかくだから借りることにした。カランコロンと可愛らしい音を響かせて、俺となっちゃんは石段街へと向かう。坂道を下って細い路地を抜けると間もなく、立派な石段が目の前に広がった。沿道には土産物屋や飲食店などが軒を連ね、多くの人で賑わっている。風情ある景観は、ネットやガイドブックで見るより何倍も何十倍も素晴らしかった。
石段を登りながら土産物店をいくつか覗き、俺は手乗りサイズのこけしを2つ買った。フクちゃんとイッチーへのお土産だ。この辺りでは有名な創作こけしというものらしく、真ん丸なフォルムに動物の顔が描かれているそれはとても可愛くて、二人にぴったりだと思った。
「俺も店長と友利に買ってくかな」
そう言ったなっちゃんは某国民的アニメキャラクターのミニこけしを両手に持ち、しばらくうーんうーんと唸っていた。
無事買い物を済ませて再び石段を上がると、ひときわ賑わっている店を見つけた。看板には「夢見横丁」と書いてある。
「あ、ここガイドブックで見たやつだ!ちょっと中入ってみようか」
「そうだな」
店の中に入るとちょっと古ぼけたポスターが壁にところ狭しと貼ってあって、なんとなく懐かしさを感じた。ここは昔の遊びが楽しめる遊技場だ。店内を見回すと射的に弓、手裏剣なんてのもある。
「へえ、楽しそう‥あ、俺あれやってみっかな」
そう言ってなっちゃんが向かったのは射的コーナー。料金を支払ってコルク銃を受け取ると、なっちゃんはちょっと強面な店のおやじさんにアドバイスをもらいながらコルクを詰めて銃を構えた。その姿があまりにも様になっていたから、思わずため息が溢れてしまう。
「やばい‥なっちゃん×銃とか超萌える‥。俺、なっちゃんに狙われたら逃げられる気しない‥」
「‥試してみるか?」
銃を構えたまま横目でチラリと俺を見たなっちゃんは、たぶん本気だ。
「っ!け、結構です‥!」
ピシッと背筋を伸ばして固まったまま、俺は大人しくなっちゃんが終わるのを待った。
「眼福ではあったけど‥全然駄目だったね」
「うるっさい」
なっちゃんが撃ったコルクはことごとく外れ、最後の一発が唯一景品に当たったものの、景品はピクリとも動かなかった。これは見た目以上に難しそうだ。
「優介もやる?」
「なっちゃん無理なのに俺にできると思う?他に何か‥」
そう言って遊技場を見回していた俺の肩をポンポンと叩いて、なっちゃんは射的のすぐ右隣を指差した。
「これなんていいんじゃね?」
指差したのは、でかでかと「ちびっこ歓迎」と書かれた輪投げコーナーだった。
「‥ちょっと、俺のことバカにしすぎじゃない?」
「してないしてない」
「真顔!絶対してるでしょ!!‥よーし、いっちばんでっかい景品取ってやる」
そう言って俺は、意気揚々とおっちゃんに金を払い、10個の輪っかを受け取った。
‥‥結果。
「俺らってこういうのホント下手くそだよね‥」
「だな‥」
俺たちは手ぶらで再び石段を登っていた。
「いつぞやの金魚すくいを思い出す」
「ああ、お前が全くすくえなかったやつか」
「なっちゃんだって‥」
「俺2個すくったし」
「くっ‥‥」
苦い体験を思い出してしまった。もう2年も前になるのか。あの時なっちゃんがひとつくれた小さな金魚のおもちゃは、今でもウッドラックの上に飾ってある。
「でもま、いいんじゃね?結果ダメでも楽しかったし」
「ふふっ、そうだね」
どんな結果でも大好きな人となら素敵な思い出になる。今日の事も、いつかまた思い出して笑い合えたらいいなと思った。
気がつくと石段にはフットライトやポール灯が灯り、先ほどとはまた違った姿を見せていた。時計を見ると、17時半を少し回ったところだった。
「はー、集中したら腹減った。温泉まんじゅう食おうぜ」
「え?今から?もうすぐ夕飯じゃ‥」
「1個くらいいいだろ?石段登ったところに有名な店があるんだってさ。ほら、いくぞ」
そう言って光に包まれる石段を駆け上るなっちゃんを、俺は見失わないように必死で追いかけた。
旅館に戻ったのは夕食の5分前だった。
「ギリギリになっちまったな。風呂は夕飯のあとだな」
「そうだね」
俺たちは一息つく間もなく大急ぎで食事処へと向かい、部屋の名前が書かれたテーブル席に腰を下ろした。
「この旅館の料理、地元の食材使った会席料理なんだって。期待しちゃうよな」
「うんうん、絶対美味しいやつだよね!」
お品書きを眺めながらどんな料理か想像するのが実に楽しかった。運ばれてきた料理は想像以上に美しく、そして美味くて、食い物にはちょっとうるさい俺達だけど、十二分に満足だ。
「今日は飲もっかな。優介も飲むだろ?」
前菜を食べ終わったところで、なっちゃんは珍しくビールを注文した。なっちゃんがお酒を飲むときは気持ちが高ぶっている証拠。これは‥ちょっと期待してしまってもいいのかな、なんて。
「改めて、教員採用試験合格おめでとう」
「ありがとう!頑張れたの、なっちゃんのおかげだよ!‥そういえば、なっちゃんの内定決まったお祝いしてなかったね」
「そう言われると‥そうかも」
「遅くなっちゃったけど、なっちゃんもおめでとー!」
「ありがと」
「それじゃあ、お酒は俺の奢りで!」
「ははっ、どーも」
カチンとグラスを合わせてひとくち口に含むと、フルーティーな香りが広がった。
「あとは3月の国家試験だね」
「試験落ちて内定取り消しとか洒落になんねえからな」
「が、頑張らないと‥」
「‥ま、それは一旦忘れて。旅、楽しもうぜ」
なっちゃんはそう言うとグラスに注がれた地ビールをぐいっと飲んだ。
次々に運ばれてくる美しい料理に感動しながら、俺たちは食事を楽しむ。料理は美味い。酒も美味い。ただ‥なっちゃんが相当なハイペースで飲んでいるのが気にかかる。
「そ、そんなに飲んで大丈夫?」
「全然!らいじょーぶ」
そう言って満面の笑みを浮かべるなっちゃん。めちゃくちゃレアだしめちゃくちゃ可愛いけど‥顔真っ赤だし呂律回ってないし、ちょっとお楽しみすぎでは???
「なっちゃん、もうそろそろやめておいた方が‥」
「あと少しだけ‥良いだろ?」
上目遣いでそんな風にお願いされたら断れるはずがなく‥結局その後も飲み続けたなっちゃんは、完全に出来上がってしまった。そりゃそうだよな、いつも缶チューハイ1本で酔っちゃうんだから‥。
「なっちゃん、部屋戻ろっか」
「は?もっと飲」
「もう駄目!!」
「ちぇっ。‥じゃあ部屋まで連れてけ〜」
「ええっ?!」
「ん‥」
おもむろに腕を伸ばし、なっちゃんは可愛く抱っこのおねだり。これは‥反則でしょ‥‥。
今すぐにでも抱きつきたい衝動を必死に抑え、人目もあるので俺はおぶってなっちゃんを部屋まで運んだ。背中越しに感じる体温に当てられ、平常心を保つのに苦労した。
何とか部屋に着き、襖を開けると布団が敷かれていてドキッとする。興奮しすぎだっつーの。
「この部屋ちょっと暑くね?」
「水あったかな?ちょっと待ってて」
なっちゃんを布団の上に降ろすと、俺は冷蔵庫へ向かう。確か‥あ、あったあった。冷蔵庫の中に無料サービスのミネラルウォーターを発見し、一本取り出してなっちゃんの元に戻った。
「なっちゃんこれ‥って!ちょっ‥なにしてんの?!」
思わず大声を上げてしまった。なっちゃんはうるさいと言わんばかりに眉をひそめ、口を尖らせた。
「だって暑いから」
そう言うなっちゃんの浴衣は襟ががっつり開かれていて、片側なんて肩まで見えている。アルコールのせいで胸元がほんのりピンク色に染まっているのがよく分かる。そして裾からチラリと見える脚がまた色っぽい。つーかこれは‥ちょいと無防備すぎではありませんかね‥。
「あ、暑いのは分かるけどこの格好は‥」
「でも優介好きだろ、こういうの」
くっ、小悪魔め‥。完全に酔っている‥酔っているのは百も承知だけど‥無意識の上目遣いが可愛すぎて完全にノックアウトだ。そして俺の性癖をよく分かっていらっしゃる‥。
「‥はい、好きです‥」
そう言って顔を手で覆いその場に項垂れると、なっちゃんはケタケタ声を上げて笑った。
笑い声が止んでおもむろに顔を上げると、不意になっちゃんに抱きしめられ、俺は面食らって固まってしまう。温かくて、ちょっぴりお酒の匂いがした。久しぶりに感じるなっちゃんの温もりに心臓の鼓動はみるみる速くなり、俺は躊躇いがちに背中に手を回す。
「なっちゃん‥」
名前を呼ぶが返事がない。もう一度呼んでみるがやっぱり返事はなくて、俺はなっちゃんの顔を覗き込んだ。
寝てるーーー!!!!
なっちゃんは小さな寝息をたてて、俺の腕の中で爆睡していた。待て待て待て。まだちゅーもしてないんですけど?!?!
「おーい、なっちゃ〜ん」
「スースー‥」
「なっちゃ」
「ぐう‥」
こうなるとなっちゃんが起きる可能性はほぼゼロに近い。残念だけど‥ホント残念だけど!可愛いなっちゃんが見れたから良しとしよう‥。
「‥‥‥散歩でもしてくるか」
なっちゃんを布団に寝かせると、俺は不覚にも興奮してしまった頭と下半身を冷やすため、旅館の中を散策することにした。
客室はそんなに多くはないけれど、木のぬくもりが感じられる旅館で、青畳の廊下は素足で歩くととても気持ちがいい。そして中庭も素晴らしかった。小さいながらも手入れの行き届いた緑の植栽が彩り、番傘や行燈が趣を感じさせる。ベンチに座ってししおどしをぼーっと眺めていると他の宿泊客に声をかけられ、俺は適当に誤魔化して慌てて部屋へ戻った。
戻ってきたあとも一向に起きる気配のないなっちゃん。申し訳ないと思いつつ、俺は一人展望露天風呂へと向かった。
一緒に入りたかったなぁ。あ、明日の朝チャンスがあるか‥朝起きたら誘ってみよう。‥そんなことをぐるぐる考えながら、目の前に広がる夜景をぼんやりと眺めた。
部屋に戻ると時刻は21時少し前。少し‥いや、だいぶ早いけど、俺もそろそろ寝るかな。
どれくらい時間が経っただろうか。人の気配がして目が覚めた。目を開けるとまだ部屋は暗闇に包まれていて、横で動く人影に目を凝らした。
「なっちゃん?」
俺の声に一瞬体をびくつかせ、なっちゃんはゆっくりとこちらに視線を送る。
「‥悪い、寝た‥」
目が合うと苦笑ってそう言い、なっちゃんは大きな大きなため息を吐いた。膝を抱えて小さく丸まる姿が可愛くて、俺は思わず吹き出してしまった。
「‥ぷっ、うん。超寝てたね」
時計を見ると、深夜0時を10分程過ぎたところだった。
「あーあ、作戦大失敗だよ」
「作戦?何?」
「何でもねえよ」
「えー、聞きたい聞きたい」
笑うなよ?と言って頭を掻いたなっちゃんは、少しの間のあと口を開いた。
「酔ってたほうが色々都合いいだろ‥優介的に」
「‥んーと、それはつまり‥お酒の力を借りて大胆になったなっちゃんが、俺のためにあーんなことやこーんなことや‥あまつさえそーんな事までし」
「しねえよ!‥いや、ま‥でも‥そんなとこ」
俺の予想はおおかた当たってたってことか。‥もう本当に‥なっちゃんは可愛い。
「あ、俺風呂行ってくるわ。露天風呂、確か24時間入れたよな」
「うん平気。気をつけていってらっしゃい」
留守番する気満々で手を振る俺を、何故かなっちゃんはジッと見つめている。
「どうかした?」
「‥一緒に行くか?」
「‥‥‥え?」
「い、嫌なら別に‥」
「行きます!行きます!!」
「声でけえよ!」
まさかなっちゃんから誘ってくれるとは。ここが旅館だということを一瞬忘れて大声を上げてしまった。なっちゃんの必殺右ストレートを腹に受けた俺は悶えながらいそいそとタオルの準備をした。
「温泉とかすげえ久しぶり」
「あ、俺今日2回目〜」
「マジごめん‥」
「いいっていいって!温泉は何度入ってもいい」
幸いなことに他の宿泊客は誰もいなくて、広い展望露天風呂は貸切状態だった。「泳ぎ放題だね」って言ったら、なっちゃんに「子供みたい」と笑われてしまった。
「旅行とか久々だったから、ちょっと浮かれてたのかも。空回りして馬鹿みたいだ」
「そんなことないよ。なっちゃんが俺のこと考えてくれるの凄く嬉しい」
湯船の縁にもたれかかるように並んで座り、そんなことをポツポツと話す。いい雰囲気。‥なのになんだろう、この微妙な距離感は。
あれ?もしかして俺、緊張してる?
そういえば、最後になっちゃんとキスしたのはいつだろう。7月末に1次試験の合格通知をもらって、そのときに軽めのをして‥‥っていうか、エッチはどれくらいしてない?え、記憶に無いくらい昔とかヤバくない??
俺は記憶を辿るのに必死で、一瞬隣にいるなっちゃんの事が頭から飛んでしまっていた。
「痛っ‥目にゴミが」
「え?わっ、大丈夫?!ちょっと見せ‥」
俯いているなっちゃんに気づき慌てて覗き込むと、ばっちり目が合った。
「嘘」
「は‥え?」
距離が近い。近い。近い。気づいたらもうすぐ目の前になっちゃんの顔があって、一瞬ふわりと唇が触れるとすぐに離れていった。俺はというと、面食らって全く動けない。はっとしてなっちゃんを見ると、バツが悪そうに頬を掻いていた。頬が赤いのは温泉のせいではないと思う。
「なかなかしてくんねえから‥」
「ごめん‥何か緊張してたみたい。もう何もかも吹っ切れた」
そう言って必死に抱きつこうとする俺に、なっちゃんは再び右ストレートをかました。
「景色、こんなにきれいだったんだなぁ」
「さっき入ったんだろ?」
「なっちゃんのこと考えてたら全然頭に入ってこなかった」
「あはは。‥星すげえな」
「そうだね」
見上げると、夜空には無数の星が煌めいていた。こんな素晴らしい景色を大好きな人とこうして一緒に見れるなんて、俺はなんて幸せ者なんだろう。
星空に夢中な恋人の邪魔をしないように、今度は俺からそっと頬にキスをした。
二人きりなんだ。これくらいは‥いいよね。
「ねえねえ、さっきのもう一回やってほしいな」
浴衣に着替えながらふと、夕食のときのことを思い出した。
「え?なにを?」
「『部屋まで連れてけ〜』ってやつ」
「‥っ、やだよ!」
「えー、いいじゃん誰もいないんだし!連れて行ってあげるから〜」
俺の必死のお願いになっちゃんはものすごく困った顔をして、しばらく考えたあと頭をガシガシ掻くと、躊躇いがちに腕を伸ばした。
「‥‥‥ん」
先ほどとは違い、恥じらう表情が妙に色っぽくて‥これはこれで良い。うん、とても良い‥‥‥‥‥‥おっと。なっちゃんの気が変わってしまわないうちに、今度はしっかりお姫様抱っこ。
‥が。元々体力がない上、試験勉強中の運動不足も相まって、数歩歩いたところで足が止まる。異変に気づいたなっちゃんは、何事もなかったように俺の腕からスルリと降りた。
「無理すんな」
そう言ってクスクス笑いながら、なっちゃんは凹んでいる俺の右手を優しく引いた。
部屋に近づくにつれ、お互い口数が減る。このあと起こるであろう事を想像すると、否が応でも心臓が高鳴ってしまう。なっちゃんと付き合ってもう2年にもなるのに、このドキドキは初めて体を重ねたときとちっとも変わらない。
部屋に入り、布団の上に腰を下ろす。俺が手を伸ばすとなっちゃんはその手を取って、ゆっくりと
向かい合わせに座った。
「眠くねえの?」
「すっかり目が覚めてしまった」
「ははっ、俺も‥‥‥」
不意に視線を反らしたなっちゃんは、困ったように顔を押さえた。
「どうかした?」
「あーもう!優介のが移った‥」
「何が?」
「‥‥浴衣姿、なんか興奮する」
「へ?」
「あのさ、いつも俺のことばっか言うけど‥優介だって浴衣、似合ってんだからな」
「そう‥かな?」
「自覚なさすぎ」
自覚がないのはなっちゃんの方。遊技場でも食事処でも、他の客が皆なっちゃんを見ていたのを俺は知っている。みんななっちゃんに釘付けだよ。
‥でも、大好きな人にそんな風に言われたら嬉しくないわけない。他の人に言われても何とも思わない言葉でも、なっちゃんに言われると素直に受け入れられる。
「なっちゃんが俺で興奮してくれたのなら凄く嬉しい。‥だけどやっぱり、なっちゃんの浴衣姿は格別だ」
俺の言葉に困ったように笑うなっちゃんが、たまらなく愛おしい。
見つめ合うと次第に二人の距離は縮まって、優しく唇が触れ合う。ついばむように触れては離れを繰り返し、次第に高まっていく欲望に抗えなくなると、強く深く重ねて貪り合う。それでも全然足りなくて、もっと欲しくて、強引に体を引き寄せて乱暴に口腔内を犯す。息苦しさで漏れる吐息も、唾液の絡まる音も、何もかも逃したくなかった。名残惜しげに離した唇を繋ぐ透明の糸は、二人が愛し合っている証。
「息できなくて死ぬかと思った」
そう言いながら口元を拭うなっちゃんは艶っぽくて、早々に欲情した俺はなっちゃんの浴衣に手を伸ばした。きちんと整えられた合わせ襟を開くと、浴衣がするりと肩から滑り落ちる。
「脱がせちゃうのもったいない」
「けど好きだろ?こういうの」
「それ、今日2回目。‥でも‥うん、好き」
露になった首元に顔を埋め、温泉で火照った体に何度も唇を落とすと硫黄の香りが鼻腔をくすぐる。滑らかな肌は触り心地がよくて、いたずらに指を滑らすとなっちゃんは身を捩り、ある部分に触れるとひときわ大きく体を震わせた。
「おっ‥前、触り方がエロい」
「ホント?ありがとう」
「褒めてねえよ」
なっちゃんの話半分に、俺はその敏感な突起ばかり執拗に弄ぶ。両手で撫で回し、指で摘むと、声を殺していたなっちゃんは堪らず甘い喘ぎを漏らした。
乱れた浴衣の裾から手を忍ばせて下着に手をかけると、なっちゃんは慌てて俺を制止する。
「待って。今度は俺の番」
そう言ってなっちゃんは体を起こすと、スルスルと俺の浴衣を脱がせて胸の突起に触れた。
「わっ、いいよ!俺のはっ!」
俺は驚いて咄嗟になっちゃんの体を押しのけてしまった。‥だってこんなこと、初めてだったから。
「何でだよ」
「だ、って‥‥恥ずかし」
「はぁ?!俺なんていつもされてるんだけど!」
「で、ですよね〜‥」
「黙ってされてろ」
今日のなっちゃんはいつにも増して積極的だ。お酒の力なんて借りなくたって十分すぎる位に。
「どう?」
「うん、何か‥くすぐったい」
正直、感じるかといわれると微妙だ。
「ちぇっ。‥あ、それじゃあ‥」
「え?なに‥ひゃっ!」
俺の反応が不満だったなっちゃんは、指で刺激するのをやめて今度はそこへパクッと吸い付いた。一瞬の出来事だったから思わず変な声が出てしまった‥。
濡れた舌の感覚は気持ちがいいが、やはりそこまでの快感はない。ただ、舐められている行為そのものよりも、必死に舐めているなっちゃんの姿がエロくて、俺は思いの外興奮してしまった。
浴衣越しにも分かるほど立派に立ち上がった下半身に気がついたなっちゃんは、そっと俺に触れる。
「すげえキツそ‥こっちもしてやる」
そうつぶやいて下着に手をかけたとき、俺はなっちゃんの肩に手を置いて本日二度目のストップをかけた。
「今度は何だよ」
「ねえ、ここは‥一緒にしない?」
「別にいいぜ」
「あ、手じゃなくて」
「手じゃな‥‥」
しばらくの間のあと、なっちゃんの顔はみるみる赤くなっていった。素直な反応が本当に可愛い。
「ダメ、かな?」
畳み掛けるようにお願いすると、なっちゃんは小さなため息を吐いてはにかんだ。
「‥‥いいよ。今日はお前の願い、全部聞いてやる」
「あ、浴衣は着たままで」
「何で?邪魔だろ?」
俺は浴衣を脱ごうとするなっちゃんの手を慌てて取った。乱れた浴衣は辛うじて腰紐で止まっているが、ほとんどその機能は果たしていない。だけど。
「着たままのほうが100倍エロい」
「‥ホント、性欲に正直だよな」
「スンマセン‥」
「ふはっ。いいよ、もう慣れた」
なっちゃんは笑って俺の頭を撫でてくれた。
下着を脱ぐと、なっちゃんは仰向けになった俺の顔を少し躊躇いがちに跨ぎ、両手を着いて四つん這いになった。思った以上に距離が近くて堪らず本音が漏れる。
「いい眺め」
「ばっ‥、変態‥っ、ん‥」
目の前にご馳走があるのに待ったなんてできなくて、俺はなっちゃんのモノに舌を伸ばした。口に含むと先走りの苦味が口内に広がり、唾液を纏った舌を絡めるとなっちゃんは太腿をビクビクと震わせた。漏れた吐息が熱を帯びている下半身を掠め、俺の欲は一層高まる。
「なっちゃんもして」
そう言って急かすと、なっちゃんは俺の要求通りにしてくれた。舌先で、唇で優しくなぞり、おずおずと口に含む。なっちゃんの愛撫はお世辞にも上手とは言えないけれど、俺のために必死に奉仕してくれる姿は俺の独占欲を十分満たした。
再びなっちゃんのモノを咥え、今度は上下に動かしながら吸い上げる。ジュルジュルと大袈裟な音を立てて煽ると、消極的だったなっちゃんも徐々に腰を振って快感に溺れていく。
先端を舌先で刺激しながら無防備な秘部に触れると、驚いたなっちゃんはバランスを崩して俺の体の上に倒れ込んだ。太腿に腕を回して腰をぐっと引き寄せ、俺は露になった秘部に舌を這わせた。
「あっ、やめ‥っ、ぁ‥んっ」
否定の言葉とは裏腹になっちゃんの腰は一層淫らに動き、俺はそれに応えるようになっちゃんを犯す。周りを丁寧に舐め解し、浅く何度も舌を抜き差しする。口を離すと唾液で潤った秘部はさらなる刺激を求めるようにひくついている。なっちゃんの色香に当てられ、理性なんてとうになくなっていた。本能のままにしゃぶりつき、舌を一気に侵入させると、なっちゃんは羞恥と快感の入り混じった声を上げて体を跳ねさせた。
「も‥いいだろ‥?」
苦しげな声にはっと我に返り、力いっぱい押さえ込んでいた腕の力を抜く。なっちゃんは少し体を起き上がらせ俺の方を振り返ると、眉尻を下げて小さく笑った。
「ご、ごめん!嫌だったよね」
「そうじゃ、なくて‥もうこれ以上は我慢できねえ」
そう熱っぽくつぶやくなっちゃんは最高に色っぽかった。
「今日は俺が上でもいい?」
なっちゃんのお願いに頷き、俺は足を投げ出して座る。相変わらず機能を果たしていない浴衣を着たまま、持参したゴムと携帯用ローションで準備を整えると、なっちゃんは俺に跨り、硬く脈打つ俺のモノを握って秘部にあてがった。ゆっくりと腰を沈めるとなっちゃんは小さく呻き、内側はきつく締め付け異物を拒む。ショックだった。前はあんなにスムーズに俺を受け入れてくれたのに。こんなにも繋がりたいのに、もう体は俺を忘れてしまったのかと思うと、なっちゃんと交われなかった数ヶ月が悔やまれる。
「悪い‥もう、いけるから」
‥そうだね、なっちゃんだって同じ気持ちだよね。だからそんな悲しそうな顔しないで。
「大丈夫。ゆっくり‥一緒に気持ちよくなろ‥?」
俺の言葉に安心してくれたようで、なっちゃんは微笑んで小さく頷いた。
腰に手を添えて体を支えてあげると、なっちゃんはゆっくり腰を上下させ、進退を繰り返しながら少しずつ俺を飲み込んでいく。互いを思い出すように、新たな快感を刻むように、内側は熱く、優しく絡みつき、なっちゃんの唇から溢れる呻きは徐々に快感を含んだ喘ぎに変わっていった。
ようやっと俺の大部分を飲み込み、なっちゃんは安堵のため息を溢す。一方俺はというと、容赦ない締め付けに加えなっちゃんの乱れた浴衣姿に興奮して今にも達してしまいそうなのを必死に堪えていた。
「ま、待って!まだ‥動かないで‥」
「え‥?」
なっちゃんが俺の両肩に置いた手に力を込めたのに気づいて、俺は思わずストップをかけた。だって‥
「久しぶりのエッチがこんなシチュエーションとか、絶対すぐイってしまう‥だから少し、このままで‥」
俺の告白になっちゃんは一瞬キョトンとして、それから声を上げて大笑い。そりゃそうだ。なっちゃんがあんなに頑張ってくれたのに‥情けなさすぎる。
だけど。そんな俺になっちゃんは優しく微笑んで、そっと首に腕をまわしてくれた。
「分かったよ。ゆっくり、な」
あぐらをかいてなっちゃんの体を引き寄せ、それから両手で頬を包み込んで俺はその感触を思う存分堪能する。初めて触った日から、俺はこの柔らかくてマシュマロみたいな頬の虜になった。
「ココ、そんなに好きなの?」
「うん。ずっと触ってられる」
「変なの。‥でも俺も‥優介にこうやって触られるの、好きだ」
なっちゃんは目を細め、照れくさそうにそう言ってくれた。
優しい時間が流れていく。じゃれ合うように額に、耳に、瞼にキスをし合い、くすぐったくて身を捩る。目が合うと二人で思わず笑ってしまった。
それから俺は、首筋に唇を落とし徐々に胸元へと下りていき、やがて小さな突起に触れる。舌先で弄ると突起はみるみる硬くなり、唇で軽く食むとなっちゃんは小さく喘いだ。
「男のくせに、乳首感じるとか変だよな」
「そんなことないよ。そうなるようにしたの俺だし」
「それじゃあ責任取れよ」
「‥はい」
上から見下しながらそんな風に言われたら、逆らうなんてできないよ。
敏感になった突起に何度も吸い付き、唾液を絡めた舌で舐めると、なっちゃんの呼吸は徐々に乱れて甘い声を漏らす。俺の髪を掴んで少し抵抗するなっちゃんに反して、俺はもう一方の突起を指で弄った。
「は‥っ、あ、あ‥やば、イ‥っっ」
「え?」
突然なっちゃんの体がビクビクと震えだし、俺の肩にしがみついて顔を埋めた。
「もしかして今‥」
「‥っ、なんか‥変な感じ‥っ」
気がつくとなっちゃんの体はしっとりと汗ばんで、俺にしがみついたまま苦しそうに肩で息をしている。おもむろに腰を浮かせ、繋がった部分を少しだけ奥に押し進めてみると、なっちゃんはヒュっと喉を鳴らして体を強張らせた。いつもと違う様子に戸惑ってしばらく動かないでいると、不意になっちゃんの内側が締め付けてきて、俺は体中に電気が走ったような衝撃を受けた。
何だこれ‥今日はまだ全然動かしてないのに‥。
体の奥からじんわり熱くなるような不思議な感覚に襲われ、気がつくと俺の下半身は痛いくらいに膨れ上がっていた。
「なっちゃん大丈夫?」
「はっ‥は、ぁ‥っ」
名前を呼んでも、なっちゃんは虚ろな目で荒い呼吸をくり返すだけだった。
もっと奥へ進んだらどうなるのだろう‥
好奇心と性への欲望が、溢れてきた。
「なっちゃん‥夏生」
名前を呼ぶとゆっくり目を開けて、俺の方へ視線を向けてくれる。
「夏生ともっと繋がりたい。いいかな‥?」
なっちゃんは小さくはにかんで頷いた。
繋がりが解けないようになっちゃんをゆっくりと押し倒す。相変わらず、呼吸は整わないままだ。俺は汗で張り付いたなっちゃんの前髪を指で整えると、更に奥へと自身を押し進めた。ゆっくり、ゆっくりと。動きを止めてなっちゃんを見下ろすと、今にも泣いてしまいそうだったから、不安と興奮でドキリとした。無造作に投げ出された手を取り、指を絡ませて体重をかける。潤んだ琥珀色の瞳は月明かりに照らされまるで宝石のように煌めき、その輝きに吸い込まれるように、俺は唇を重ねた。恥じらいなんて全くなくて、ただ無心にお互いを求め合う淫らなキスは、心も体も満たしていく。
愛しい人とこうして繋がれることを幸せに思う。繋がる度に好きになって、大好きが溢れてきて、俺はもうなっちゃんなしでは生きられないんじゃないかって思う。ははっ、きっと「重い」とか言われちゃうな。‥でもなっちゃんなら、「しょうがねえな」って、ずっと傍にいてくれるかな。
そんな風に思いを馳せていると、再び不思議な感覚に襲われた。それはさっきよりも大きく、激しさを増して俺に襲いかかってきた。下半身は全くと言っていいほど動かしていないのに、繋がった部分はどんどん熱くなり、体が疼いてたまらない。気を抜いたら一気に飲み込まれてしまいそうで、俺は膨れ上がる快感に必死で耐えた。
気がつくと汗だくで呼吸も乱れ、快感のあまり喘ぎ声まで漏れている。みっともなくて早く止めたいのに自分じゃどうしようもできなくて、状況は酷くなる一方だ。‥こんなんじゃ嫌われちゃう。そう思ったらなんだか無性に泣けてきた。
「バーカ」
言葉の意味とは裏腹な優しい声に導かれるように、項垂れていた頭をゆっくりと持ち上げる。なっちゃんは笑っていた。ああ、何もかもお見通しなんだなと嬉しくなって、俺も自然と笑顔になる。澄んだ瞳は俺だけを見つめていた。何か言いたげななっちゃんは必死で呼吸を整え、そして静かに囁いた。
「好き。優介、愛してる」
ずるい。俺だって言いたい。俺だって大好きだ。すごくすごく、愛してる。
だけど、それさえ言えないくらい今は気持ちがよくて、もう何も考えられなかった。
「っ‥あ、あ‥ぁ、‥っっ!」
今まで感じたことのない大きな快感の波がやってきて、俺は抵抗をやめてその波に身を委ねる。繋いだ手をぎゅっと握りしめ、俺はなっちゃんの中で絶頂を迎えた。
息絶え絶えに何とか体を離すが、それ以上動く力は残っていなくて、俺はなっちゃんの横に倒れ込んだ。仰向けの状態から首だけを何とか横に向けてなっちゃんの様子をうかがうと、放心状態でぼんやりと天井を見つめていた。
「動ける?」
「‥‥‥無理」
「だよね」
そのやり取りを最後に、俺たちはそのまま気を失うように眠りに落ちた。
朝、窓から入ってくる優しい光で目を覚ます。起き上がって眠い目を擦っていると、徐々に昨夜の出来事が思い出されて体が熱くなった。少し寝たら体力はだいぶ回復したみたいだ。
ふと周りを見回すと人の気配がなくて不安になったけれど、襖が開いてなっちゃんの姿を確認すると、安堵のため息が溢れた。
「おはよ」
「おはよう。なっちゃん、体‥大丈夫?」
「平気。ただ、その‥昨日はなんか凄まじくて、記憶が所々曖昧なんだけど‥」
「あはは、実は俺も」
何か大事なことがあった気がしてさっきから考えているんだけど、俺はいまだにそれを思い出せないでいた。なっちゃんが持ってきてくれたミネラルウォーターのキャップを開けながら、昨夜の記憶の糸をたぐる。乱れた浴衣、触れ合う肌、そしてあの自分を保てなくなる程の快感。不意にあの瞬間が蘇って身震いしてしまう。
「でも昨日は、今までのエッチで一番気持ちよかったかも‥」
「‥‥おう」
ふと目が合うと、気恥ずかしさで二人揃って赤面。俺はミネラルウォーターをがぶ飲みしてカラカラの喉を潤した。
「‥とりあえず風呂行くか。カピカピで気持ちわりい」
妙な沈黙を打開してくれたのはなっちゃんの方だった。そういえば昨日は事後、全く動けなくてそのまま寝ちゃったんだっけ。
「確かに‥カピカピだ」
「風呂入って飯食って‥今日は駅前の方散策してみっか。新幹線16時発だったよな」
「うん。まだまだ余裕で楽しめるね」
「だな。‥よし、善は急げだ」
「‥‥‥‥あ!」
嬉しそうに笑うなっちゃんを見ていたら、ようやく昨日の最重要事項を思い出した。なんでこんな大事なことを忘れてしまっていたのだろう。
早く伝えたい。焦る気持ちで俺は、半纏を羽織っている途中のなっちゃんを引き寄せた。
「なんだよ」
ちょっと不機嫌そうに見上げるなっちゃんの耳元で、俺は昨日言えなかった言葉を囁く。バッと俺から勢いよく離れたなっちゃんは、今までにないくらい顔を真っ赤にして目を泳がせている。
「っ‥、それは思い出さなくてもいいやつ」
「絶対駄目でしょ!何ならもう一回言ってくれても」
「言わねえ!先行くぞ、泣き虫」
「ちょっ、それは言わないでよー!」
なっちゃんは着替えを引っ掴んで足早に露天風呂へと向かい、俺は慌てて半纏を羽織ってそのあとを追いかけた。
遠くに見えるなっちゃんの背中に向かい、もう一度愛の言葉を囁く。
『俺も愛してる』
俺は何度でも言うよ。
俺はなっちゃんを、世界で一番愛してる。
おわり
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