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最終話・七緒、親子二人に翻弄される。(後編)

 泣いて泣いて、ひとしきり泣いた後、口を開いたのは皐月だった。 「ぱぱ、ななお兄ちゃんもいっしょにいてくれるの?」  オレンジ色の夕陽が皐月を包む。思いきり泣いたものだから、瞼は腫れぼったい。皐月はふと思い浮かんだらしい疑問を涙声に乗せて口にした。 「ああ、一緒だ」  やはりとも言うべきか、三谷は皐月の問いに大きく頷く。 「そういうことだから、結。お前に拒否権はないぞ」 「……はい。って、ええっ?」  突然話を振られた七緒は二人が何を言っているのか判らない。感動的な場面だった筈が、空気は一変した。二人の表情を交互に窺えば、三谷の目の奥が鋭く光ったーーような気がした。  狼狽える七緒に、三谷は皐月を膝の上に乗せると、七緒と向き合った。その表情は七緒を揶揄(やゆ)しているようには思えない。真剣そのものだ。 「これからも傍にいてほしい」  ポケットの中から四角いケースを取り出した。中を開ければ、そこにはシルバーリングが入っている。 「……あの、これ……って」  跪き、手を差し出すこれはまるで映画のワンシーンで見るプロポーズのようではないか。 「結婚指輪だ。社長室で呼び出したのもこれが目的だったんだが……」 「ぱぱとななお兄ちゃんけっこんするの?」  結婚? そんな馬鹿な。  彼は有能な社長で、自分はダメダメ社員。それに自分と彼は同性だ。結婚なんて有り得ない。  それなのに何故だろう。三谷からの言葉が嬉しいと思えるなんて。  いったい自分はどうしてしまったのか。 「いや、結婚って。さっちゃん、あのね。僕と三谷さんは男の子同士じゃ結婚は……」  できるわけがない。七緒がそこまで口にすると、 「でもさっき、ななお兄ちゃん、ぼくがお母さんならっていったよね?」 「えっ? そ、それは……」 『僕が皐月の母親ならーー』  たしかに、先ほどそう思ったのも口にしたのも嘘ではない。しかしあれは言葉の綾とでも言うか。  子供というのは大人の何気ない言葉さえも記憶するものだ。それを忘れていた七緒は返事に(きゅう)する。 「うそだったの? うそはいけないって先生いってたよ?」 「うっ……」 「俺とではいやか?」  三谷が尋ね、 「いやなの?」  皐月も尋ねる。  果たして自分はどう答えるのが的確だろうか。  目の前にある二人の顔を交互に見れば、三谷からは炎を宿した目にーー皐月からは純粋で真っ直ぐな目を向けられる。  七緒は二人のこの目にどうも弱い。言い逃れができなくなってしまう。 「うっ。わっ、わかりましたっ!」  とにかく、今は二人からの熱い視線から逃れたい。七緒は観念して頷いた。  頷いた七緒を見た皐月は、先ほどあなに泣いていたにもかかわらず、もうすっかり落ち着いた様子で、「新しいママだ」と楽しげにけたけたと笑いながら飛び跳ねる。どう答えていいのか判らず頷いた七緒だが、皐月がこんなに喜んでいる姿を見るのは初めてで、これで良かったのだと皐月の姿を見てそう思う。  嬉しくなって隣にいる三谷に微笑みかけると、柔らかい感触が頬に触れたのを感じるのとほぼ同時ーーリップ音が聞こえて七緒は飛び退く。 「……っ、なにをっ!!」  驚いて三谷を見れば、常にへの字に曲がった彼の口角が上がっている。 「愛する妻にキスをして何が悪い」 「愛、って!!」  ドキドキする。心臓が破裂しそうだ。  しれっとそう話す三谷に、何も言い返す言葉がない。七緒はただただ熱を帯びた顔を俯けた。  これから先も二人に翻弄されるのだろう。  七緒は未だ消えない頬の感触に手を添えて、改めて悟ったのだった。  **END**

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