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第1話 達也と和希 -1-

 鷺沼達也(さぎぬまたつや)は校内ではちょっとした有名人だ。  金髪に脱色された長めの髪はすれ違う人々の視線を奪う。  両耳に開けられたピアス、シャツを出しネクタイを緩めたルーズな制服、前のめり気味の不格好な姿勢、険しい目つき。他を圧倒するその姿は不良かと思われても仕方のない見た目をしている。  けれどちょっと羽目を外したような高校生はどこの学校にも存在するものだ。彼は決してその派手な見た目だけで人々の噂を買っている訳ではない。  では、何故か。 (お。達也だ)  廊下を歩いている達也の後ろ姿を見つけ、黒河和希(くろかわかずき)は歩調を速めた。  脅かしてやろうかな、などと考えながらそっと背後に近づいていると、前方から一年生と思しき男二人が小走り気味にやって来てその内の一人と達也の肩がぶつかった。 「あぁ?」  ドスの利いた声。  会話に夢中だったのだろうその男達は、笑みを顔に貼りつけたまま顔を上げ硬直する。その顔からはみるみるうちに陽気さが消え、頬は青く染まっていく。  もうそれが面白くて可笑しくて和希は今にも吹き出しそうだった。和希の立ち位置からは達也の顔は見えないが、彼がどんな顔をしているかなんて容易に想像がつく。  達也は溜息を吐きながら身を屈め、何かを拾いまた頭を上げた。 「テメェら、」 「すみませんでした!!」  再びの低い声にびくりと肩を震わせた二人はそう叫びながら一目散に逃げて行った。  残された達也は呆然と立ち尽くしている。  ついに堪え切れず吹き出すと、やっと背後にいた存在に気づいた達也が振り向いた。 「ンだよ、いたのかよ和希」 「まったお前いたいけな一年生怖がらせてぇ、これで何度目だよ」 「知るか。勝手にビビってんのはあっちじゃねーか」 「お前の人相の悪さは生まれつきだもんなぁ。せめて睨むのやめて笑顔の一つや二つ振り撒けば女だって寄ってくるだろうに。あぁ可哀想」 「うるせ。そんなん出来てたら苦労しねぇよ」 「そりゃそうだ。お前のその厄介な顔と癖は折り紙つきだからな」  お蔭で俺は今日も腹が痛いよとにやにやと口の端を吊り上げて言うと、そのまま下痢になれと舌打ちと共に悪態を吐かれる。  達也は普通にしていれば顔立ちが良いし瞳の色素が薄いせいか金髪だって様になっている。  しかし子供の頃から目つきが悪く、無意識にガンを飛ばしてしまう癖があった。人見知りの気のある達也は基本的に無愛想で笑わないからいつも怒っているという印象さえ与えがちだ。 「つか何それ」 「あいつらの落し物。渡そうとしたら逃げられた」  達也の手には四つ折りにされた紙切れが握られていた。和希がそれをひょいと摘まみ上げて開くと、買い物リストのような単語の羅列が目に映る。 「おいこれ失くしたら困るだろ。どうしよ和希、あいつら何組だ」 「阿呆かどうするも何も勝手に落としたのはあいつらだろ。こんなもん別に失くしたってどーって事ねぇよ捨てとけ」  からりとそう言いながら紙切れを達也に突き返すと、達也は目を細めてじとりとした視線を和希に向ける。 「お前ほんと冷たいよな」 「フツーだフツー。たっちゃんは見た目不良の癖に良い子ちゃんでちゅもんねー?」 「見た目堅物眼鏡の癖して赤点ばっかのかずくんにそういう事言われたくないワ」  指先でぺしぺしと達也の頬を叩くと、達也は五月蝿そうにそれを払いのけ不敵に微笑む。和希は眼鏡のフレームに指を掛け外しながらくつりと笑った。 「眼鏡イコール真面目とは限らない。大体俺のはファッションだからな、見よこの美しいアンダーリムを。べっこうのような絶妙な柄のリムと程良い太さの黒いツルが良い感じだろ」 「いや分かんねーし。茶色のまだらとかじーちゃんか。っていうかお前のそれはゲームのし過ぎとアレルギーだろ」  地味好み、と言われ肩を竦める。控えめなのが良いんじゃないかと言うと達也はハイハイと適当な返事を乗せてくるりと背を向けた。  そして和希は当然のように達也の左に並び、ああそういえばと口を開く。 「期末テストの順位貼り出されてたろ。見に行こうぜ」 「どうせお前いねーだろ」 「俺はな」  進学校でもないのにこの学校は毎回期末テストの成績優良者の貼り出しが行われる。名前が載るのは各学年上位二十人までだ。  貼り出されてから数日経った今日、掲示板の前ではぱらぱらと気持ちばかり生徒が立ち止っているだけだ。  男子校の為印字された名前は当然男らしい名前が多い。本来一位の名前から見ていく人間が多いのだろうが和希の視線は真っ先に下方へと向けられる。  一瞬で捉えた鷺沼達也という見慣れ過ぎた名前は十八位の欄にあった。 「何だ、今回も滑り込んだな。そろそろキツイんじゃないのか?」 「数学とかどんどん難しくなってっからなー。でもまぁこれで当分頭維持できるわ」 「飽きねえなぁ。早く成績落とせよ、したら俺がまっ黒ぉく染めてやるから」 「ぜってーヤダ」  うりと肘で小突くと達也は笑って小突き返す。  達也が校内で何気なく名を轟かせているのはここに理由がある。達也はこんな(なり)だが不良と呼ぶには頭が良かった。  抜群に優秀と言う程ではないが毎回十位から二十位の間に名前が上がる。教科毎であれば十位以内に食い込む事もあるだろう。  そしてこの恰好から教師に目をつけられがちな達也は生徒指導のおじいちゃん職員に二十位以内をキープ出来たら見逃してやると言われて金髪を維持し続けている。  だからと言って金髪でいる為に勉強をしているのかと問われるとそれは少し違うような気もする。やる気を出す理由の一つにはなっているだろうが、達也は元々きちんと勉強するタイプだ。だから比較的成績の良い達也にとってそれは無理をしてのランクイン、と言う程ではない。  勿論努力はしているだろう。けれど和希はそんな達也を頭のつくりが違うんだな、と割り切っている。  達也とは逆に和希は勉強が全く出来なかった。  やりたい事しか熱中出来ない和希にとって勉強は苦以外の何物でもない赤点常習犯だ。だが手先は器用で身体を動かす方が好きだから家庭科や体育はほぼ最高評価を獲得している。 「ま、今回も俺の圧勝だな」 「何だよ、俺に喧嘩売る気か? 午後の体育長距離走だろ、勝負しようぜ。勝った方がダッツ奢りな」 「はぁ?! それずりーだろ。しかも何ダッツて高過ぎるわ」 「たっちゃんビビってんのー? それでも男?」 「ビビってねーし! いいぜ受けて立ってやらぁ!」  達也はぷりぷりと頬を膨らます。乗せられやすい達也に和希はくつくつと口角を上げて笑い、廊下を歩き出すと達也は何の疑問もなく和希の右側に並ぶ。  達也が右を歩き和希が左を歩く。この位置は十年間変わっていない。  小さい頃引っ越した先の隣の家に住んでいたのが達也だった。  当時達也は身体が弱く、頻繁に学校を休んでいたから家に籠りがちできっと寂しかったのだと思う。和希が学校帰りに遊びに行くと達也はいつも嬉しそうに出迎えた。  気づけばいつも一緒にいたし、小中高と同じ学校に通っていたから最早腐れ縁だ。 『たっちゃん』『かずくん』とお互い呼んでいたその呼び名は『達也』『和希』へと変わり、クラスが分かれてそれぞれ友達をつくる事はあっても毎朝一緒に登校する習慣は途切れない。  それはもう癖のようなもので、二人でいるのが当たり前だった。  高校二年の今のようにクラスが被れば「同じかよ」とお互い呆れながらも心の中では喜んでいる。  あまりにも傍にい過ぎたから和希は本人以上に彼を知っている自信があるし、彼もまた和希の事をよく知っている。 「あーくっそ、負けた」  バリッとアイスの包装を破って細い棒を引き抜くと水色の四角い固形が姿を現す。達也はガリッとそれに齧りつき不満そうにもごもごと咀嚼した。 「バリバリ君で許しただけ光栄に思えよ」 「当然だっつの! 俺金欠なの! 大体和希長距離得意じゃん。短距離ならまだ見込みあんだけどなー」 「お前逃げ足だけは早いもんな」  剥いだ包装をコンビニのゴミ箱に投げ入れ、自転車に寄り掛かりながらシャクシャクと氷菓を噛み砕く。飲み込むとツンと頭の奥が沁みた。  見た目も中身も正反対の二人だから何故そんなに親しいのかと聞かれた事がある。  和希の長所が達也の短所、達也の長所が和希の短所なんて腐る程ある。見た目と中身が伴っていないという点ではそっくりだと言えるが、どうしてと聞かれても返答に困る。  以前その話を達也とすると、達也は俺と和希はパズルみたいなものだからだと不思議な回答をした。 『和希といるのはパズルのピースがぴったり合うみたいで居心地が良い。だから俺は変だとは思わない』  成程。それは和希にも分かる。  けれどこの時、和希は達也が考えているのとは別の意味で本当に『そう』だと感じた。それは達也のように純粋で綺麗なものではなく、やましく汚いものだ。  その事に達也は気付いていない。

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