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第2話 達也と和希 -2-

 溶け出すアイスをすべて齧り終えると、和希は木の棒を咥えて残りの甘い汁も舐め取る。 「達也、今日頭やらせろよ」 「良いけど、それならうち来るよな? めし食ってくだろ? 今夜ビーフシチューだってよ」 「マジで? 食う食う」  和希の叔父は美容室を開いていて、和希は週に三日そこで小遣い稼ぎをしている。  仕事内容は雑用ばかりだが、美容師を目指している和希はよく達也の頭を借りてシャンプーの練習をしていた。  自転車を漕ぐ事二十分。和希の家の前を素通りして達也の家の前に着く。 「また来たのかよ和希。暇人だなー」 「直也ぁ、良いのかそんな口聞いて。折角デザートにプリン買って来たんだけどなぁ。ま、お前の分も俺らがおいしーく食べてやるから安心しろ」 「ちょっ何それズリィ! 高校生の癖に大人げねーぞ和希!」  悪かったから俺のも残しといてよ、と達也の弟・直也が喚く。どうやら友達が遊びに来ていたらしく、子供部屋を覗き込むと大人しそうな少年がちょこんと座っていた。  プリンは達也の両親と直也、そして自分達の分を五つ買った。達也も来客に気づくと袋の中からプリンを二つ取り出し少年に手招きする。  達也は無意識に厳めしい顔をしてしまう為当然その少年は達也を見て青ざめていた。  達也は溜息を吐いて直也に振り返り、仲良くお食べとプリンを見せる。直也は大歓喜で少年の手を引き、手を洗いなさいと言う達也の指示に従い洗面所へ向かった。 「相変わらず達也は子供に甘いな」 「あー、余分に買っときゃ良かった。和希、半分食わせろよ」 「はいはい」  達也は居間のテーブルの上に二人分のプリンとスプーンを置き残りを冷蔵庫に仕舞う。  達也は優しい。無愛想だし不器用だが、よくもまあ自分の物を譲ってまで赤の他人に与えられるものだと和希は感心すら抱く。 「他人って言っても弟の友達だぞ? 新しく出来た子みたいだし、折角来てくれたんだから何か出してあげたくなるじゃん」 「その考え方が俺には理解出来んな」  シャー、とシャワーの細かい水滴が金色の髪の毛を濡らす。椅子に座って上体を反らしている達也の目元にはハンドタオルが掛けられ、その下の唇からくすくすと笑い声が零れた。 「お前弟だもんな」 「姉貴とは常に奪い合いだったからな……優しい姉貴が欲しかった」  和希には三つ上の姉がいる。県外の大学に進学した為年に二回程しか返って来ないが、達也の家程兄弟仲が良い訳ではないから姉恋しくなる事は正直言ってない。  ただ和希の両親は共働きで忙しく、夜遅くに帰って来る事が多い。その為家に一人でいる事の多い和希は、食べてってよと言う達也の母の言葉によく甘えていた。  和希の家の女性は強く逞しいが、達也の母は母性という言葉を体現したかのような優しく人情のある女性だ。  達也の容姿は父親譲りだが性格の根幹は間違いなく母親のものだろうと和希はつくづく思う。 「痒いところはございませんか?」 「んー、平気。やっぱ俺お前の手好きだなぁ。すげー気持ち良いわ」  眠いのか、達也の声は砂糖を含んだようにとろんと甘い。それを聞いた和希の口元はゆるりと綻んだ。  和希はこの時間がとても好きだ。  達也の柔らかい髪に触れ、金色を泡に馴染ませる。自分の手で清めていくこの感覚が堪らない。  達也のこの綺麗な金髪へと毎日注がれる様々な思惑の孕んだ視線の塊を丁寧に丁寧に解して流していく。そうして生まれ変わった達也の髪に一番初めに触れるのだ。 「和希にブローしてもらうとすっげつるつるになるんだけど、そのオイル使っても俺こんな風にならないの何で」 「お前は雑なんだよ。ただでさえ色抜いてんだからもっと丁寧に扱え。お前俺がいなかったらその頭ボロボロだぞ」  ドライヤーを終えると、日中はワックスで跳ねていた髪がすとんと頭に沿う。つやつやとした髪を撫でながら不思議そうな声を漏らす達也に和希はやれやれと肩を竦めた。 「これからも末永くよろしくね、かずくん」 「たっちゃんの面倒臭がり」  悪態を吐きながらも和希は満更でもなさそうに口角を上げる。  夕刻になり、直也の友達の少年は帰って行った。恥ずかしそうにもじもじと達也にご馳走様を言う姿はいじらしい。  何だかんだ子供に懐かれる達也の事、これから少年が何度も来るようになれば彼もきっと達也に怯えなくなるだろう。  付き合いが長いとそういう先の事も読めてしまうから、別に優しくしなくても良いのにと思ってしまう。  達也の無償の愛は、時に和希を苛立たせた。 「あの子と直也見てたらちょっと昔の事思い出したわ」 「どゆこと和希?」  食器を洗っている達也の隣で和希はサラダ用の野菜を切る。達也は母親の帰りが遅い時度々代わりに夕飯をつくる為料理はするのだが、包丁さばきは和希の方が上手だ。 「俺達もよく二人でお互いの家行って遊んでたじゃん。まあお前は大人しいっていうよりツンケンしてて、仲良くなればうるさいんだけど」 「悪かったな人見知りで。和希は……何つーか、悪戯好きだったよな。人弄んの好きだろ」 「好きだねぇ。お前も弄り甲斐あって良いよな」 「それ嬉しくない……」 「何だ、折角褒めてんのに」  どこが、と怪訝そうな顔を向けられ和希はくすくすと笑う。  ごめん遅くなって、とやがて達也の母が息を切らして帰って来た。  この家の食器棚には和希専用の食器が一揃え置かれている。当然のように和希もテーブルにつき、帰りの遅い達也の父親を抜いた四人で食事を取る。  和気藹々とした温かい食卓。  美味しいし楽しい。  けれど、その優しい時間を和希だけが彼らと同じようには共有出来ない。 「和希、うち泊まってけば? 今日もおばさん達遅いんだろ?」  しゃがんで靴を履く和希に達也が声を掛ける。踵を靴の中に押し込めると、振り返り鞄を拾う。 「そうだけど、今日はいいわ。する事もあるしな」 「マスかくんか」 「そうそう」  先にふざけたのは達也なのにさらりと和希が答えると達也は面食らった顔をした後そっかと笑う。 「また明日な」 「おう」  手を振る達也に返事をして重い扉を開く。  外は暗いが、鍵穴に鍵を差し込んで自分の家の扉を開けるとそこはもっと暗い。  冷えた家の中を慣れた手つきで明かりを点ける。  別に寂しいとか、独りを悲観している訳ではない。この環境は今に始まった事ではないし、和希にとってはこれが普通だ。  冷たいよな、と達也は言った。  けれど半分冗談で紡がれたあの言葉は真実和希という人間を表現している。  和希は基本的に淡白な人間だ。物事を常に客観的に捉え、協調性もあまりない。好きなものにはとことんのめり込むが、そうでないなら無気力に受け流す。  本当に何から何まで達也とは違う。  彼が何の疑問もなく普通に抱くであろう慈しみが時に許せなくなる。 「心、狭いな。俺」  どんな悪態を吐いても喧嘩をしても達也は和希を嫌いにはならない。  もし、仮にだ。和希が達也の家族を殺してしまったとしても彼は自分を憎み切れないのではないか、もしかすると許してしまうのではないかと思えてしまう程に彼は情が深く、和希を信頼しきっている。  無愛想な顔が解れるのも内側の穏やかさを見せるのもそれは長年の親友である和希にだけだ。それを和希は自負している。  けれどそれが今では仇となる。  親友という最高で最悪のレッテルに吐き気がしそうだ。 「あぁ、汚してぇな」  彼の前ではとても言えない言葉を一人きりの家の中で吐き出す。  和希はもうずっと前から達也に友情とは異なる感情を抱いている。  それは友情と呼ぶには穢れていて、愛情と呼ぶには歪んでいるものだ。  和希はただ一人、自分だけが達也に愛されたかった。『特別な友達』だけでは足りない。彼の心も身体もまるごと欲しい。  けれど達也はそうじゃない。  そうじゃないから、和希はずっと達也に片思いをし続けている。

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