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第9話 息もできないくらいの、あまいキスを
卒業式当日、卒業証書授与が終わって教室へ戻る途中息を荒げた達也に腕を掴まれる。
「和希、ちょっと来て」
達也の髪は少し伸びて色も抜け始め、地毛より少し濃い位の茶色になっていた。和希は列から反れ、腕を引かれるまま人の流れに逆らって走り抜ける。
「抜け出すなんて不良みたいじゃん」
「最後位良いだろ。どうせ散々言われてきたんだ」
ははっと笑いながら階段を掛け上がる。屋上に出ると気持ちの良い風が吹いた。
「何で屋上?」
「ここならバレなさそうじゃん。――それよりさ、」
そう言うと、達也は徐にスマートフォンを取り出し画面を操作する。そして受験票と共に画面を和希に見せた。
「俺、大学受かったぜ」
受験票と同じ番号をスマートフォンの画面の中に見つけて和希はばっと顔を上げた。
「え、嘘。何、マジで? 何これどういう事?」
「マジ。ネットでも合否分かんの。今日合格発表だって言ったろ? 家帰ったら通知書来てると思うけど、待てなかったからさっき調べた。したらこれよ」
に、と達也は満面の笑みを浮かべる。
「おっまえ……! この、おめでとう!」
わしゃわしゃと達也の頭をもみくちゃにすると達也はやめろよと言いながらも嬉しそうに笑う。
「和希、和希」
ぎゅっと抱き締められ和希も抱き返す。受験ストレスか、達也の身体は以前より少し痩せていた。
「応援してくれてありがとう和希。俺、一番にお前に言いたかったんだ」
その言葉が嬉しくて、少しだけ後ろめたくて、和希は顔をくしゃりと歪めてそうかと呟いた。
何も離れ離れになると分かっていて健気に応援してきた訳ではない。恐らく和希にはそんな真似は出来ない。
和希は自分の中で整理をつけた時、一つ賭けをしていた。
「これでお前との腐れ縁も終わりか。あー、そうなると金髪に戻してもメンテしてくれる人いなくなんのかぁ」
脚を広げて座り金網に寄り掛かる達也は手入れ続けられそうにないわと苦笑いを浮かべる。その声は少し寂しげだ。
和希は達也の左隣に立って金網越しに建物を見下ろしながら口を開く。
「週一で面倒見てやるから安心して戻せよ。近くにいながら傷めさせるなんて俺が許さねぇよ」
「はは、太っ腹だなーかずくんはー。俺が決まった東陵大学って神奈川だぜ? 栃木から神奈川って言やぁ電車でも行けないこたねーけど、それをお前週一とか」
「阿呆、近くに住んでなきゃお前の髪の為なんぞにそんな労働力働けるか」
「そうだよなー! 近くなきゃ……え?」
はた、と目を見開かせて達也は顔を上げる。和希はちらりと達也に一瞥を送りにやりと口角を上げた。
「俺、春から東京の専門行く事に決まったから」
「はあああああ?!」
達也はがばりと起き上がるとどういう事だと和希に詰め寄る。達也の驚く顔を見て大満足の和希は肩を震わせて笑った。
「ちょっと待てよそれ聞いてねーんだけど?!」
「お前の耳に入りそうな人らには口止めしておいたからな。いやぁホント、合格おめでとう達也。ちょっとだけ離れはするが何、電車ですぐだ。しかもお前のとこ東京寄りだろ?」
腐れ縁は続行だなぁとからからと笑うと達也は顔を赤くしてやられたと頭を抱える。
和希は自分との賭けに勝った。
達也が第一志望を神奈川の大学に狙いを定めた時、和希も高レベルの技術を学べる東京の専門学校を目標に定め、秋には入学も決まっていた。
だからもし達也が受験に失敗もしくは進路先を変えようものなら達也の事はすっぱり諦めて美容の勉強に勤しむつもりだったのだ。
「あーもー何だよー! あ、ならいっその事一緒に住むのも手か? 部屋賃半分で済むし良いんじゃないの」
「いやお前は寮に入るんだろ? 半分で済むって言っても向こうはこっちと比べてやたら高いし交通費考えても寮の方が確実に安いって。つかお前と一緒に住むとかありえねぇ」
「かずくんひどーい!」
「俺の理性が持たねぇんだよ」
ぼそりと達也に聞こえないように呟くと達也は何か言ったかと首を傾げる。
気分が良いからだろうか。今ならあの時の事を聞ける気がした。
「なぁ達也、お前が二年の時彼女にフラれて熱出した時の事本当に覚えてねぇの?」
「熱出した時って……」
「保健室で俺がお前に何したのか、お前、本当に覚えてない?」
ほけんしつ、と達也の唇が言葉をなぞり瞳の色が変わった。
和希はそれを見逃さない。
達也の腕を掴み、揺れた茶色の瞳を射抜くように見つめた。
「……覚えてた?」
視線を逸らす達也は否、とゆるゆると首を横に振る。
「ち、違うんだ。本当にあまり覚えてなくて……ただ、うっすらと何て言うか……感触と、お前がいつもと様子が違ってたのは何となく記憶にあって。ただそれがあまりにもぼんやりしてたから夢なのかと思ったんだよ。……違うのか?」
戸惑うように視線を下げる達也の頬は少し赤い。
「違う、と言ったら達也はどうするんだ。俺を避けるか?」
「どうして俺が和希を避けるんだ?」
怪訝そうな顔をする達也に和希は面食らう。
「俺にキスされてお前は嫌じゃないのか?」
「それは、……嫌なら、何度も夢に見たりしないだろ……」
「お前、そんな夢見てたのか」
達也ははっとして口に手を当てる。そして恨みがましくお前が悪いんだろうと罵った。和希は深く溜息を吐く。
「達也、マジで勘弁してくれ。俺ここまで来たらもう止まれる自信ないぞ」
「なっ、何だよ俺のせいかよ! つかキモいぞ」
「キモい言うな傷つくだろキスすんぞ」
「すればいいじゃねーか受けて立つぞオラお蔭で俺は自分が変になっちまったのかと余計に悩む羽目になったんだからな!」
勢いのまま返されるその言葉に和希は目を見張らせる。
「お前自分が言ってる意味分かってる?」
達也はさっきよりも頬を赤くして、分かってるよと目を逸らして吐き捨てる。
「これ位の事で俺達の友情が終わると思ってんならぶん殴るから」
「友情ねぇ……」
まだそんな事を言ってられるのかと苦笑いを浮かべる。
親友とのキスを何度も夢に見て悩んでそれで実行しようとするなんて、達也の中でそれが『友情』の範疇を越えようとしている事にまだ彼は気付いていない。
もし達也と離れる事になった時には潔く身を引いて、なんて出来る筈ない。それならいっその事物凄く酷い事をして、その心も身体も一生忘れられない傷を負わせてから絶縁でも何でもされてやろうと思っていた。
けれどこれでは結局する事は大して変わらなそうだ。
和希はちろりと唇を舐め、唇を弓なりに曲げる。
「もう俺、我慢するのは止めるわ」
達也の後頭部を捕え、ぐっと顔を寄せる。
長い睫毛の下で茶色の瞳が揺れる。それを鏡にして映る自分は何とも楽しそうな顔をしていた。
(ああ、そうだ。とっても楽しい)
キスをしてしまえば終わると思っていた。
けれどこのキスはきっと始まりだ。
「お前は優し過ぎてたまに怖い」
「馬鹿言え、こんなの誰にでも許す訳ねーだろ」
息が触れる程の距離で聞くその声は乱暴に紡がれるも溜息が出る程に和希を酔わせる。
「その言葉、俺以外の誰にも言うなよ」
達也の唇がぴくりと震える。睫毛を伏せたその瞳にはじわりと熱が灯っていて、ああ、本当に堪らないと思った。
そうして二度目のキスを交わす。
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