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――9月10日。
惣菜を箸で摘まみ、恋人である夜鷹の口元へ運ぶ。
夜鷹はそれを素直に口にし、数回咀嚼したあとごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。
「まずい」
夜鷹の口から発せられた言葉がそれだった。
「もっと美味い飯作れないわけ?この役立たず」
「……ごめん。作り直すよ」
「は?いいよ。腹減ってんだよ、さっさと食べさせてよ」
「……うん」
夜鷹には、手足がない。
約一年前に電車の事故に遭い、手足を失ったのだ。
あの事故があってから、夜鷹は人が変わってしまった。
理不尽に怒鳴り、暴言を吐くようになった。
俺は、一人では何もできなくなった夜鷹の世話をしている。
一人で何も出来ず、暴言ばかり吐く夜鷹を疎ましく思った事はない。
だってこれは、俺が自分で選んだ道だから。
事故の直後、意識不明の状態から奇跡的に回復した夜鷹は、全てに絶望していた。
まあそれも無理もない。
目覚めたら自分の手足がないのだ。
そんな状況におかれて平気で居られる方が異常だ。
絶望に染まり泣き喚く夜鷹に、俺は「一緒に暮らそう」と言った。
それからお互いの両親の反対を押し切って、夜鷹と俺の共同生活が始まった。
『俺が夜鷹の手足になる』
一緒に暮らすと決めたあの時に、俺はそう誓った。
今日から五日後の、9月15日。
その日で夜鷹が手足を失って、丁度一年になる。
――夜鷹の全てが、俺に委ねられている。
食事や洗濯、掃除は勿論、着替えや風呂……
そして排泄までもが全て俺に任せられている。
夜鷹は俺の補助なしでは生活ができない。
手足のない人間の介助は決して楽なものではなかった。
だけど、この生活を苦に感じた事は一度もない。
ベッドで静かに寝息をたてる夜鷹の顔を眺める。
夜鷹はとても美人だ。
中性的な顔立ちで、睫毛がとても長い。
鼻が高く、全体的に日本人離れしていて、まるで人形のようだ。
俺にとっては他の何よりも美しく見える。
夜鷹がまだ五体満足で学校に通っていた頃、異性に人気があったのを覚えている。
俺は夜鷹が誰かと楽しげに話をする度に嫉妬して、勝手に傷付いていた。
夜鷹を自分だけの物にしたいと、いつも密かに思っていた。
「うう……」
静かに眠っていた夜鷹が、苦しそうに唸る。
「夜鷹……」
「あう……うっ……」
「痛むのか?夜鷹……」
「ああっ、ううぅ……ッ!」
――幻肢痛。
怪我や病気によって四肢を切断した患者の多くが体験する、難治性の疼痛だ。
あるはずもない手や足が痛む。
例えば足を切断したにもかかわらず、つま先に痛みを感じるといった状態を指す。
手足を失った直後からずっと、夜鷹はこの症状に苦しんでいた。
痛みを感じているはずの部位は実際には失われている為、痛み止めの薬や麻酔などは当然のごとく効果がない。
決定的な治療法が見つかっておらず、医者にもどうする事もできない。
俺はただ、苦しむ夜鷹を見守る事しかできない。
「ああっ、あ゛っ」
「夜鷹……」
夜鷹の髪と額をそっと撫でる。
額には脂汗が滲んでいる。
「うぅっ……」
痛みに唸る夜鷹を見て、俺の心もズキズキと痛んだ。
心臓が握り潰されるような痛みが、俺を襲う。
夜鷹が苦しんでいるのに、俺は何もできない。
痛みを共有する事も、痛みを緩和させてやる事も、何も、できないのだ。
俺は無力だ。
そう思うと、胸の痛みが一段と激しくなった。
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