5 / 24

《逃避行 第Ⅰ章》瞬きの波④

「初めまして。宇居(うい) 唯太(ゆいた)、9才です。昌彦がお世話になっています」 「唯、呼び捨てにすんな」 困り顔で、濡れた前髪を昌彦が掻き上げる。 「俺は……仁井田 湊。警官です」 「はい、昌彦から聞いてます」 にこりと笑うと、戸惑いがちに湊さんが微笑んだ。 「唯君…は、昌彦の子供?」 そっか。 さっきから湊さんは、この事を気にしてたんだ。 「……な訳ねーだろ」 フッと鼻を鳴らした昌彦の目は優しい。 「東京空襲で孤児になってな……たまたま俺が拾った」 「……ごめん」 湊さんは悪くないのに。 この時代、親を亡くして孤児になるなんて話、何にも珍しくない。 なのに湊さんは、しゅん……としてしまった。 「唯、ちゃんと拭け。髪濡れてんぞ」 防波堤から足を滑らせて、溺れた僕を助けようとした湊さんも溺れて、昌彦も海に飛び込んで……僕ら三人はびしょ濡れだ。 通行人のご婦人が親切に下さったタオルを昌彦に投げられて、僕は濡れた体を丁寧に拭いた。 「湊は俺が暖めてやるよ。風邪引かねーように♪」 上半身裸で、後ろ抱きにした湊さんの胸の突起を、きゅうっと昌彦が摘まんだ。 「ァっ」 小さく声を上げた湊さんの顔が赤い。 ……僕、見ちゃいけなかったのかな? 防波堤の下 まだ冷たい春の海 誰もこんな所に人がいるなんて、思わないんだろうなぁ。 ザブン 打ち寄せた波が白い泡を残して消えた。 「湊、お願いがあるんだけど」 「分かってる。今夜は俺の部屋に来い。唯君も一緒に」 「ありがとな、俺の可愛い恋人(アモーレ)」 きゅうっともう片方の小さな胸の実、引っ掛かれて、ャアんっ……って。 湊さんが可愛らしい悲鳴を上げた。 気持ちいいのかな? 湊さん、恥ずかしそうに下向いてる。 「唯、拭いたら湊ん()行くぞ。明日は早いから早寝しろ」 「お前達、どこか行くのか?」 「あぁ、湊も一緒にな」 約束したろ、逃避行 こうして 僕らはこの街で、束の間の小さな家族になりました。

ともだちにシェアしよう!