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第1話

尾津(おづ)男子高等学校は全寮制の高校であり、地元で自慢の名門校でもある。 厳しい上下関係や規則に鍛えられた生徒。 心身共に逞しく育った青年が世に送られる。 ─表向きにはそうなっている。 ───────────────────── 「もう帰りたい……」 入学式と新クラス発表というイベントに揺れ続ける教室で一人、僕は部屋の隅でため息をついていた。今日という日を忘れないだろう。こんなにも過去の自分の選択をを恨み、後悔したことは無い。 シワ一つない真新しい学ランに、プラスチックの臭いが残るカバン。ピカピカの入学生の象徴だ。 本来ならこれから始まる高校生活に胸を踊らせるだろうが、僕は違う。 「田賀、さっきから死にそうな顔してるぞ。……まあ、気持ちは分からんでもないが」 楽しげな動物園と化した教室で、憂鬱を擬人化したような僕に話しかける奴は一人しかいない。 机に突っ伏せていた顔をゆっくり上げる。そして返事をした。 「馬瀬……。お前はよく平気な顔してるね」 僕の現時点で唯一の友人は、目の前の椅子にドカリと座った。 「正直、オレもすごく後悔してる。計算外の出来事が起こり過ぎて疲れた」 馬瀬も僕と同じように机に顔を伏せた。人間は本当に疲れると、どんな場所でも眠れるようだ。 馬瀬が机を占領したので僕は腕を組んで目を瞑った。夢でもいいから少しだけ現実逃避をしたかった。 ───────────────────── "憧れ"なんて言葉は聞こえは良いが、要は自分の理想に取り憑かれているだけだ。 尾津男子高等学校、通称オヅ高はこの地方の男子達にとって憧れの学校である。 高い倍率の受験を突破し、無事入学すると、「向かいのお宅の◯◯君は尾津高校へ通っているそうよ。凄いわねぇ」なんて近所で噂されるのは日常茶飯事だ。 僕と馬瀬は昔からの腐れ縁で、進学する高校も同じにするつもりでいた。 楽しい高校生活を送りたい。そんな漠然とした理想を掲げていると、ある日馬瀬がこんな提案をしてきた。 「尾津高校へ入学出来たらカッコよくないか?」 「尾津ってあのオヅ高?成績よくないと無理でしょ」 僕が鼻で笑うと、馬瀬はグッと顔を近づけた。 「無理だと思うことに挑戦するのは素晴らしいことだぞ」 今思えばアイツの台詞は少年漫画の受け売りだったが、当時カッコつけたがりだった僕はまんまと乗せられてしまった。 勿論、両親には猛反対された。 「合格出来るわけないだろう。全寮制だから色々大変だ。それでもいいのか」 しかし俺はその有難い意見を振り切ってこう言い放った。 「無理だと決めつけたく無いんだ。今は挑戦してみたい」 ─自分に酔っている人間は何をやらかすのか分からない。 結局、言葉通り二人揃って合格した。 ───────────────────── チャイムの音で目が覚めた。重い瞼を擦りながら時計を見る。ぐっすり眠ったと思っていたが、まだ数十分しか経っていない。さっきまで騒がしかった教室は静まり返っており、馬瀬と僕の二人しか残っていなかった。 馬瀬はとっくに目を覚ましていたようで、スマホを触りながら菓子パンを食べていた。彼は伏せていた顔を上げた俺に気付いたようで、スマホから目を離さずにこう言った。 「昼飯まだだろ。購買で何か買ってきたらどうだ?」 そうだね、と僕は呟き席を離れる。 急ぐ必要はなかった。今日は午前中で授業が終わってしまうからだ。なので今は放課後の扱いになる。 校内探索も兼ねて僕はゆっくり購買に向かうことにした。 ───────────────────── 僕と馬瀬がここまで疲労困憊している理由は、僕たちの認識の甘さが招いたものだ。 僕たちは特に下調べもせずに志望校を決め、そして受験を合格してしまった。 寮の仕組みや学校の噂をロクに知らずに入学した僕たちは、寮の部屋は相部屋になれると信じて疑わなかった。 「二人で同室は無理だとしても新入生と相部屋だろう」 「まさか違う学年の生徒と同じ部屋にならないだろう」 そんな甘い幻想は一瞬にして打ち砕かれたのだ。 入学式前日に配布された部屋割りを見て、僕は絶望した。 二人部屋に配置された僕の横に、全く知らない名前が並んでいた。"二年生"という単語を添えて。 直ぐに馬瀬に電話した。彼は最初こそ能天気な様子だった。しかし受話器越しに僕の焦りが伝わったのか、彼の声のトーンがどんどん下がっていった。 「離れちまったのは残念だったな」 「馬瀬はいいじゃん。奇跡的に一年生と同じだったんだからさ」 僕がそう言うと、馬瀬は気まずそうにため息をつく。 短い沈黙が続いた後、突然彼がアッと声を上げた。 「田賀、同じ部屋になった奴の名前をもう一回言ってくれ。聞き覚えがある」 僕は頭をフル回転させ、未来の同居人の名前を思い出そうとした。 「えっと、確か鬼山龍二だっけな……」 「……終わったな、お前」 「どういう意味だよ?」 馬瀬は長いため息を吐くと、お経を読む時のような抑揚のない声で言った。 「鬼山先輩は有名人だ。─悪い意味で」 受話器を持つ腕が疲れ始めた頃にやっと通話が終わった。窓の外の街は陽がすっかり沈み、闇に飲まれてしまっている。 彼の長々しい話を割愛し、分かりやすく脳内でまとめた。 僕と同室になった先輩は昨年、校内暴力事件を起こした後に大怪我をした。そのせいで出席日数が足りずに留年したそうだ。 なんとその事件は不良同士の殴り合いではなく、彼が一方的に優等生の生徒会長に殴りかかったらしい。 なんて恐ろしい人物だろう。 友人と離れてしまったことはかなりの衝撃だったが、地元一の名門校に不良が在校しているのにも驚いた。 風呂に入って心の疲れを取ろうと、ベッドから起き上がる。それを待ち構えていたかのようなタイミングで電話が鳴った。馬瀬からだ。 「田賀、今時間ある?まだオヅ高のヤバイ噂あるぞ」 これ以上ショッキングな話をされたら、僕の心が壊れてしまう。 「明日でいい。入学式の後ならいくらでも時間あるだろ」 雑に受話器を置き、部屋から出た。 今思えばあの時、僕は彼の噂話に耳を傾けるべきだったのだ。

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