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来年のことを言えば鬼が笑う

 お前は何でいつもそんな顔をしているんだ。  そのしかめっ面をやめろ、笑え。  昔から何度も聞いた台詞。そんなこと言われても、俺はどうすればいいのか分からない。心の底からじゃなくていい、作った笑顔を浮かべたらいのだろうけど、上手くいかない。  一度、そうやって言ってきた人間に助言を求めたことがある。『楽しいことを想像すればいい。明るい未来や夢を』ソイツは当たり前のことように言ったっけ。  皆んなが出来ている当たり前のことが出来ない俺といてコイツは楽しいのだろうか。隣で机に向かって唸っている恋人を眺めた。 「鬼山先輩〜。助けてくださいよ…」 「今回ばかりは無理だ。それは田賀が自分で考えることだ」 「そうですけど……」  田賀は再び机に向かった。机上には真っさらな状態のプリントが置かれていた。先程から彼は長い間、その紙と戦っている。  高校二年生の冬。本人がどれだけ嫌がっても向き合わなくてはいけないことがある。進路だ。  丁度一年前、俺もこうして悩んだような気がするけど、もう遠い昔のように感じる。喉元過ぎれば何とやら、だ。 「行きたい大学とか、一度も考えたことなかったのか?」 「勿論ありますよ!先輩と同じ大学目指してますけど、現実的な目標じゃないからこうして喚いてるんです…」  田賀は突っ伏したかと思えばいきなり立ち上がった。 「非現実的な第一志望校は変えるつもりありませんからね!今から頑張れば何とかなります。まあ、それにこの用紙は明後日提出だからそこまで焦る必要ないか…」  彼はそう呟いて机から離れた。どうしても決められない第二、第三志望校は後日決めるらしい。 「後回しにして大丈夫か」 「ちょっと休憩するだけです。例えば、たまには楽しい未来について考えるのもいいですよね」 「どんな未来だ?」 「もちろん卒業した後、先輩と暮らすことについてですよ。僕と先輩は大学からそんなに離れていないアパートの部屋を借りて、勉強したり遊んだりするんですよ」  それから田賀は未来について少し話した。田賀と俺の同居、都会の大学での学生生活。甘くフワフワした不確かな夢を楽しげに語る彼は、眩しかった。  当たり前のように、明るい未来を想像して人に話せる。それは素晴らしいことだと俺は思う。俺は、それが怖くて出来ない。口に出したら、実現できなかった場合の未来の存在を、生々しく感じてしまいそうだから。  去年のことを思い出す。高校生活が始まった矢先に直面した出来事。そこで思い知らされた自分自身の無力さ。 『俺なんて何も出来ない、そんな人間にどんな未来がある?』  あの経験が俺をそうさせていたのだろう。今まで、俺はそうやって未来について考えることを避けていた。  でも、今は違う。 「先輩は何がしたいですか?例えば、来年は卒業ですし」 「そうだな…卒業旅行は田賀と行きたい」  田賀の問いに自然と答えられた。口から溢れた夢は自分でも笑ってしまいそうなほどささやかなものだった。 「わあ、楽しそうですね。絶対行きましょう。どこにしますか?」 「そうは言ったものの、俺は人が多いところが苦手だからな…」 「気にする必要ないですよ!例えば温泉旅行なら人混みの心配する必要ないですよね」  田賀は前を向いていて生きている。そして、俺を前へ引っ張る力を持っている。田賀といると、俺は許されているような気になれる。こんな俺でも未来に希望を持って夢を語っても大丈夫だと、心の底から思える。  いつかこの部屋から出て行く時が来ても、また二人で過ごせる日はそんなに遠くないのだ。  また新しい部屋で過ごす日が、待ち遠しい。 「何でそんなにニコニコしてるんだよ」  田賀が溶けてしまいそうなほど緩んだ笑顔を浮かべていたので思わず訊ねてしまった。彼はその表情を崩さずに、小さく笑って答えた。 「先輩のそんな顔見てたら、思わず釣られて笑っちゃいました」  窓ガラスに映る自分の顔を見る。しかめっ面しか知らなかった俺は、幸せに惚けた顔をしていた。

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