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第10話

橙色に染まった寮の廊下を駆ける。傷んだ木製の床が足音と共に軋んだ。 あっという間に物置き部屋のドアの前に着いた。ドアノブに手をかける。すると中から声が聞こえた。 「福岡っ……それは嫌だ、やめてくれ」 「別にやめてもいいよ。その代わり、明日から田賀君を呼ぶけど」 「……分かった、やるよ」 先輩の力の抜けた声がする。そして呻きとも咳とも言えない声が聞こえた。 その瞬間、僕は崖から落ちても構わないという気持ちになった。熱いマグマのような覚悟が体の隅々まで行き渡る。 僕は力いっぱいにドアを開けた。 ロープを手にした福岡が、先輩に覆いかぶさっていた。 先輩は下半身に何も身に付けておらず、ワイシャツ一枚で押し倒されている。 そしてその二人を囲うように立つ二人の子分。手にはスマホとビデオカメラを持っていた。 「鬼山先輩っ!」 僕は無我夢中で二人の子分をつき飛ばし、福岡の背中を蹴った。そして先輩に駆け寄る。先輩は両腕を縛られているのか、動きにくそうだった。 床に脱ぎ捨てられたズボンを拾い、先輩の肩を抱いた。 「ここから出ましょう。頑張って歩いてください」 「田賀……」 先輩は力なく項垂れた。 僕がモタモタしていたせいで、尻餅をついていた子分が起き上がってしまった。 額に血管を浮き出した二人は、側にあった椅子を振り下ろそうと持ち上げた。 もう避けられ無い。そう思い、瞳をぎゅっと閉じた。 「馬鹿野郎。殺すのはマズイだろ」 背後から福岡の怒鳴り声がする。その声に怖気付いた二人の動きが一瞬止まった。 ─今だ。 僕は先輩の腕を引き、物置き部屋から脱出した。 夢中で逃げていたら、寮から随分離れた場所まで来ていた。見覚えのある校舎裏。ここが初めて先輩と会った場所だとすぐに気づかなかった。 先輩は湿ったコンクリートに座り、ズボンを履いた。 さっきは慌てていてよく見えなかったが、先輩の体にはたくさんの痣があった。特に首を締めたような痕が痛々しかった。 彼の苦しみに、どうして早く気付けなかったのだろう。 「助けてくれてありがとう」 先輩がボタンを掛け直しながらいった。 「早く気付けなくてごめんなさい…。僕なんかのためにこんな目に……」 「そんなこと言うなよ。俺が勝手に庇っただけだから、気にすんな」 先輩の隣に座る。彼は涙を見せなかったが、身体は小刻みに震えていた。 僕はそっと彼の体に抱きついた。 「去年、俺はお前と同じようなことをした。知ってるだろ。俺が生徒会長を殴った事件」 黙って頷く。先輩は独り言のように続ける。 「あの日、偶然物置き部屋の前を通った。そして生徒が福岡にレイプされてる場面に偶然出くわした」 「だから殴ったんですか?」 「そうだ。でも何も解決しなかった。被害を受けた生徒は自主退学し、俺は事故で大怪我」 「もしかしてその事故って」 「恐らく福岡達の仕業だと思う。階段を降りていたら後ろから押された。…証拠隠滅だな」 僕は先輩を抱きしめる力を少し強めた。 「そんな奴が普通に生徒会長やってるなんて……。僕は納得できない」 「俺も同じだ。だからこれを使った」 先輩がズボンのポケットから何かを取り出した。よく見るとそれは、ボイスレコーダーだった。 「これで証拠を集めた。これを警察と学校に届けるつもりだ。…俺は福岡の正体を暴くためなら、嫌いな人間とでもヤる男だ。失望しただろう」 「そんな風に自分を悪く言うのはやめてください。先輩が勇気を持って行動したことを誰よりも知っています」 瞬きをするたびに、耐えていた涙が頬を伝った。 「皆んなにどう言われても、僕は先輩の味方だよ。忘れないでください」 「……心強い味方だな」 いつの間にか先輩の体の震えは止まっていた。 先輩の黒い髪は夕日に照らされ、金色の光が煌めいていた。 僕は、その夕焼け空に負けないほど赤い彼の唇を見つめた。 そして唇が触れるだけの軽いキスをした。 無意識にしていた。自分でも驚くほど自然なキスを。 唇が離れる。先輩は僕を上目遣いで見つめた。 先輩が僕の後頭部に手を添えた。もう一度重ねられた唇は、なかなか離れなかった。 「部屋にそろそろ帰ろうか」 「そうですね」 夕日に背を向けるように、僕たちの暮らす部屋へゆっくりと歩き出した。

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