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第1話

 月曜日の夜は他の曜日と比べ、飲み歩く人々が少ないそうだ。一般企業や役所勤めは、だいたいが暦どおりの休みが割り当てられており、土日のオフで好きなこと――例えばパブやバーで飲むとか、スポーツをするとか、パートナーとの情事に耽るとか、をしてリフレッシュするからか、仕事が始まる月曜日の夜には、家庭での肩身が狭い中年男性ばかりが居酒屋に集っている印象があるとかないとか。  その根拠に関して真偽は定かではないが、ソーホーの外れにあるこのゲイバーも例外ではなかった。1月29日月曜日、時刻は夜の6時57分。開店してから小1時間ほど経つが、今のところ中年男性はおろか、誰ひとりとして来店せず、私は厨房カウンターの椅子に腰かけ、ぼんやりとしていた。  つい最近、年が明けたかと思ったのに、気づけば1月も終わろうとしている。歳をとる毎に月日の流れが早く感じるというのは本当だった。  連日、「この冬一番の寒さ」を更新するようになり、今夜も肌に容赦なく突き刺さるような夜風が吹き荒び、歩いているだけなのに拷問を受けている気分になる。ロシアではウォッカで酔っ払い、そのまま道端で眠ってしまった人が、翌朝凍死していた なんて話があるが、ここロンドンで同じことが起きても不思議ではないだろう。  肩にかかるほどの長さのダークブロンドの髪を手ぐしでまとめて縛り、水洗い場で手を洗う。この髪型にも飽きてきたので、気分転換もかねてばっさりと切ってしまおうか。けれどもこの極寒の時期、首元を髪で隠せるのはとても有り難いから、切るとすれば春先か……。なんにせよ、早いところ暖かい季節がやって来ることを願うばかりだ。  所在なげに厨房カウンターを掃除したり、足りない酒や食料品がないかチェックしたり、店内に流すCDをネット通販で探してみたりしながら30分ほどが経過した頃、今夜初めて客用出入口の木扉が開き、冷凍庫のような冷気と一緒にひとりの男が入ってくる。  過去に私が《寝起きのマシュー・グッド》とあだ名をつけた優男は、柔和な笑みを私に向けると、「やぁ、ケニー」と朗らかに挨拶した。 「いらっしゃい。今夜はひとり?」 「ううん、20分ほどで来ると思うよ。仕事が長引いたんだって」  そう答えて、ショーンはダウンジャケットを店の奥にあるハンガーラックにかけてから、私の目の前にに座った。それからいつもの通り、タラモア・デューを注文する。何年も前から変わらない、彼のお気に入りのウイスキーだ。 「静かだね」  ショーンは自分以外の客がいない店内をゆっくりと見回しながら、凪いだ声で言う。奥行きがある、と言っても8席のカウンター席しかない狭い店だが、業者に拡張工事を依頼しようと思ったことはない。ひとりで経営するには、これくらいのキャパシティが限界だったし、そもそも8席すべてが埋まることの方が珍しかった。そんな店だから、ショーンの視線はすぐに私のもとへと戻ってきた。 「月曜日だから、客はほとんど来ないわ」 「じゃあ実質、貸し切りだ」 「貸し切り料、ちゃんと払ってね」 「おいくら?」 「それはチェック時のお楽しみで」 「料金によっては分割払いさせて」  私たちは目を合わせ、ふふふと笑う。気軽に冗談を言い合えるこの関係が、ひどく心地よい。彼がこの店に来て、与太話をしてくれるだけで、私にとっては娯楽だ。世の中、仕事を楽しんでいる人間が少ないなか、私は恵まれていると思う。儲かってはいないけれど、今の仕事を苦痛に感じたことがないのだから。  趣味の酒を扱える仕事がしたい。はっきりとそう思ったのは、癌で闘病中だった母親が他界した時だった。  その1年前に、シティの銀行で頭取を務めていた父親が突然の心筋梗塞で急死し、途方に暮れていたところに、母親の肝臓に悪性腫瘍が見つかり、周囲の臓器への転移も発覚した。手術のしようがないほどに進行していたため、抗がん剤治療と放射線治療を受け、入院生活を送っていたが、奇跡的な回復など有り得ず、医者から受けた「余命1年」の宣告通り、最後は静かに旅立っていった。  三流とは言え上流階級だった私の実家は、金や土地はそれなりに持っていた。職場恋愛の末に父親と結婚した元銀行員の母親は、治療を続けながらもそう長くは生きられないと悟っていたようで、遺産相続について一切のぬかりない遺言書を信託銀行に託してくれていたお陰で、ひとり息子の私の懐に、その大半が入ってきた。20代後半で立て続けに両親を亡くした悲しみと孤独を打ち消すためにも、勤務先である証券会社を辞めた私は、投資で増やした金を元手に、この店をオープンさせた。  私の店は周囲にあるバーやパブのように、積極的な顧客獲得に努めていない。金持ちの道楽だと後ろ指をさされているのを知っているが、否定はしないし気にも留めない。この仕事をするにあたって、無理だけは絶対にしないと決めているからだ。  過労やストレスで心臓の血管を詰まらせ倒れた男の息子として、私は決して同じような死に方だけはしたくなかった。当時の私は若かった。けれども常に死について考え、人の寿命についても考えていた。1週間後、明日、1時間後、10分後も当たり前のように生きていると錯覚し、愚かにも今後もそうして生きていくのだろうが、私だけはせめて父親の心身を蝕んだものとは無縁の生活を送ると誓ったのだ。  ――そして今、仕事に関してはその通りにやれていると思っている。辛(から)いながらも赤字は出さず、店をたたまなければならない事態に追い込まれることなく、今日までやってこれているのだから御の字も御の字だ。それに、毎晩このカウンターに立って客と会話をするのは楽しい。面倒な客をあしらうのでさえ、そうだった。私の店に来てくれる客がどんな人間であっても、彼らのお陰で営業を続けてこれたのだから、アジアのどこかの国の言葉を借りれば「お客様は神様」だった。  では、私生活は? と問われたら……人生はそう思い通りにいかないものよ、とだけ茶目っ気たっぷりに言っておこう。

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