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狡愛

 ――其れは過信だった。  連れ立って飯屋に向かう途中、太宰の足が止まった。視線が向かう先は人が往来する街並み。別段何か変わった物が有るようには見えなかった。  太宰は其の中の一点のみを見詰め、唇が何かを告げるように微かに震える。  人混みの中、確かに其処に在ったのは何処かで見知った黒い帽子と外套。 「……国木田君、御免よ」  声に抑揚は無かったが太宰の頬には一筋の涙が伝って居た。そっと左肩に手を乗せると其の状態からでも大きな心拍が伝わって来る。――其の瞬間に俺は悟った。  太宰が真に求めて居るのは。  太宰が求めて居るのは過去の長身の男でも、ましてや俺でも無い。  一目を憚らないどころか泣く太宰を初めて見た。此の涙は恐らく俺があの日流した涙と同種の物だろう。 「狡い男だね、私は」  本当に狡いのは、あの黒い小男だろう。  そして俺も――  黒い陰が此方に近付いて居るのを判っていながら、往来で太宰を抱き締めた。

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