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第1話

茜の空に想う 1964年の東京で暮らす、元男やもめの作家(40代)×元男娼の美青年(30代前半)のとある日常の一コマです。 佐伯家の食事は、縁側で座布団をしき横に並んで座ってとることが常であります。いったい誰がそう決めたのか。佐伯さんなのか、佐伯さんのお父様なのか、お祖父様なのか。そう言えば訊ねたことがなかったなとぼんやり思いながら、僕は出来あがった夕食をお盆に乗せ、佐伯さんが待つ縁側へと向かいました。 台所から居間に上がり、日焼けた畳を擦るように歩き、居間を抜け縁側に足を踏み入れると、木張りの床が控えめに軋み、その音が静かな佐伯家のなかに響きます。「佐伯さん」と、鼠色の着物に身を包んだ家主の背中に声をかければ、読み物をしているらしく、こちらを振り返らずに「おう」と返事をされました。その隣には座布団が一枚ありました。僕の席です。僕は一旦その反対側に両膝をついて座り、お盆を膝の前にゆっくりとおろし、佐伯さんの分の食事を置いていきました。 今日の夕飯は、近所の魚屋さんで買い網で焼いた鮭の切り身と豆腐のお味噌汁、焚いた豆とほうれん草のおひたし、そしてご近所さんから頂いた蜜柑がひとつ。最後に茶柱が立ったお茶を置き、僕は自分の席に腰をおろしました。 自分の食事の用意が整ったところで、僕は右隣の佐伯さんを見ました。佐伯さんはすでに読んでいた文庫本を閉じて座布団のそばに置き、すっと背筋を伸ばして目の前に広がる風景をぼうっと眺めておられました。狐のような細長の鋭い目、くっきりとした輪郭の鼻梁、やや血色の悪い薄い唇、「雪女ならぬ雪男だと、昔はよく揶揄われていた」と本人が言うように、目を凝らせば顔の肉が透けて見えるのではないかと思うほどの白さと薄っぺらさを感じさせる肌。そこに刻まれた年齢相応の深さがある皺の数々。佐伯さんの凛とした横顔は、その時もまた僕の心をやわく締めつけました。 毎日のように見ている姿ですが、とても素敵だなと思い、頬がぽっと熱くなり見惚れてしまいます。けれども佐伯さんは、そんな僕の視線を知ってか知らずか、目を伏せ静かに両の手のひらを合わせますと、「いただきます」とまっすぐに通る低音で言って、お味噌汁のお椀と箸を持つのでした。僕もはっと目が覚めたかのように意識が佐伯さんから切り離され、自分が作った食事と向き合いました。 いただきます、と合掌し、お味噌汁を啜ります。今夜は少し薄い味だな、とちょっぴり反省しながら、僕は前方に広がる夕暮れの庭と空に目顔をやりました。男ふたりで暮らす庭付きの平屋……平屋付きの庭とも言えるのでしょうか、目の前にあるそれはこれといった見どころがなく、ただススキの穂がささやかな秋風に吹かれ、ゆらゆらとのんびり揺れているだけでした。そのはるか向こうで、「このひと時だけ、私が主役よ」と言わんばかりの斜陽が空にいます。終わりの時がじきにやって来るのを分かっているのでしょう、「私を忘れないで、名残惜しんで」と叫んでいるように燃えていました。 何も今日が最後ではないのに。そう思う人がいるかも知れません。昔に比べて増えたことと思います。終戦から20年近く経ち、世の中は目まぐるしく様変わりしました。人々の心も変わりました。成長した、と言われると違う気がします。僕は終戦以前のこの国の思想と、GHQが懸命に浸透させてきた資本主義に優劣も甲乙もつける気はありません。過激さが増し、規制が強まる共産思想についてもそうです。 ただ、今の人たちは昔に比べ、明日も生きているという確信が胸のうちにあります。町中に響き渡る空襲のサイレンや爆撃機の轟音に怯え、身を縮こませながら防空壕に潜み、夕陽が沈んだことも知らず、朝日を拝めると信じられずにいたあの頃とは違うのです。 かく言う僕も、空襲が去り防空壕から這い出た時に目にしたそれと、今見つめているそれに同じ思いを抱いているとは言い切れません。戦地で父親と歳の離れた兄が仏になり、母親は空襲の炎に飲まれて焼け焦げ、謂わゆる戦争孤児であった僕があの日見たそれは、粟立つほどに恐ろしく、それでいて何物にも変えがたい美しさがあり、そして自分がいかに取るに足らないものであるのかに気づかせてくれ、絶望し堪えきれずに涙を流したのを、今でもはっきりと思い出せます。 あんな風に感じ、感情が発露する瞬間はきっと、あの時が最初で最後でありましょう。 「――夕陽が綺麗ですね」 それでも、私は言います。「今日は晴れて良かったですね」 「そうだな」と佐伯さんは口角をわずかに上げ、頷きます。終戦を迎え、闇市で何でも売られ、買われていた時期、自らの身をひさいでいた僕を拾い、情愛をもって育ててくださったのが彼でした。 彼もまた空襲で奥様を亡くし、幼かった娘の妙子さんとふたりで、虚ろになりながら生活を送られていたと聞いています。 心の拠り所が欲しかったのでしょう。みっともなくとも生きていくと決め、不器用な化粧を施し、女物の薄い着物を羽織り、夜の街で男の方を誘惑していた僕を、元より男色の気もあった佐伯さんが自宅に連れ込み、離してくれなくなって15年ほどになります。接客料はいまだにもらっていませんが、それ以上のものを頂いてきたので、文句はありません。 「また一日、お前とこの景色が見れて良かった」 佐伯さんは満足げに微笑むと、焼き鮭を箸でほぐして食べました。夕陽がその存在を訴えかける日には必ずそう言って、僕の胸のうちを年がら年中、春の暖気で満たすのです。 僕たちが初めて出会ったのは、終戦の翌年の夏至のことでした。街は妖しい匂いを漂わせているのに、落日がちんたらとしているなか、偶然通りかかった佐伯さんが僕を見つけてくれたのです。「茜色が映える子だ」と彼は何度も言ってくれました。「だから、お前に見惚れたんだ」とも。面映ゆいのでこれ以上は言いませんが、彼にとって夕陽とは、僕を拾ったあの日からずっと特別なものだそうです。 そうですね、と僕も口の端を左右に広げ、ほうれん草を口に入れます。二年前に嫁いだ妙子さんが送ってきた野菜からは、健康的な土のにおいがほのかにします。今年は東京でオリンピックが開催されました。日本は元気と活気を取り戻しています。生活は少しずつ豊かになり、街並みは立派になり、往来する人々の顔には明るさがあります。 忘れゆく痛みがあります、哀しみがあります、孤独があります。けれどもあの日の射抜くような佐伯さんの双眸と、それを受けての破裂しそうなほどの心臓の高鳴りは、一生覚えているでしょう。いつまでも鮮明で、何よりも強く、僕の胸に居座り続けるはずです。……なんて思っていると、佐伯さんについつい甘えたくなりますので、この辺にしておきます。

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