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第1話

 少し前に景色を彩った桜も散り、行きつけの公園は静けさを取り戻していた。  有名な桜の名所というわけでもないが、それでもシーズンになれば夜中まで人手があった。その時期も過ぎてしまえば、園内は再び静まり返る。  しかし、咲き誇っていた木々はすっかり葉桜となり、人々が眠りにつく深夜0時を回った今も、無人であるかと言えば、それは違う。  ただ花見客と違って、皆一様に静かだった。いっそ、息を潜めているといっても過言ではないくらいに。  それもその筈で、この公園は所謂「そういう」スポットだった。  男ばかりが一時の出会いを求めて、或いはそういった他者の行為を観賞する為に、この公園へ訪れる。  夜が明けて日の光の下、健全な姿に戻るまで、幹線道路からも住宅街からも外れたこの一角は、故に奇妙な静寂に包まれていた。  植え込みの陰やトイレの裏、そういった場所にはきっと誰かが隠れていると分かっていて、俺は舗装された小路を歩く。  昼間とは違う出で立ちで、四つ足で歩く。  肌を覆うものは首に巻きつけられた赤い首輪だけで、尻に嵌めたディルドに繋がるふさふさとした尻尾を揺らしながら、俺は歩く。  平均よりも鍛えられた肉体を以てしても、靴で歩く事を前提とされた舗道は硬く、膝や掌で小石を踏ん付けるとなかなかに痛い。  そんな痛みに俺が顔を顰めようと気にする事なく、首輪から伸びたリードを引く後姿は、迷いなく公園の中心部を目指す。  数台分の駐車場を併設するその公園は、中央に向かって緩やかな丘になっていた。桜だけでなくツツジや沈丁花、他にも名前を知らない花や木が植えられ、あちこちに目隠しをつくっている。一見すると美しい自然の風景は、けれど死角も多くアップダウンもある事から、たとえ日中だろうと小さな子供を遊ばせるには不向きだ。だからこそ俺たちのような人種に利用されてしまったのか、とにかく、他よりも少しだけ見晴らしのいい丘の上にある屋根のあるベンチ、そこは「夜中の使用者」の中でも、どうぞ見て下さいという狙いを持った連中の赴く場所だった。  こっそり楽しむのではなく、自由に見て、時には加わって、と。  だが最初からその場所を目指す人間は少ない。  花見シーズンに訪れる人々のように、この公園の事情など知らない人物が偶然入り込まないとも限らないし、ご同類しかいなかったとしても、屋外での大っぴらな行為に抵抗のあるタイプも少なくない。それでなくとも、周囲はどこの誰とも分からない人間ばかりだ。そんな彼らの前で、堂々と痴態を晒そうなどと思うヤツは稀だった。  俺はその、稀な方、という事になっている。  なっている、というのは、最早俺の意思でこの場所を目指しているのかどうか、よく分からないからだ。  ただ恋人だった筈の男が、嬉々として、あの公園に行こう、裸になって、犬みたいに歩いて、と言うものだから、徐々にエスカレートしつつ今に至るのだった。  今はもう、多分、恋人などとは思っていない。お互いに思っていないだろう。  でも俺は楽しそうに笑う彼の顔を見ていたかったし、彼はその為に、どんな理不尽な命令にも従う俺を見たいらしかった。  それだけの為に、俺は今も素直に従う。 「さあおいで、ビス」  漸く目的のベンチに着くと、彼は上機嫌で俺を呼んだ。  ビス。これがここでの俺の名前。白に近いくらい脱色した髪と、それに合わせた尻尾が、毛色で言うところのビスケットだから、と言われた。  この暗がりでは殆ど白にしか見えないであろう尻尾を揺らしながら、ベンチに座る彼に歩み寄った。  俺を犬のように扱いたいという事は、彼は主人を気取っているのだろうか。はっきりと訊いた事はないし、完全に犬になりきらせたいわけではないようだから、今のところは彼のやりたいようにやって貰っているといった具合だ。 「舐めな」  尻尾に比べると短く硬い髪を撫でて、彼は命じる。  俺は小さく頷くと、股座に顔を埋め、唇と歯でファスナーを開け、鼻で下着を掻き分け、舌を使ってペニスを引っ張り出した。  本物の犬より器用な真似をしてみせても、彼は咎めない。だからやはり、犬を演じさせたいだけなのだろう。彼の都合に見合うように。  フェラで気持ち良くさせればいいだけなら、きちんと恋人だと自覚出来た頃とやる事に変わりはない。すんすんと鼻を鳴らしながら、1度横から軽く唇を這わせると、唾液塗れの口に含んだ。 「ん、ぅ、……ん」  時折息を詰まらせながら、俺はペニスを舐める。  勝手を知り尽くしたペニスは容易く大きくなり、次第に俺も興奮し始めた。  筋肉質な体と派手な髪と尻尾。全裸に等しい恰好で男のものをしゃぶりながら、腰を振る姿が目立たないわけがなかった。  見られていると分かっていながら、既に俺の体は自制が利かない。  硬く、小石を踏む度痛かった地面で、ずりずりとペニスの先端を擦り始めていた。  口淫も抜かりなく、じゅぽじゅぽを音を立てて舐めて吸い上げる。時々上目遣いで彼の様子を窺うと、気持ちの良さそうな、満足そうな顔と目が合った。  そういう顔をされると嬉しくて、俺はますます張り切った。 「っ……」  頭上で息を呑む声が聞こえて、喉まで使って扱くとややして口腔に精液が放たれた。脈打つようにびゅくびゅくと溢れて、それだけでうっとりとしてしまう。 「いいよ、飲んで」  そう言われてから、味わうようにして嚥下する。  喉の奥まで粘り気を感じ、鼻腔でも青臭さを感じながら、大切に飲み込み、柔らかくなったペニスに付着した分も、惜しむように舐めつくし、そして飲んだ。  俺たちの関係は恋人と呼ぶには疑問かもしれないけれど、けれど今の関係が嫌いかと言われれば、案外とそうでもないのだ。 「こらビス。また勝手に勃たせて」 「ィっ……!」  たとえ、革靴で勃起を踏まれようとも。  その光景を、見ず知らずの他人に覗かれようとも。 「見せてごらん。触ってもいないのに、こんなところで勃たせたもの」 「…………」  俺はよろよろと立ち上がる。立てと言われれば立つ。犬であって犬ではないから。  擦れて赤みの増したペニスを、俺は見せた。立ち上がった事で角度の変わったディルドに、またピクリとペニスが反応した。 「恥ずかしいね、みっともなく盛るなんて。せめてこれ以上の恥はかかないように、射精はせずに済むようにしてあげる」 「っ……ぅ、う……」  握り潰すような強さで、勃起を握られた。  それだけでも充分痛いのに、彼はポケットから拘束具を取り出すとペニスを縛り上げていく。それは竿だけでなく、玉の方にもベルトを這わせるもので、射精を制限するだけでなく股間を強調するデザインにもなっていた。  このくらいの事では驚かない。何しろ以前にも似たような経験はある。  じんじんと痛む股間に無言で耐えていると、首輪を引かれた。座れ、という事らしい。  俺は犬で言うところのお座りの体勢を取る。またしてもディルドが擦れて、無駄に吐息が漏れた。 「ところでビス。俺のザーメンで足りたかな? まだ喉渇いてる?」  その問いに、少しだけ悩んだ。  率直に肉体の欲求に従うなら、水分は欲しかった。粘つく精液は、未だ喉に違和感を残している。普通に歩く以上に体力も消耗しているわけで、何か飲みたい気持ちはあった。  しかし戸惑ったのは、経験則だ。以前ここで頷いた時は、そうか、と小便を飲まされた。多量のそれは結局嘔吐する事となって、酷く叱られた事を覚えている。  だから俺は、けれど仕置きを恐れたというよりは、単純にノーと答えたなら何が待っているのか、興味を覚えて首を横に振った。 「喉は渇いてないの?」  今度は首を縦に。  ビスと呼ばれる時の俺は、無暗に喋ってはいけないらしいので、大抵の事はこうやって返事をする。  さて次は何を言い出すのだろう。注意深く待っていると、彼は思いがけない事を言い出した。 「そう。でも俺は喉が渇いてるんだ」  わざわざ意識をするまでもなく、俺は首を傾げていた。  これまで常に優位を保ってきた彼が、まさか逆の立場を求めているとも思えない。かと言って、犬を演じる俺には使い走りも勤まらない。  言葉の意図が読めずにいると、拘束具が出て来たのとは逆のポケットから、彼は何かを取り出した。  小さながま口の財布だ。  子供用だろうか。目立つピンク色で、首や肩から提げられるよう紐がついている。  今度は財布を括りつけられた。  首輪より僅かに長い距離を取って、首から提げる恰好になった。  札でも入っていれば分からないが、提げた感じでは小銭などの中身が入っている様子がない。 「だからビス。そこの自販機でコーヒーを買ってきて」 「…………?」  そこまで言われても、すべき事が分からなかった。  もしかしてちゃんと金が入っているのだろうか。自販機は公園の入り口にしかない。そこまで裸で行って来いという命令だとしたら、これまでの流れを鑑みるとありえない話でもない。  だが俺に財布を持たせたという事は、彼は着いて来ないつもりだろうか。そうすると俺は、裸なのはどうしようもないとしても、普通に歩いてもバレない事になる。  それはちょっと、彼らしくないように思えた。  見ていなくても四つ足を保つと信じているとか、誰のフォローもなく指示を守れるか試しているとか、そういう考えが第一に来る人間ではない筈だ。  彼は俺の惨めな姿を衆目に晒したがるし、そしてその光景を眺めていたがる人間、その筈。  ではどういう事なのだろうか。  俺が要領を得ずにいると、彼は更に付け足した。 「その財布ね、空なんだ」  ああ、やっぱり。  視界に入れる事さえ困難な位置に括られた財布を、ちらりと見る。  空の財布で、コーヒーを買う方法。  財布に、金を入れる方法。  嫌な予感がした。

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