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「びっ……びっくりしたぁ~~……緒方センセイ、いつの間に……」
心臓バクバクで苦しくなった胸。
ベスト越しにさり気なく押さえて、お決まりの黒ジャー姿で眠気覚ましの激辛タブレットをボリボリ食べている緒方センセイを見上げた。
「うぎゃ、はねぇだろ、人のことをグロテスクな虫扱いしやがって」
……はぁぁ、好き~~~。
「だって、その、いつの間に真後ろにいっから……誰も教えてくんないし」
そばにいた友達にそう言えば。
「緒方センセーに口止めされた」
「しーーーーって」
なんだよそれぇ。
俺のことびっくりさせる気満々って、なんだよもー。
緒方センセイには今年から体育を教えてもらっている。
現在二年生の俺。
三年生の担任をやっているセンセイとマトモに会えるのは体育館かグランドくらいで。
こんな風に教室で話ができるなんて、新鮮すぎてやばい、やっぱり息が止まりそーだ……。
「佐藤は何の役するんだ、子豚の役か」
「こっ、子豚っ? 眠れる森の美女に子豚なんか出ねーもんっ! それ別の話!」
「出るだろ」
「えっ……出るの……? ほんと?」
「出ないよ、コーイチ」
「コーイチぃ、台本ちゃんと読まないと企画委員に怒られるって」
まんまと俺のこと騙した緒方センセイ、珍しくニンマリ笑ってらっしゃる、ううううう、かっこいいです、さらにさらに好きになっちゃいそーです……!!
『ちんたら準備運動やってんじゃねぇ』
最初は、なにこのひとこわ、な印象でしかなかった。
男前なのはわかるけど、言葉遣い荒いし、怒らせたらやばそーだと思って、体育が苦手になった。
『怪我して痛い目見るのは自分だぞ、佐藤』
運動神経悪くてノロマだったから、やたら俺ばっか注意されて、それが追い討ちかけて苦手意識はどんどん膨らんでいった。
だけど。
バレーの練習試合、バレー部員の強烈なサーブが顔面直撃して、コートのど真ん中で引っ繰り返ったとき。
『佐藤、大丈夫か』
『っ……ち、血~~……俺の顔から血~~……』
『正確には鼻からだ』
小学生ぶりに鼻血が出た。
ボール直撃のショックやら痛いやら、久々の鼻から出血やらでてんぱって半泣きしていたら、緒方センセイ、自分の黒ジャーで止血してくれた。
『折れてはいないな』
抱きかかえられて、袖のところで顔半分優しく押さえられて、間近に見つめられて、真顔で心配されて。
『ふがっ……センセイ、ジャージ汚れひゃうよ……』
『……』
『わ、笑うな~、人が鼻血出してるの笑うな~っ』
まぁ、結果、笑われたんですけど。
顔面でバレーボール受け止めた生徒初めて見たとかバカにされたんですけど。
俺の鼻血受け止めてくれた緒方センセイのこと、ころっと好きになっちゃったんですよね……。
「ふがっ?」
鼻血の思い出が蘇ってついついぼんやりしていたら、いきなり鼻を摘ままれて、俺はどきっとした。
長身黒短髪の緒方センセイは腰を屈め、俺の鼻先を軽く摘まんだまま「子豚のブヒ役」とワケのわからない悪口を言った。
あー、だめだ、これ、顔が赤くなるやつ。
悪口言われてキュンキュンする。
あほですか、俺。
ドMですか、俺。
「こっ……子豚じゃなっ……」
「ブヒって鳴いてみろ」
「ぶっ……ぶっ……ぶひ~~……っっ」
「緒方センセェ、やべぇ」
「公開パワハラだ、これ」
ずっと俺の鼻摘まんでる緒方センセイにまっかになって、どうしたらいいのかわかんなくて、血迷って、あほみたいに言われた通りブヒブヒ鳴いていたら。
「緒方せんせい」
イヴちゃんがふわりとやってきた。
まっしろなふわふわミニドレスで、ペディキュアがきらきらしてる裸足で、ほんとうに妖精が舞い降りましたー、みたいな。
「伊部川」
え、なに、このやりとり。
名前呼び合っただけで二人の世界確立しましたー、みたいな。
「緒方センセェ、やっと来てくれた!」
「休み時間も昼休みも捕まらないから焦ってたんですよ」
企画委員がやってくれば「お前らの話が長くなりそうだから撒いてた」と平然と言った。
「ひっど。台本は読んでくれました?」
「ざっと」
「台詞覚えてくれました?」
「ざっと。ここにいる佐藤はまだちゃんと目ぇ通してないみたいだが」
「はぁ? コーイチ、お前なぁ」
「全体の流れあんだからちゃんと読んどけってウチら言っただろーが」
「ひっ……ごめんなひゃ……」
てかいい加減俺の鼻解放してください、緒方センセイ。
「緒方せんせい。どうしてコーイチくんの鼻、つまんでるの?」
さり気なく自分に寄り添ってるイヴちゃんに聞かれて「また鼻血出したら大変だと思ってな」と答えた緒方センセイ。
せっかく頭から消えかけていた俺の黒歴史をクラスメートに思い出させないでください、マジで。
「それで先生の衣装なんですけど」
「こっちで適当に用意しておく」
「ジャージは絶対やめてくださいよっ?」
俺、緒方センセイならジャージの王子様でも、ぜんっぜん、アリ……。
「バスケの練習が始まるからもう行く」
「えっ! まだ打ち合わせしたいことあるのに!」
「SNSでも宣伝してるし、生半可な気持ちでやってもらったら困りますからねっ」
「緒方せんせい、このドレス、似合う?」
「丈が短すぎるんじゃないのか」
妖精系イヴちゃんにふんわり懐かれている緒方センセイ。
やっぱり。
イヴちゃんだからオッケーしたんだろな。
緒方センセイが王子様やってくれるなんて、それしかねーもん。
かわいいイヴちゃんのお願いだから、悪い気しなくて、ホイホイつられて、ひょっとしてこれきっかけにこっそり付き合っちゃったりとか。
センセイは教室から出ていった。
企画委員やイヴちゃんは黒板前に戻って打ち合わせを再開して、友達は他愛ない話をしながらペーパーフラワーを段ボール箱に詰め込んで。
俺は自分の鼻先をちょっと摘まんだ。
「コーイチ、ほんとに鼻血出そうなの?」
俺は首をブルブル振った。
緒方センセイの相手役、うらやましい。
俺もお姫様やれたらいいのに。
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