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第2話
神崎春は旧温室で花に水をやっていた。
ほんの1年前までメインで使われていた温室はいまは春が所属する園芸部が管理して使用していた。
園芸部といっても学園の生徒たちには部活動が義務付けられてあり地味そうだという理由だけで入った部員がほとんどで実際活動しているのは春だけだった。
梅雨はようやく終わったといってもまだ湿気も多く害虫も発生しやすい。
手入れに気をつけようとベゴニアなどの花の状態をチェックしていると温室のドアが開いた。
「――春」
優しい声音が響いて春は反射的に顔を輝かせる。
「秋志くん」
この学園の副会長である秋志が穏やかな笑みを浮かべ春の元へと来た。
生徒会の仕事がない放課後はほとんど秋志はここへ足を運んでいる。
旧温室にというよりは――。
「今日は生徒会の仕事はないの?」
「ああ。少し資料を頼まれてたからそれを作っていま顧問に渡してきたところなんだ」
「そっか。俺はちょうどいま水やり終えたところだよ」
視線を合わせて笑いあう。
整った顔立ちの秋志が浮かべる穏やかな笑みに春がつい見惚れていると手が伸びて頬に触れてきた。
愛おしそうに触れる指先に顔が熱くなるのを感じながら春は近づいてくる秋志の顔に目を閉じた。
乾いた唇が触れ合う。
身長差が10センチほどあるふたり。
春は顔を上げ秋志の唇を受け止めていた。
触れるだけのキスが離れ至近距離で秋志に見つめられる。
秋志はいつだって穏やかで副会長という立場にあっても他の生徒たちに分け隔てなく優しい。
その秋志が明らかに春にだけに見せる表情。
甘い眼差しと微笑みに春はいまだに信じられない想いになりながら今度は深いキスを交わした。
秋志のことはもちろん昔から知っていたが同じクラスになったことはなく、喋ったのは高一の終わり、春休みに入る寸前のことだった。
『――ここで少し休ませてもらっていいかな』
疲れた表情で笑う秋志が旧温室を初めて訪れた日に出会い、はじまったのだ。
「……春」
いつもより少し落ちる声のトーンと、いつもの秋志のイメージとは違う情熱的なキス。
それがすべて好きだ、と春も咥内を這う舌に舌を絡める。
ふたりで会っているときにこの温室に来た者はいなく、だからふたりはいつものようにキスを交わして笑いあって、だから―――気付かなかった。
「へぇ。副会長様は実は恋人がいらっしゃったんだなぁ」
間延びし、そして微かな棘を含んだ声が響く。
春と秋志は突然の第三者の声に顔を強張らせ身体を離した。
秋志の表情が一気に消えていくのを見ながら春は声のしたほうへと視線を向ける。
だが声の主は確認するまでもない、と春は知っていた。
喋り方や雰囲気はまるで違うが"声"は秋志の声と酷似している。
「……会長」
もちろんその顔も、だ。
だけどどうしてこうも違うのだろうと春はトキオを見かけるたびに思っていた。
双子だということは疑いようもないのに、違う。
雰囲気が正反対というだけで双子とわかっていてもそれぞれを間違いようがない。
「ふーん。副会長様の恋人にしては平凡」
ポケットに両手を突っ込み、うすら笑いを浮かべたトキオが秋志たちの方へと歩いてくる。
それを認めて秋志が春をかばうようにトキオに向き直った。
「隠さなくてもいーだろ。なぁ?」
身長差はあってもすっぽりと隠れるほどではなく、秋志の肩越しに春はトキオと目が合う。
本当に、まるで違う。
秋志なら見せない軽薄で悪意を隠そうともしない眼差し。
品定めるようなトキオの目から視線を逸らせると無表情な秋志の横顔が映る。
トキオが転校生として学園へとやってきてから、トキオがいる場所では秋志は常に無表情になってしまった。
恋人の心情を想い胸を痛めてるいると秋志の冷静な声が響いた。
「何か勘違いされてるのじゃないですか」
「あ? なにを? エロくさいキスしてて、恋人じゃないのか? へぇ、じゃあセフレか。意外だな真面目な副会長様にセフレがいるなんて」
違う、と春はとっさに言いかけた。
寸前のところで制するように秋志の手が春の前に出される。
「会長には関係ありません」
冷やかに秋志が言う。
「いいじゃねぇか。興味あるんだから」
なぁ、ともう一歩二歩とトキオが春が見える位置へと移動する。
「お前名前なんて言うんだ?」
ニヤニヤと楽しげな笑みをのぼらせているトキオに春は俯き言葉を探す。
「なんだ。生徒会長様が訊いてんのに返事もできないのか?」
色々言いたいことはある。
だが以前、自分たちの関係は秘密にと付き合うようになったころ秋志に言われたのだ。
さっきはつい言いかけたが、言えない。
『……生徒会長に知れると……。ごめん。あの人には気をつけてくれ』
そうそのときに秋志が辛そうに目を伏せたのを思い出す。
「……すみませんが、失礼します」
行こうと小声で秋志が言い歩き出し、春もそれにならう。
何か言われるかもしれないと不安だったがトキオは笑っているだけで通り過ぎる時もなんの反応もなかった。
ほっとした矢先、
「――またな、春チャン」
トキオの声が背中にかかり春は顔を強張らせ足を止めた。
なんで知ってるんだ、と振り向きかけた春の腕を秋志が強く引く。
それに慌てて旧温室を出た。
そのまま旧温室が見えなくなってもふたりは無言で歩き続けた。
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