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第210話円と渉1

(大野語り) なごみさんより先に目が覚める。起こさないようにそっと寝室を出ると、渉さんが朝食を作っていた。いつもは朝に並んで台所へ立つので、他人に作ってもらうのは新鮮だった。 俺に気付くと、渉さんはニコリと笑う。この故意的に作られた営業スマイルを見ると背中がゾクリとするのは俺だけだろうか。 確かに昨日よりは顔色が良くなっている。 「大野おはよう。昨日はお楽しみを中断させちゃって、ごめんね。洋ちゃんしか頼れなくて、気付いたら1時間半以上歩いてたんだ。沢山話して泣いたらスッキリしたし、何が起きても受け止める覚悟はできた。もう大丈夫。朝ご飯食べたら邪魔者は退散するよ」 「おはようございます。元気になったならいいですけど……」 俺は冷蔵庫から水を取り出して飲む。炊飯器がご飯が炊けたことを知らせるメロディを軽快に奏でていた。 今朝は和食なんだ。そう考えると腹がぐぅと鳴った。 「でも、なごみさんは心配だから渉さんを送って行きたいって言ってましたよ。俺も車を出しますし、良かったら乗って行ってください」 「洋ちゃんは本当にいい子だね。僕達は恋人としては失敗したけど、最高の友達だと思うんだ。大野には勿体無いよ。じゃあ、遠慮なく送ってもらお。サンキュー」 俺に勿体無いは余計な言葉だと思ったが、軽く聞き流した。基本、この人は俺に冷たい。反対になごみさんにはベタ甘だ。温度差がありすぎるので、呆れるしかない。 「でも、円さんは何で渉さんを責めたんですか?話を聞く限りでは彼女の方が悪いですよね」 昨日、聞くことができなかった質問をぶつけてみる。渉さんは考えるそぶりを見せながら話し始めた。その横顔が少しなごみさんに似ていて、中身は全く違うのに、見た目詐欺じゃないかと俄かに腹が立つ。 「たぶん……女の子に手を挙げたからかな。軽く叩いたけど、ちょうどその時円くんが帰ってきて、鉢合わせになったんだ。僕は女子だからって誰にでも優しくするのは好きじゃない。優しくする価値の無い女だっているんだ。あいつには散々不快な思いをさせられたし、限界だっだったから。鬼の形相が円くんの顔見た途端、号泣だよ。ズルいよね」 「ははは。光景が目に浮かびます。お気持ちお察ししますわ。ちなみに、その人は美人さんですか」 「それを聞くの?全く。チャラチャラした化粧して自分を着飾るしか能の無い女。洋ちゃんの方がよっぽど美人。断然美人。絶対美人。 あ、思い出した。この間、自分のパンツを洗面所で洗ってたんだって?高校生みたいじゃん。若いねえ、大野」 突然俺の話を振られ、目の前が暗くなりそうだった。兄貴……余計なことを言いやがって。和菓子を作る以外、ロクなことをしない。 兄貴は今でも渉さんの患者で、週に1回は片道1時間もある治療院へ通っている。兄貴曰く、渉さんのゴッドハンドが無いと生きていけないのだそうだ。 しかし、あの光景を見られていたとは迂闊だった。 「いや……そんなことはあったかもしれませんが、忘れました。記憶に無いですね」 「ヨーイチとかいう名前の猫と毎日寝て、変な夢を見てムラムラしてるんでしょ。欲求不満は良くないね。なんなら健康的な治療をしてあげようか。僕の患者さんには不妊で悩んでる人も沢山来るんだ。悪い血の巡りを断ち、質の良い元気な精子を作るように促せばいい。そしたらパンツは汚れないよ。少なくとも穢れたパンツじゃなくなる」 失礼なことを平気な顔で言ってのける顔は、やっぱりなごみさんと似ていて、なおさら腹が立った。穢れたパンツって何だよ。俺のパンツはいつだって綺麗だ。 「結構です。俺のことは気にしないでください。それよりも自分の心配をしたらどうですか。円さんがあの女と浮気しているかもって、泣いてたじゃないですか」 「あの時は気が動転してたんだ。もう……思い出させないで。折角気持ちが上向きになってきたところなのに、大野は容赦無く反撃してくるね」 はやり、昨日の今日でメンタルは回復はしていないらしく、渉さんはいつもより弱っていた。言い過ぎたかな、と思っていたところに、ガラリと寝室の扉が開き、運悪くなごみさんが起きてくる。 寝起きのなごみさんは、他人に見せたくないくらいボケっとしていて可愛いのだが、それを味わう余裕は無かった。 「おはよう。あれ、どうしたの?何かあった?また渉君が泣きそうだよ」 少し背伸びをしたなごみさんが俺と渉さんの顔を交互に見る。 「洋ちゃん……大野が傷を抉るような酷いことを言って攻撃してくる。泣きそうになっちゃった」 「なんでそんなことするの。事と次第によっては本気で怒るよ、隼人君、意地悪は禁止」 例の女と同じことを俺にやってのけようとする渉さんは、なごみさんの影に隠れて泣いたフリをしていた。くそう。どいつもこいつも、俺に対しては何故か冷たい。仕打ちが酷くないか。 「すみませんでした……悪ふざけが過ぎました」 渋々謝罪の意を伝えると、なごみさんの後ろで渉さんがにやりと笑った。

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