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第220話大切をきずくもの3
(大野語り)
それから2週間して、光月庵を取り囲むすべてがゆっくりと動き始めた。
まず、見習いという若者がやってきた。部屋が余っているので、うちで下宿するのかと思いきや、近所のアパートから通うようだ。うちも先先代の時代は見習いや従業員が沢山いた。兄ちゃんが継いでからは、そういう人は初めてだから、母さんが浮き足立っている。
そいつの名は野元駿太(のもとしゅんた)といい、料亭の息子らしからぬチャラさだった。髪の毛も襟足や前髪が長くて茶色い。切れ長の目は常に眠そうで、ヤル気が無さそうな広い猫背は何を考えてるか全く分からない。
調理の専門学校を卒業してから1年間はふらふらとしていて、なんとか働く気になったところを、うちに修行で放り込まれた。料亭よりは覚えることが少ないと思われるが、和菓子は手先の器用さが必要だ。見た目からは全く甘いものを造ることが想像できない。
技術的なことについては、全く分からないので野元青年がどれくらい見込みがあって、将来有望なのかとか知らないし、兄貴は何も言わない。つまり、言うほどのレベルでは無いだろうと俺は判断している。
俺はチャラい奴が大嫌いだ。
とある平日の夜遅く、仕事が終わった俺は、なごみさんと電話しながら夜道を歩いていた。会えない日は、こうして帰り道に声を聞くと疲れを吹っ飛ぶのだ。
週末に会う約束をして電話を切ると、店の勝手口にヤンキー座りでタバコを吸う野元の姿があった。
「あ、お帰りなさい。彼女っすか?いいなぁ。俺もリーマンして、週末は彼女といちゃいちゃしたいっス」
軽いノリで話しかけられた。ムッとしたが、野元には優しくするように家族から言われている。黒いTシャツの裾から、赤い薔薇のタトゥーが覗いてため息が出た。
「どうも。野元君だって、料亭継ぐのをやめて、就職すればいいじゃないか。恋人だって作ればいいし、嫌ならいくらでもやり直しができるさ」
「そうっすか。俺はあまり器用じゃないから人付き合いが苦手で、リーマンは無理っぽいス。実家を継ぐかはまだ決めてない。それより女の子紹介してくださいよ。リーマンって合コンとかあるんスよね」
俺のことは『リーマン』としてしか認識していないようで、嫌気がさした。
タバコの煙も不快だった。
「仕事が忙しくてそれどころじゃないな。それに恋人がいるから合コンなんか行かないし。ちなみに、どんな子がタイプなの?」
「キレイな子で、控えめで、だけどエロい子。いないっスかねー。あー、ヤりてぇ」
「機会があれば探しておくよ。お疲れ様。早く帰らないと、朝早いでしょ」
「お願いしまっす。OLさんとか、そそられますよね。明日も早いんだ。寛人さん、人使い荒いんスよ。そろっと帰りますわ」
重い腰を上げて、ヨロヨロと野元が立ち上がった。吸い殻を道端へ捨てて歩き始める。奴は俺よりも背が高い。
キツくても遅刻せずに毎日来るから大したもんだと思う。努力は認めよう。今時の新入社員よりは根性がある。世間を馬鹿にした態度は生まれつきなのだろうか、奴の態度はどこか癪に触るものがあった。
「ポイ捨て禁止だろうが。ばーか」
野元が捨てた吸い殻を拾い、家に入った。なんでもいいから灰皿を置かないと店付近が汚れる。
無性になごみさんの声が聞きたくなり、もう一度携帯の画面をタップした。
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