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第1話

「なぁー弟子ーー」 フォスは退屈そうに椅子に座って、弟子のサージュに声をかけた。 必死に書き物をしているサージュはちらりと一度フォスに視線を移し、またすぐに机に向かう。いつもの下らない話だと判断したのだろう。 「なんですか」 「こんな噂知ってる?」 サージュの目の前に身を乗り出して話す師匠の様子に見ることもせずに、書き物を続けた。 「暇なんですか?手伝ってくれます?」 「今、急に思い出したんだけど学生の時さ」 「聞いてます?」 「精液に魔力が宿るって噂あったよな?」 サージュは呆れたようにはぁーと大きなため息を付き、諦めたように再び仕事に戻った。 二人は、魔法使い一族が住む村の外れにある森の中の家で研究に勤しむ魔法使いだ。 フォスが師匠で、サージュが弟子。 魔法使いの花形職といえば、王や、族長、貴族など権力者に雇われ、警護する事と言われる世界で、あえて森の外れのこじんまりとした家で研究に勤しむ二人は変わっているとよく言われる。 特に、フォスは魔法使い一族の族長の息子で強力な魔力を持っている。周りも羨むくらいの魔力を持ちながら、敢えて、研究に勤しむなど村中の人が「変わり者」と噂した。しかし本人はどこ吹く風で、そんな噂など少しも気にしていない様子だ。 「だからぁ!魔力高い人の精液飲むと魔力上がるって言われてたよな」 「はぁ?聞いたことありませんけど」 書物から目は離さず、しかし、顔はしっかり歪めて不快感を表したサージュにフォスは呆れたようにため息をついた。 「どの年でも試験前になると絶対一回は流れる噂だろ?聞いたことないとかお前どんな学生生活送ってたわけ?」 「試験前は勉強してたので!!」 何を当たり前の事を呆れたように言われなければならないのか…サージュは抗議の意を込めて口調を強めて言った。 「いやいや。友達とかいなかったの?」 「いましたよ!そんな馬鹿な噂しない優秀な友人が!」 「はぁーつまんね」 フォスはまたつまらなさそうに椅子に座り、机に足をかけた。 「でもさまぁ…考えてみろよ」 フォスはぐるぐると空中に何か魔法陣を描き、サージュの方を指した。それは一陣の風となりサージュの髪をふわりとかきあげる。 「髪の毛に魔力が宿ると信じて師匠の髪の毛を一束つけるのは常態化してるし」 かきあげられたサージュの黒い髪の中に一束違う金色の髪が輝く。それは師匠、フォスの髪の毛を束にして付けたものだ。師匠の髪をつけることで魔力が上がる、師匠の庇護が受けられると考えられている。 「強力な陣を描きたい時に血液を使用するのはあることだろ?」 強力な結界、攻撃魔法、召喚魔法などで、血液を使用するとこはある。しかもより強い魔力のものの血液の方が陣もより強力になるのだ。 「まぁそう考えると体液である精液に魔力が宿ってても不思議じゃないだろ」 師匠の腕組をしてうんうんと頷く姿にサージュはたしかに…と一瞬揺らぎかけたが、すぐに流されてはいけないと反論した。 「だいたい、そんなの教科書でも、論文読んだこともありませんし!」 全ての魔法陣は教科書や、論文に基づき、またはそれを応用して使用される。 研究をすると過去の研究者や、色んな魔法使い達の論文をかなり読むことになる。陣の在り方、魔法の由来、薬草の使い方、術のかけ方、など多岐に渡りかなりの量を読み込む。そして自分もそれを応用したり新発見をすれば論文を書いたり、実験を行うのが自分達の仕事だ。 大きくいえば魔法の維持、発展への協力という訳だ。 そんな大量の論文を読み込んだサージュでさえ、精液に魔力が宿るという教科書にも論文にもぶち当たったことは無い。厳密に言えば、神話の類では読んだことがあるかもしれない。しかし、それはあくまでも神話の話で、現実的ではない。もし、教科書や、論文で読んだならそんな強烈な事を忘れるはずもないからおそらく読んだことがないのだ。 「そりゃ当たり前だろ」 「当たり前?」 「だってさ。そんな論文出したらそいつは弟子に自分精液飲ましたのか?はたまた師匠のものを頂戴したのか?ってなるだろ?」 「まぁ…たしかに」 己で実験をせずに論文を出せるわけがない。 「あっの、お堅い魔法使い様達がそんな事を暴露するかよ!」 「…たしかに」 数少ない魔法使いの研究者たちを思い出してみた。 皆、真面目で堅物ばかりだ。不真面目な研究者は目の前にいる彼くらいだ、とちらりとフォスを見るとニヤリと不敵な笑みを浮かべている。こちらの考えが読めているような掴めない所、非常に師匠らしいとサージュは冷たい目線を送り、再び論文を読み、書き物を始めた。 「まぁ夫ならおかしくないだろうが、女性の研究者がそんな論文出せば袋ただきにされるのは目に見えてるだろ」 魔法使い一族はまだ男性主導の動きが強く、魔法使い育成学校も圧倒的に男性の方が多い。必然的に魔法使いも男性の方が多く、女性の研究者など数える程しかいない。よって地位が高い者に女性がいないのが現状だ。その中で「旦那の精液飲んだら魔力上がりました」などという論文を出せば「下品」「はしたない」と魔法使いの中から引きずり落とされるのは目に見えてる。 そもそも、魔力が強い女性は『魔女の森』に早々にスカウトされて行ってしまうので、女性が少ないのも原因のひとつだが。 『魔女の森』は秘密が多い魔法使いでも更に秘密が多い集団で、どんな形態をとっているのか収入源は何なのかは『魔女の森』の者しか知らないのだ。そんな人たちが急に下世話な論文を出すはずがない。 「『男性精液の魔力向上効果の考証と実験』ってか?かなり笑えるな。出そうかな」 「全力で辞めてください!」 ひっひっひっと本気か冗談か分からない笑い声を上げながらフォスはお腹を抱えている。 「昔はよく言われたけどなー校舎裏で。可愛い後輩に「先輩☆精液ください☆」って」 指を組んでキラキラしたお目目で声をツートーンほど上げて言っているが、おそらく後輩とは男だろう。魔法使い育成学校は圧倒的に男性の方が多いのだから。 魔力だけは強力に強い彼だから、噂を信じて言われることもあったのかもしれない。 「はぁ?それで…まさか…」 飲ましたんですか…?とサージュの顔にはありありと軽蔑の色が見て取れた。 「いくらなんでも初めて会った後輩にしゃぶらせるほどろくでなしじゃねーよ?」 「本当ですか?」 「本当だ!!」 フォスは憤慨したように机を拳でばしばしと叩いてる。 「まぁ…どっちでもいいですけど」 はぁーとまたため息をついて、サージュは机に目線を戻した。 「そりゃ俺だっていたい気な後輩にはあげられないよ」 「懸命な判断です」 「でもさ…」 書き物をしているサージュにフォスは身を乗り出して、仕事の邪魔をするように目線の先に顔を出した。サージュの顔はいかにも「早く退いてくれ」と書いているようだったがフォスがそんな事を気にするわけもない。 「唯一の可愛い弟子ちゃんだったら飲ましてあげるよ?」 フォスがサージュの唇に触れると一瞬驚いた顔をしたが、すぐに冷静な顔に戻り、フォスの指を退けた。 「何をふざけた事を」 「本当か嘘か気にならねー?」 研究者たるもの、疑問を持ったら実証すべきだろ?とフォスは言ったが、サージュがその口車に乗ることはなかった。 「ご自分でどうぞ」 「俺より魔力が高いって誰よ?」 その自信は何処から?と疑問に思うが、たしかに色々と顔を思い出してみたがフォスより魔力が高い者は同世代では思いつかない。思いつくのはどれも族長や魔法使い議会の議長など口が裂けても「精液ください☆」など言える立場にない人達だ。 「なぁ?ほら。お前が俺の飲むのが一番いいだろ?」 「はぁ?」 「そのへんの村の子連れてきて飲ます?」 「だから!なんで飲ます前提で話してんですか!」 「ちぇ…おもんねぇ。暇つぶしにもなんねぇな」 「暇ならこれを読んで…」 論文をフォスに手渡そうとすると、ばっと離れる速さは天下一品で「あー忙し忙し」と言いつつ部屋から出ていってしまった。 その後ろ姿を見送りつつ、サージュは手に持った論文をため息混じりに机に戻した。 全くあの人は…どこまでが冗談で、どこまでが本気だったのか。全部冗談か?それとも全部本気か? 測りきれぬまま、考えるだけ無駄だと仕事に戻った。

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