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第3話
(犯されるわけじゃあねえし、ギャースカ騒ぐほどのことでもねぇ。キレイな姉ちゃんにされていると思やぁ、いいだけじゃねぇか)
なんで自分がチカンなんかのために、電車を一本ずらさなければならないのか。腹立ちまぎれの開き直りに近い心境で、恭平は堂々とチカンの指を受け止めた。尻からはじまり前へと動く指に耐えきり、最寄り駅までたどり着けると不思議にすがすがしい気持ちになった。反対に、途中下車をするくらい興奮してしまった日は、ものすごく悔しい。
(今日は耐えてみせるからな)
だんだんとゲームを楽しんでいるような気持ちで帰路に望んでいた恭平は、いきなり前へ伸びてきた指にとまどった。
(おっ。なんだ……勝負に出るってぇことかよ)
尻に触れていた時間のぶんを前へ集中させるつもりだなと、恭平はチカンの本気を感じて気合を入れた。
(必殺技を出してきたってぇところか)
ワクワクしてきた恭平は、お手並み拝見とばかりに余裕の態度で吊り革を掴んだ。
(どうせ、イカせるまでの勇気はねぇだろ)
そうタカをくくっている部分もあった。
なので――。
(おっ、おいおい)
指がファスナーをつまみ、ためらうことなく引き下ろしたのには冷や汗をかいた。
(まさか、じかに握るつもりかよ)
指は、そのまさか以上の動きをみせた。ゴソゴソと探られて大事な部分を引き出された恭平は、羞恥に身をこわばらせる。
(くそっ……これじゃあ俺が露出狂みてぇじゃねぇか)
むき出しの男の部分を握られて、恭平は下唇を噛む。人の肩がぶつかり合うほど混雑しているし、誰も恭平に体を向けていない。だからうっかり見られてしまう心配はないとはいっても、満員電車で急所を出しているという状況はとんでもなさすぎる。
焦る恭平をながめて手の主はニヤニヤしているのだと思うと、むかっ腹が立ってきた。
(そっちがその気なら、やれるとこまでやってみろってんだ!)
こんなことには屈しないぞと闘争心を燃やした恭平の陰茎に、コンドームがあてがわれる。慣れた手つきで装着されて、相手が本気であると知り度胸を据えた。
(さあ、この俺を最寄り駅までにイカせてみやがれ)
心の声が聞こえているかと思うほど、絶妙のタイミングで指が陰茎を刺激しはじめた。輪郭をなぞられ指先でくすぐられ、クビレのあたりを輪にした指で締めつけられると、恭平のそこは素直に天を向いてビクビクとよろこびを現した。それに気をよくしたらしいチカンは、先端を押しつぶしたり根元から扱いたり、緩急をつけて指を動かす。自分でするよりもずっと気持ちがいい上に、満員電車でむき出しにされ刺激されている背徳感が、快感の油となって恭平を熱くさせた。
(くそっ、気持ちいいじゃねぇか)
最寄り駅に到着するより先に達してしまうと予測したが、指は絶妙な頃合いで絶頂を与えてくれない。
(ああ、もうちょっとなのに)
焦らされ滾った恭平の意識は放つことに支配されていく。
「んっ、ぅ」
下唇を噛んで声を漏らさぬよう配慮しつつも、興奮を追いかけてしまう己を止められない。
(もう、いいかげんにイカせてくれ)
硬く目を閉じ脳内で降参すると、指は恭平の望みのままに激しく動いて欲の熱を絞った。
「っ、くぅ」
ビクンと震えて痙攣し、指の助けを借りてコンドームの中にすべてを吐き出し終えた恭平は、ふうっと満足の息を吐いた。頭の芯がボウッとしている。
間もなく停車いたしますと、車内アナウンスがかかった。
チカンはすばやく恭平の陰茎からコンドームを外すと、普段の形にもどった恭平をズボンの中へ戻してファスナーを閉めた。
(ちゃんと後始末までするなんざ、感心じゃねぇか)
完敗だとニヒルな気持ちになりながら、スッキリした体で最寄り駅に降り立つ。ぴったりと時間を計ってイカされたことに、すがすがしさすら感じてしまう。
これから仕事や学校へ向かう人々の流れに身をまかせつつ、なんとなく空を見上げた恭平の肩が叩かれた。
振り向けば、すらりと背の高い若者がさわやかな笑みを浮かべて立っている。
「あ。……ええと、あれだ」
どこかで見たことのある顔だと記憶を探り、ビールを注ぐ姿を思いだした。
「いつかの兄ちゃんか」
「誠です。沢渡誠」
「おう。そうだった、そうだった。なんだ、誠はこのへんなのか」
大学はここより先の駅なので、住まいがこのあたりなのだろうと確信を持って問うと、誠は答えず質問をしてきた。
「いまから出勤ですか?」
「いや、いまから帰るところだ。夜勤なんだよ」
「警備員をなさっているって、おっしゃっていましたね」
「そう。誰もいねぇビルを見守って、帰ってきたところだ」
「それじゃあ、朝ごはんはまだですよね。これから食べて帰るんですか?」
「いんや。コンビニで弁当を買って、家で食うよ」
「……コンビニ弁当」
「おう」
「もしよろしければ、僕に朝食を作らせていただけませんか」
「は?」
なんでそんな申し出をされるのかわからず、恭平はきょとんとした。
「料理なんて、できんのか?」
すると誠は、はにかみながらうなずいた。
「ひとり暮らしで、いつも出来合いのものを食べていると聞いたので。簡単なものしかできませんが、作らせていただけますか」
(そんな話、したっけか)
酔っぱらっていたので、どんな会話をしたのかはっきりとは覚えていない。
(まあ、いいか)
気にするほどのことでもないと、恭平は思い出すのをやめた。
(とんでもねぇが、チカンとはいえ久しぶりに人様の手でイカしてもらって、しかも手料理まで食えるんだから、いいじゃねぇか)
そう自分に告げた恭平は、にっかりと歯を見せて「かまわねぇよ」と答えた。
「ありがとうございます。あの、食べたいものとか嫌いなものとか、ありますか?」
「特にねぇな。注文があるとすりゃあ、さっさと食いてぇってぐれぇだよ」
「仕事の後で疲れている上に、夜勤明けで眠いでしょうしね。じゃあ、簡単に手早くできるものを作ります」
「よろしく頼むぜ」
深く考えもせず、恭平は誠とともに近所のスーパーで買い物を済ませてアパートに戻った。
「ここが、恭平さんの住んでいるところですか」
ため息交じりにつぶやいた誠が、目を大きく開いて周囲を見回す。
(あんまりにもボロなんで、驚いてんだな)
見たところ育ちがよさそうな誠からすれば、アパートなんて昔の刑事ドラマあたりで目にするぐらいのものだろう。好奇心をむき出しにしても不快感を与えない誠の雰囲気を、恭平は好ましく思った。
扉を開けて誠を通すと、玄関で立ち尽くされた。
「おう、どうした。遠慮すんな」
言いながら、横長の台所に立って開けっ放しのガラスの襖から奥に入る。
「お邪魔します」
おそるおそる床板に足先を乗せた誠は、八畳の万年床と周辺に散らばっている新聞や雑誌、脱ぎ捨てた服を見回す。カバンを置いた恭平は警備服を取り出してハンガーにかけ、窓を全開にして消臭スプレーをふりまいてから、ワイシャツを台所横の洗濯機に放り投げた。ついでに靴下も脱いで投げ入れる。
「オッサンのひとり住まいなんざ、こんなもんだぞ」
ニヤリとすれば、誠はハッと我に返って赤くなりつつ「すぐに作りますね」とシンクに向かった。
「おう。道具は流しの下にあるから、適当に使ってくれ。俺はコーヒー飲むけど、おまえはどうする?」
「いえ、僕は料理を作るので。恭平さんはのんびりタバコでも吸って、待っていてください」
「おう。そうさせてもらうぜ」
電気ポットに水を入れてスイッチを入れた恭平は、インスタントコーヒーの瓶を取りながら、物が少ないくせにゴチャゴチャしている部屋をなんとかしないと、誠の座る場所がないなと考えた。
湧いた湯をカップに注いで、てきぱきと動く誠を横目に見ながら、足先でちゃぶ台まわりに落ちているアレコレを端に寄せる。片づけているとは言えないが、とりあえずふたりがくつろいで座れる状態にはなったなと、満足をして腰を下ろすとタバコに火を点けた。
しばらくすると、魚の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。その奥に味噌汁の香りもある。
(久しぶりだなぁ)
道具は一応そろっているが、自炊なんて皆無といっていいくらいしていない恭平は、あたたかな食事の香りを深く吸い込み、タバコを消した。
「お待たせしました。ご飯は炊いている時間がなかったので、インスタントのものですが」
そう言った誠がちゃぶ台に並べたのは、豆腐とねぎの味噌汁と焼き鮭、ご飯だった。
「うまそうだ」
さっそく箸を手に取った恭平は、湯気の立つ朝食をあっという間に平らげた。
「あったけぇ飯を食うなんざ、久しぶりだ。レンジであっためた弁当とかカップ麺は別にしてな。うまかった」
「よかった」
心底うれしそうに誠が目じりを下げるので、恭平もにこにこして腰を上げた。
「どら。食後のコーヒーでも淹れるか。おまえも飲むだろ?」
「はい、いただきます」
鼻歌交じりに恭平がコーヒーを用意している間に、誠は空になった食器をシンクに運んで洗った。
「よくしつけられてんなぁ」
感心する恭平に、そうですかと誠が照れる。
「これで女だったら、押し倒してるところだぜ」
ガハハと笑った恭平は、湧いた湯をカップに注ぐ。視線を外した瞬間に、誠の瞳が剣呑に光った。
「はいよ」
「ありがとうございます」
カップを渡したときにはすでに、誠は柔和な姿に戻っていた。ズズッとコーヒーをすすりながら、ちゃぶ台の前に戻った恭平は盛大なあくびをした。
「あ、すみません。疲れているのにコーヒーを淹れさせてしまって。眠たいですよね」
上目遣いの誠に、いいってことよと恭平は笑う。
「なんか、用事があったんだろう? 話してみろよ」
「いえ。時間があったので、恭平さんに声をかけただけなんです。――眠いところをお邪魔して、すみません」
「いいって。うまい飯を食わせてもらったしな」
言いながら、恭平はまたあくびをした。
「まあ、用事がねぇってんなら、適当にのんびりとコーヒー飲んで過ごしてろよ。俺ぁ横にならせてもらうぜ」
飲みかけのコーヒーもそのままに、万年床にゴロリと横になる。
「えっ。あの、恭平さん」
「帰りたくなったら、適当に帰ってくれ。取られて困るようなモンはねぇし、こんなぼろアパートにゃ泥棒も入らねぇだろうから、鍵は開けっ放しでかまわねぇよ。なんもねぇけど、まぁ、勝手に冷蔵庫にあるヤツを食ったりなんだりしてもいいから」
言いながら寝返りを打ち、まぶたを閉じた恭平はそのままぐっすり眠りに落ちた。
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