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「腕は」
「…え?」
思考が追い付かず間の抜けた声を出すブラックウェルに、ダンは無言で右腕を掴まえて引っ手繰った。力任せに押さえ付けられた手首が、僅かながら赤黒く変色していた。
反対側も注意深く触れて観察し、問題ないと判断して漸くその手を離すと、怠そうにダンは机の端に腰を下ろして息を吐く。
未だ健常な回路を持っていかれた儘の上官を見やり、不機嫌を隠そうともせず苦言を呈した。
「頭が悪いのかアンタは」
叱られたブラックウェルの方はと言えば、その意図が汲み取れず何と返して良いやら逡巡していた。
「密室に2人きりなんざ何考えてんだ、しかもあんな如何にもムッツリな野郎と」
「何って…」
仕事の話を…と負い目も無いのにばつが悪そうに言い掛けた上官を余所に、ダンは上着から探し当てたジッポーで煙草に火を点けた。
「端から噛み付くのも止めろ。どうせ根拠も無く勝てると勘違いしてるんだろ、馬鹿馬鹿しい」
雪の中呼び止めて歎願した姿が嘘の様に、吐き捨てるかの如く非難するダンはただ辛辣だった。
憧れの対象が易々と男に組み敷かれ、好き勝手にされているのは無性に癪に障った。更に言えば、抵抗も出来ない癖に危機感の欠片も無いブラックウェルには怒り心頭に発した。
依然として何か言い返そうとする上官を後目に、ダンはラッキーストライクの紫煙を薄汚れた天井に向けて吐き出した。それからまた上官の腕を捉え、歯向かう隙も与えず両の手首を利き手のみで封じてやった。
「おい…ダン、離せ」
「俺は片手しか使ってないんですから、さっさとご自分で何とかしたらどうですか」
最早半ば煩わしそうな口ぶりで、其方を見ようともせずダンは言った。ブラックウェルは得体の知れない物を見るかの様な目を向けたが、部下の嘲る気配を感じ取り、少しむっとして両の手に力を込めた。
「…くっ…てめえ…この筋肉の化け物が…」
「握力測定値は平均です。アンタが極端に虚弱なだけでしょう」
「…おい……俺は、会議に…っ」
痛みに僅かに息を詰める相手を認めて、ダンは思わずその手を離した。俊敏な動きで引っ込めたブラックウェルが、何処か恨みがまし気な瞳で此方を見ている。
ほれ見たことか、とダンは指摘してやりたくなった。俺の半力にも勝てない癖に。理解したら次からは爪を仕舞って大人しくしててくれ。どうせなら俺の隣で。
ダンは馬鹿な上官と、知らず知らず感化され始めていた自身に呆れて顔を覆った。最早片足を突っ込んでしまったらしく、気付かぬ間に沼に沈みかけていた。
「分かりましたよ。もう邪魔しませんから行ってらして下さい」
「ダン」
机に立て掛けていたトンプソンを担ぎ、ブラックウェルがドアを開ける手前で振り返った。
「…ありがとう」
一体何に対する礼だったのか。
終ぞ知れなかったが、それだけ言い残して姿を消した上官に、ダンは我にも無く動きを止めてぼんやりと其処を見詰めていた。
ふう、とまた紫煙を宙に浮かべ、暫し黙思した後、意味も分からずクソ野郎、可愛いなと呟いていた。
残念ながら、もうすっかり毒されているのは間違いなかった。
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