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※1
卵を洗う。
殻を割る。溶いて牛乳を加える。
…忘れていた。
人参を調理しようと取り出して、
扉の閉まる音に肩が跳ねる。
(しまった…玄関で出迎えるべきか…否…)
廊下から近づく気配に項垂れ、包丁の柄を握り締める。
そもそも、どうしてこんな事になったのか。
今朝の場面を、ぼんやりと思い返す。
快晴の夏日、ブラックウェルとその元上官・アッカーソンは汽車を乗り継ぎ、祖国のとある街に降り立った。
少ない荷物を持ち、彼に連れられて立派な2階建ての邸が見えた折。
ふと疑問を抱いたブラックウェルが口を開いた。
「サー、あの…俺は近隣に家を借りれば?」
何か妙な事を言ったのか、相手の眉間に皺が寄った。
「…お前の家は此処だが」
「はい?」
どういう事だ。
こんな豪華な邸宅に…いやちょっと待て。
家の前で立ち竦む姿を振り返り、「置いて行くぞ」とアッカーソンが怪訝な表情で言った。
ブラックウェルは尚もその場で固まっていた。
確かに付いて行く等と、漠然としたプランで帰って来たが。
まさか、この御方は、俺と、この家に、ちょっと待て。
「ああ、お前の部屋2階で良いか?俺は帰り遅いから、1階の方が良いだろ」
「………俺は外の小屋でも良いですか」
「何馬鹿な事言ってんだ、さっさと荷物片すぞ」
顔を覆った。
同居なんて聞いてない。
起業した会社に雇ってくれるとか、ご近所さんだとか、てっきりそんな程度だと考えていたのに。
寧ろこれからも会えると言うだけで、いや帰りの汽車の席が隣だっただけで、こっちは大変だったんだ。
察してくれ。
叫びかけた諸々の台詞を、すんでの所で飲み込んだ。
以上が今朝の場面であった。
悶々としながら夕食の支度をしていた結果、やらかした。
右手の人差し指に赤い線が走る。
まあ傷の内にも入らない。
シンクで洗い流そうとした手前。
いつの間にやら、背後に居た相手に腕ごと掴まれた。
「…!け、気配を殺さないで下さい…」
「馬鹿、何やってんだ」
痛いだろ、言って傷口を調べ始める。
近い。
ブラックウェルは赤くなり、黙り込む。
いやもう、本当に勘弁して欲しい。
どういう体で自分を此処に置いているのかは知れないが、今朝からやたらにこう、距離が近い。
「…っ、な…」
傷口に温かい物が触れた。
目視して頭が真っ白になった。
舌が、傷口を舐め取る。
些細な痛みと、熱が指先を襲った。
「しょ…さ、何…」
「消毒」
これ見よがしに視線を投げ、箇所を咥える。
ぬるり、と独特の感触に、ブラックウェルが耳まで真っ赤になった。
俯いて震えるだけの身体など、好きにし放題だった。
傷口から、更に指を伝い、股に舌を這わせる。
「っ、え…、あ」
ずるずるとされるが儘になる。
衝撃的過ぎて、何ら言葉にならない。
「ふ、…ぅっ、ん」
舐められた指が熱い。
熱いどころか、甘い痺れがそこから全身に回って、身体ごと蕩けそうになる。
気付けば零れる息が荒くなっていた。
妙な声が漏れそうで、唇を噛む。
「何我慢してるんだ」
閉じた唇を撫でられた。
もう駄目だ。頭が可笑しくなる。
「ほら、口開けろ」
耳元で神の如く崇めた、その声が囁いた。
なんて夢を見てるんだ。
生々し過ぎる。夢に決まっているが、夢にしても刺激が強すぎる。
彼が、こんな事をする筈ない。
否、こんな事ってもう、何をされているのかすら、頭が追いつかない。
「ふ、うぁ…あ」
混乱している間に、唇の隙間から指が入り込む。
舌を擦って、中を掻き回す、淫猥な動きで。
否応無く声が漏れた。
羞恥心に目頭が熱くなる。
調理仕掛けの食材を前にして、放ったらかしで、未だ日も沈み切らぬ時分に弄られて訳も分からず喘ぐ姿が。
加虐心に火を点けたのを、当人は知る由もない。
「俺が居ない間いい子にしてたか」
「んっ…ぅ、」
「大体お前、ちゃんと完治したんだろうな」
抱き寄せられ、背中が暴かれる。
白い肌に痛々しい傷跡を認め、大きな手が其処に甚く優しく触れた。
「痛いか」
朦朧としながらも、ブラックウェルは首を振った。
そうか、と返す声色が柔らかかった。
ネクタイの締められたシャツに顔を埋め、温かさと少し、諄さの無い花の香りを感じた。
香水が変わってる。
余裕も無い癖に、何故かそんな事に気付いて目を細める。
「マリア」
顎を掬われ、呆けている間に唇を重ねられた。
「ん、んっ、」
思わず目の前のシャツを握り締める。
その感触に触れたのは、正確には2回目だったが。
何度か柔く合わせられた後、深く舌を入れられた事はある筈がない。
あたたかいそれが絡み付き、脳に水音が響いて、背筋がぞくりと痺れる。
咄嗟に逃げようとして、腰を引き寄せられる。
後頭部を掴まえられ、角度を変えて深まる。
「ッ…ふ、っあ」
頭の中どころか、全身が蕩けそうだった。
脚が震えた。
本当に、離してくれないと、立ってられない。
口端から唾液が伝う。
呼吸も手足も何もかも麻痺して、必死になって腕を掴んだけれど、
放してくれない相手に、涙が溢れる。
ようやっと絡んでいた舌が抜けて、最後に唇を舐めて遠ざかる。
翡翠の瞳が此方を見ていたが、もう見返す所か、何一つ意思のまま動かせず、酷い呼吸でその胸に沈んだ。
「お前、キスだけでイきそうな顔をするなよ」
赤い頬に涙を零す小さな存在を抱き竦める。
今にもしゃくり出しそうな様が、愛おしくて仕方無い。
アッカーソンは崩れ落ちそうな痩身を捕まえ、膝裏から抱き上げた。
抵抗も出来ず宙に浮かぶ。
混乱し、益々脳内がぐちゃぐちゃになって、虚ろに見上げた。
「おいで、俺の部屋に行こうか」
抱き上げたまま、また唇を塞がれる。
言われて頭が理解する前にリビングが遠退く。
扉を開けて、視界に広がるシンプルな部屋。
窓際のベッド。
べ……。
漸く上に降ろされたブラックウェルは沈黙し、いざって壁際へと後退した。
「何、どした」
尚も紅潮した顔で俯く相手に、アッカーソンはきょとんと動きを止めた。
隣に腰掛け、距離を取る、未だ先の余韻を引き摺って肩を上下させる姿を見やる。
「…っ…少佐…つ、つかぬことを…おききしますが」
口元を濡らす唾液を拭った。
なんとか覚束ない頭で言葉を紡ぐ。
「、な、何を…」
してるんですか、という語尾が消えた。
つい顔を上げたら、妙に熱を孕んだ翡翠の瞳とぶつかったからだ。
「何って、お前を抱こうと」
しかも、一寸も逸らさずそんな台詞を吐く。
シーツに突っ伏したくなった。
「…ああ、悪い。事が後先になったが」
アッカーソンがスラックスのポケットを後ろ手に探る。
未だ目を合わせられずにいると、また手を掴まれた。
「マリア」
「え、はい…何でしょう」
一瞬だった。
左手の薬指に違和感を感じ、見るや燦然と輝く鉱石があった。
「結婚してくれ」
相も変わらず、真摯な表情で見詰めたまま彼は言った。
ブラックウェルは今度こそ間違いなく全ての器官がショートして止まった。
注視すれば、立ち昇る煙すら見えたかもしれない。
待てどもうんともすんとも言わない相手に、流石に訝しげにアッカーソンは眉を寄せ、首を傾けて覗いた。
「…マリア、聞いてるのか」
埋め込まれたダイヤを凝視し、放心している。
いきなり過ぎたかとアッカーソンは納得したが、何ら反省はしなかった。
彼から言わせれば3ヶ月も待ったのだが、ブラックウェルからすれば出し抜けも良いとこだった。
そもそも、お互いマトモに気持ちすら伝えた試しがない。
後先以前に、工程を抜かし捲っている。
「……」
ブラックウェルが帰ってくるよりも、相手の忍耐が切れる方が早かった。
腕を引かれ、よろめいた拍子に首筋に噛み付かれた。
「…っ!」
身体が強張る。
が、首筋を吸われ、鎖骨を辿り、唇が下りるにつれ、解ける様に全身から力が抜けた。
「…ふ、や…やめ、」
「今度からお前の沈黙は全部承諾とみなす」
「え、ええー……」
青褪めるも、やると言ったらやる男だ。
ただ先の心配より、今もう、大変な事になっている。
いつの間に外したのか、シャツの隙間から胸を食まれる。
「ひッう、ぁ…ゃあ」
呆気無く声が漏れる。
必死に涙目で口を塞ごうとして、手を捉えられた。
「な…やぁ、しょ、さ…」
「何処触られても良いのか」
「ん、ち…ちがぁ、」
「違わないだろ、ほら」
手を外そうと躍起になっている間に、下肢を脱がされた。
何という手際の良さ。
既に立ち上がる性器に、愛して止まないその手が触れる。
その事実だけで気が狂いそうだった。
「ふ、ぁあ…め、だめ」
くちゅ、と露に濡れた箇所が卑猥な音を立てる。
態と聞かせているのか、
弄んで、彼の指先が何度も形をなぞる。
「しょ、さ…ゃ、やだ…やめ」
「何が」
「や…ッぃ、ぃっちゃ、」
泣き出しそうな表情が、腕の中で震える。
眉根を寄せ、
開きっぱなしの唇から嬌声を零す、
その顔を頬を攫って、無理矢理此方を向かせる。
「良いよ、見ててやるからイけ」
ブラックウェルが、頭を振って身悶えた。
お願いだから、見ないで欲しいと全身で訴えていた。
もう羞恥心にどうにかなりそうだった。
「、ねが…はな、し…っぁ、あ」
顔を救い上げる腕を、懸命に剥がそうとする。
指が殊更厭らしく性器を煽った。
可愛らしいそれが熱を持ち、背中が痙攣した。
「ひ、ぅ…ふっぁ、あ…ッ!」
消え入りそうに切ない声を上げた。
腕の中に囚われた身体が呆気無く果て、虚脱して震えた。
翡翠の瞳が、その最中の表情を映して細まる。
熱を纏い、気持ち良くて、恥ずかしくて、
どうしようもなくぼたぼたと涙を零しながら、目の前の男に縋った。
「ふ…、っ」
「何泣いてるんだ、怖かったのか」
子供にやるように抱き寄せられ、頭を撫でられる。
シャツを握り締め、何故か益々涙が止まらなくなった。
さっきまで攻めていた指先が、優しく髪を梳く。
頬に触れて、背中を伝って、あやすように叩いた。
「どうした」
穏やかな声が耳に響く。
顔を上げると、柔らかい視線が向けられていた。
赤い目元に唇が触れる。
もう一度、唇に。
そうして手を攫われて、指先に口付けられた。
不思議なくらい落ち着いて、安堵に満ちる。
アッカーソンは大人しくなった身体を抱き締めて、小さく息をついた。
今日はこの位にしておいてやるかと、この元部下相手にしか働かない、無償の愛情を垣間見せた。
これ以上やると、本気で泣かれそうだった。
「…それからマリア、俺は少佐って呼ばれても返事しないからな」
捕まれた肩がぴくりと揺れた。
そんな事を言われても。
漸く働き始めた思考が、再び渦に呑まれた。
しかし確かに今、そう呼ぶのも可笑しいのだ。
ブラックウェルは停滞する思考で頑張って考え、導き出した。
「…えっと…じゃあ、社長で…」
顔を上げたら何故だろう、相手は真顔だった。
その後暫く、原因は分からないが…彼はマトモに口をきいてくれなかった。
the end.
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