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※2

玄関で追い掛けて鞄を手渡す。 「簡単な物で申し訳ありませんがお昼と…」 今朝用意したサンドイッチ、それから傍らにある傘を差し出した。 「雨の予報なので持って行って下さい」 「ありがとう」 まじまじと、しょ…社長の目に射抜かれる。 何か妙な事でもあっただろうか。 しかし今日もスーツが最高に格好良い。 そのままレッドカーペッドを歩いていようが、何の違和感もない。 感慨に浸っている間に、腰を引かれ、唇を塞がれた。 「…っ!」 また唐突だった。 反応出来ないブラックウェルを放ったらかしで、啄み、舌でなぞる。 終わるかと思いきや、無遠慮に舌まで入れられた。 「、ふ…」 朝からあるまじき仕打ちだった。 歯列を撫で、擽る柔らかい熱に背中が震える。 その数刻もしない間で、すっかり頭が働かなくなる。 やっと最後に触れるだけのキスをして、アッカーソンは許してやったらしかった。 呆然とする頭に、出立の挨拶が降ってきた。 「じゃあ、良い子にしてろよ」 いってらっしゃいなどと返す余裕は無い。 嵐の如く外へと去り、閉まるドアと共に、ブラックウェルはずるずると壁に崩れ落ちた。 殺される。 朝からこんな調子では、数日も持たず往生する。 左手の薬指を見やる。 相場なんて検討も付かないが、見るからに高そうだ。 切羽詰まって、取り敢えず同性婚は認められていない旨を告げるや、 「紙上の証明なんてどうでも良いから、お前の同意をくれ」と言われた。 …同意なんてするに決まっていた。 が、動揺が過ぎてそれ所では無かった。 昨日は現実か確認すべく拳銃で頭をぶち抜きそうになったが、一夜明けて幾分冷静になってきた。 (…そもそも社長は俺の事を好) 壁に頭突きした。 頭が痛い。 しかももう一つ問題があった。仕事だ。 家は家賃折半でもお世話になろうかと思ったが、如何せん仕事をさっさと見つけねばならない。 社長に雇ってくれと頼むのは論外だった。 今でこれなのに、一日中一緒なんて冗談抜きで絶命する。 「…取り敢えず買い物でも行こう」 壁から身を起こした。 帰国して、ゆっくり散策するのは初めてだった。 財布だけ手に家を後にし、市街へと舗装された道を辿った。 市民が何の懸念も無く歩く、 穏やかな世界が其処にあった。 新鮮な気持ちで商店街を過ぎる。 道行く人々がその容貌に思わず脚を止め、魅入られて呆ける。 「なあお嬢さん」 突然若者が立ちはだかった。 邪魔な野郎だ。抜かそうとして、腕を捕まれた。 「怖がんないでよ。なんかキョロキョロしてたから、助けようかって思っただけ」 黒いランニングから、太い腕が露出している。 ブラックウェルの瞳孔が開いた。覗き込む青年の襟首を掴み上げ、凄まじい力で締め上げた。 「目上の人間にはサーを付けろ、糞野郎」 若者は苦しんで喘鳴し、信じ難い目を向けた。 泡でも吹きそうな勢いだ。 なんて軟弱な野郎だと呆れ、けれども其処で漸くブラックウェルははっとした。 つい、部下を叱る癖でやってしまった。 慌てて襟首を離すや、青年は咳き込み始めた。 「あー…悪かった、その…」 「――おい、ブラックウェル」 急に名前を呼ばれ、声の飛んできた方を驚いて振り返る。 黒髪の男前が呆れた表情で此方を見ていた。 「恐喝現場かと思えばお前か」 ブラックウェルは閉口した。 同じ戦場を歩んだ社長の友人、キース・マクレガーが街中に立っていた。 「久し振りだな」 「ええ、一昨日以来ですね」 ブラックウェルは勝手に珈琲と、軽食を注文して隣の男に視線を投げた。 当たり前にスーツだが、初めて見る。 昼休みだろうか。最も、同じく取締役の彼にそんな概念は無いのかもしれないが。 「そう言えばお前らが帰った後、連隊長が…」 マクレガーは其処で言葉を切った。 訝しげな相手に構わず、矢庭に左手を掴み上げた。 驚いたブラックウェルが目を丸くする。 「…まさか…早過ぎる」 「何の…あ、ああこれですか?」 左薬指を持ち上げた。 その手を掴まれたまま、じっと黒い双眼に晒される。 「ブルーダイヤ…0.3カラットか。トリートじゃねえな、良い趣味してやがる。家一件は建つぞ」 今直ぐ社長に突き返したくなった。 何て代物を寄越してくれたのか。 マクレガーは店員から珈琲を受け取って、悠々と口を付けた。 「良かったな。いざとなれば持ち逃げしろ」 「いやあ…ちょっと、これは」 言い淀んで、視線を落とす。 知らない間に目の前に置かれたパンケーキに、取り敢えずこれでもかとシロップを掛けた。 「何だ、悩みでもあるのか。お兄さんに言ってみろ」 「まあ…取り敢えず仕事をどうしようかと」 察するのが早いマクレガーは、雇って貰えなどと愚かな返しはしなかった。 無言でケーキを口に運ぶ相手を見た後、ふと上着から取り出した紙片に何事か書きつけた。 「気に入るかは知らないが」 差し向けられた紙片を受け取る。 住所と、店名と思しきものが記されていた。 「知り合いの喫茶店が人出が欲しいらしい。宜しければどうぞ」 「…ありがとうキース」 ブラックウェルは素直に感激してお礼を述べた。 いつもの如く気遣いの出来る男だ。素晴らしい。 パンケーキに更にソースを足そうとして、もう一つ問題を思い出した。 「それと…何て呼べば良いか分からなくて」 「お前、そんなもの名前で呼べば良いだろ」 あっけらかんとマクレガーが答える。 ああそうかと合点したものの、ミスターの違和感に首を傾げる。 もっと手軽な敬称があれば良かったのだが。 祖国の言語における、その方面の語彙の少なさを嘆く。 「俺が愉快な渾名でもつけてやろうか?」 珈琲を飲む相手を見上げ、静かに首を振った。 とてつもなく悪意に満ちた渾名をつけるだろう事が、容易に想像出来た。 リビングで新聞の字面を追う姿を覗く。 何気無く、キッチンを片付ける体を装って、ソファーに脚を組むその様を。 (…勿体無い) 手元に写真機さえあれば。 いや結局どの瞬間も収めたくて、即刻フィルムを使い切ってしまう。 そんなある種、ストーカーの様な思考を抱きながら、ブラックウェルは帰宅した社長を盗み見ていた。 巷を騒がせる俳優など、鼻で笑ってやりたい。 部下も絶賛していたが、奇跡の造形だ。 賛辞しか浮かばない。 一体何を食べて育ったら…等と延々考えていた矢先、突如アッカーソンが席を立った。 眉間に皺を寄せて、此方に歩み寄る。 何事だと構えるブラックウェルの真横に、相手が勢い良く手を付いた。 「…お前…さっきから何て目で見てんだ」 「え」 指摘されて漸く気付いた。 遠慮もなく思いっきり見惚れていた。 シンクの上は当たり前に、全くの手付かずで放置されていた。 背中を嫌な汗が流れる。 何かこう、上手い言い訳が思い浮かばない。 「その、一面の記事が…」 「“バザルゲット社の株価暴落”?投資なんかしてたのかお前」 「…してません」 一体どんな目で見ていたのか。気恥ずかしさが募る。 「教えてやろうか?」 易々と心を読まれた。 アッカーソンは立ち尽くす目前の薄い肩を掴んだ。 首を傾け、細められた双眼が相手を射抜いた。 息が詰まるほど、一寸も逸らさず此方を映す。 ブラックウェルの頬が面白い様に染まった。 耐え切れず、ずるずると視線が床に落ちた。 「サー、その……考え事を…」 消え入りそうな声で弁明を始めた。 「何の」 「な、名前を…」 ブラックウェルは勘考し、観念して、やっと目線を上げた。 「その、名前で呼んでも構いませんか」 意表を突かれた様に相手が黙る。 やってしまったかと肩に力が入る。 「そんな事、一々夫に了承取る気か」 夫。誰が、誰の。 ああ…。 また低迷しかけた頭を大きな手が撫でた。 「お前は昔から複雑に考え過ぎなんだよ。もっと単純に、したい様にすれば良い」 俺みたいに。親指が唇に触れる。 したい様になどと、相変わらず難しい事を宣う。 …したい様に。 震える手で目の前のシャツを掴んだ。 隠れる様に、額を埋めた。 「――……エル」 空気に溶けてしまいそうな声を出して、言った本人が耳まで赤くなった。 どうしよう。 唇を引き結ぶ。単に名前を呼んだだけで、痛いほど思い知らされてしまった。 駄目だ、本当に、滅茶苦茶に好きだ。 顔が上げられない相手を、アッカーソンは背を屈めて覗いた。 「もう一回、」 俯く頬を包む。 泣き出しそうな目と、無理矢理視線を絡ませた。 「もう一回呼べよ」 唇が紡ぎ終えた刹那、引き寄せて口付けた。 無防備な隙間から舌を差し込む。 絡ませて愛しい総身を、快楽に導く。 「っ、…んンッ、」 意識して、恋した手に触られる事が、こんなに。 舌をやわく、食まれただけで崩れ落ちそうになる。 何も考えられなくて、手も足も出ない。 全身が熱を帯びて、 不意に結び付いた視線のみで、 切なくて泣きそうになる。 「…、っぁ…も、」 「ん?」 「たて、な…ッ」 床に落ちそうな腰を支えられた。 とても優しくキスを落とされる額と、性急に脱がされる服と。 翻弄され、手の行き場すら分からずシャツを掴む。 たくし上げた隙間から、指先が乳首を弄ぶ。 「ふ、っあ…ぁ」 爪先まで電流が駆け抜けて、只管にその衝撃に耐えた。 締まらない唇を手で覆う。 それを、間髪入れず掴み上げられた。 「…っき…きかな、で、ッぁ」 漏れる声も。 表情も情けなくて、消えてしまいたくなる。 なのに隠す事は許されなかった。 暴かれて、益々追い詰められた。 赤い突起を擦られる。 緩く撫でて、急に弾かれて。 「んんっ…ン、」 指先で摘まれて、唇を噛み締め、シャツを握り締めた。 だめだ それ以上したら、 眉根を寄せ、懸命に腕を外そうと力む。 「どうしたマリア」 「って、だめ…、ぁッ」 「何がだよ」 「も、やぅ…あ、あ」 ぐり、と強く先端を押された。 背中が痙攣して、息を飲む。 行き場の無い激流が押し寄せる。 がくんと力が抜けて、乱れの無い相手に縋った。 「っ、ぁ…あ、」 快感が限界点を超えて、身体が戦慄く。 切ない嬌声を上げて、しがみ付く相手をアッカーソンは抱き上げた。 達して涙の伝う頬に口付け、焦点を失った瞳を覗いた。 「未だロクに触ってないのに、またお前は」 ブラックウェルが悄然と俯く。 「本当に可愛い奴だな」 ソファーに身体を横たえた。 息つく間も無く、秘所を弄られる。 滴る露で既にぐちゃぐちゃの、 熱を持て余す箇所に、指が入り込む。 「ふ、ぅあ…ッぁ」 白いソファーに崩れる身体が、当ても無く惑った。 浮かされた瞳は見た事もない色をしていた。 「マリア」 深く、指を潜らせながら頬を撫でる。 虚ろな目が彷徨う。 明らかに“とんで”いた。 漠然として、何処を映しているのかも掴めない。 「…聞こえて無いなお前」 細い脚を割り開く。 埋め込むや、蕩けた秘所はゆっくりと飲みこんだ。 「ひぅ、ぁッ、あ…」 「力抜け。そう、良い子」 目に掛かる前髪を払う。 開きっ放しで嬌声を漏らす紅唇に、口付ける。 生理的な涙がぼたぼたと落ちた。 追い詰められて、行き場の無い手を掴まえた。 「ゃ、ぅあ、あ…っえる、」 「どした」 幸い、相手は認識しているらしい。 苦しげに喘いで、 それでもその僅かな隙間、 泣き付く様にその名を呼んだ。 「ふ、も…っぁ、あ…!」 最奥を突かれ、繋いだ指先に力が籠る。 すべての建前を剥ぎ取られ、身一つで善がる愛しい姿を アッカーソンはただ直向きに見詰めた。 「愛してる、マリア」 届いてないだろう、相手に囁く。 震える身体に唇を落とした。 虚脱したブラックウェルの喉が、小さくしゃくり上げた。 ポットから湯を注ぎ、立ち上る香りに目を細めた。 暑さが未だ身を潜める早朝。 キッチンに立ち朝食を作る最中、2階から下る足音を聞いた。 振り返ると、寝起きの姿が此方に気付き、ばつが悪そうに目を逸らした。 気まずいと決まって視線を合わせない。 子供と相違無い元部下の癖に、思わず笑う。 「おはよう」 珈琲を片手に、アッカーソンが声を掛けた。 「…ざいます」 だから子供か。 呆れて冷蔵庫から水を出す姿を見やる。 少し口にして、何やら壁を向いたまま項垂れていた。 「今日も雨降るらしいな」 「はい」 「週末晴れたら出掛けるか」 「ええ」 見事に棒読みだった。 真面目な気質故に、また何か葛藤してるに違い無かった。 「マリア」 漸くヘーゼルの目が此方を見た。 小さな手に、ティーカップを持たせる。 「…ありがとう御座います」 湯気の上がる珈琲を眺め、ブラックウェルがぽつりと御礼を零した。 ゆっくりと口を付ける。 同じく珈琲を片手に、アッカーソンは経済紙に目を通す。 ブラックウェルは1人、黙り込んで頭を抱えた。 はっきり言って、昨夜の記憶が途中から無い。 が、一線を越えた事は何となく悟っていた。 動揺を珈琲と共に飲み下そうとする。 変な汗が出そうだった。 眉根を寄せ、素晴らしく自然体な相手を見た。 伏せられ、紙面を見詰める翡翠の瞳。 長骨の浮いた綺麗な手に、鼓動が早まる。 長閑な朝のその姿が妙に愛しく。 気付けば意味も無く、その名が口をついて出ていた。 「エル」 「ん?」 直ぐに顔を上げた相手が振り向いた。 「いえ…呼んだだけ」 意味が分からない。 胸中で自らつっこむ。 隣から痛い程の視線を感じ、いたたまれなさに再び珈琲を睨んだ。 「マリア、ちょっとこっちおいで」 何故か手招きされ、其方を見上げた。 「はい?」 「何もしないから」 良く分からないまま、珈琲を置いて歩み寄った。 「…っ!」 途端、引っ張られ首筋に噛み付かれる。 前言は何だったのか。 その朝、彼は読み掛けの経済紙を放り出し、珈琲は冷めきった。 穏やかな陽光が射し込む中、リビングの淡いカーテンは、結局昼時まで引かれる事は無かった。 the end.

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