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「ああそうだ。取り込んでやったついでにベッドメイキングまでしてやった。洗濯物は明日自分でたため」  そう言いながら由汰の湿った頭をくしゃくしゃと撫でると居間に戻って行く。  その手の温もりに一瞬にして顔が火照るのが分かった。  スキンシップが増えているように思うのは、由汰だけだろうか。  単にコミュニケーションの一つであって他に何も意味を持たないことだとしても、こんな些細な事でいちいち嬉しいなんて思ってしまう。  なんだか、のぼせてしまいそうだ。シャワーだけしか浴びていないのに?  あの無骨な男が夕食の準備から洗い物、はたまた布団敷までしてくれるなんて、外見を裏切って結構に気働きがある。  まさに目から鱗だった。  ――目から鱗……。  はっと弾かれたように居間に飛んでいく。  座布団にふんぞり返ってリモコンでテレビのチャンネルをザッピングしている織部に、ちゃぶ台に勢いよく両手をついて身を乗り出した。 「カラコンだよ!」 「はあ?」 「だから、堀北くんに感じた違和感だよ。彼、店に来た日はグリーンのカラーコンタクトをしてたんだ。写真のはそうじゃなかったから。僕の目ほどじゃないけど、あの日はグリーンの目をしてたんだ。もしかしたら、いつもしてたんじゃ……」  ないのかな、と言い終わる前に、織部の顔に怖いほどの緊張が走る。  何かまずい事でも言ってしまったかと一瞬心配になって思わず身構えた。  けれど、直ぐに無表情に戻ると、ポケットから携帯電話を取り出した。 「ここにいろ」 「なにかまずいことでも?」 「いいから、とにかくここにいろ。動くなよ」  念を押しながら携帯電話を耳に当てると急ぎ足で上がり端を下りて行った。  書店の奥に消えた織部を見て、なんだか不安がよぎる。  由汰の発言の何がそこまで織部をピリピリさせたのか。 「俺は署に戻る。悪いが、あと二時間、お前を看ていてやるこができなくなった」 外で電話を終えた織部が、難しそうな顔で戻ってくるなりそう告げる。 上がり端に上がらず、携帯電話を掴んだ右手を戸口にあてたまま。 「なにかまずいことでも言ったのか、僕が?」 「いや」  と、しきりに外の様子を気にするように、大戸口を気にしながら口早に応える。  落ち着きなく戸口に携帯電話をコンコン打ち付けながら。 「お前、しばらく書店を閉めて」 「店を閉めるだって?」 「しばらくだけだ。平多昌子のところへ身を置くことはできないのか」  唐突に何を言い出すのかと思えば。  冗談だろと、笑った由汰を三白眼が諫めた。 「だって、二時間くらい平気だよ。もうすっかり血糖値も落ちついた」 「そう言うことじゃない」 「じゃあ、なに」  由汰も、上がり端からなんとなく釣られて大戸口の方を覗き込む。書棚が邪魔で見えはしないが。 「お前……」  と、核心的なことを告げたくないのか、告げることができないのか、織部が妙に歯切れ悪く口ごもる。その末に、 「なら、俺のところにくるか」 「お……え?」 「とにかく、……手っ取り早くどこか身を潜めていられるところはないのか」  ぶっきら棒に問いながら、苛立ち気に腕時計を確認する。  由汰が伝えたカラコンの件が、織部を急かして苛立たせているのだろうか。  身を潜めておける場所? うっかり低血糖の心配をされているのかと糠喜びしかけた己が恥ずかしい。 「なあ、教えてくれ。どうして身を潜めなきゃならない?」  上がり端から織部を見下ろして、しごく真剣に尋ねた。 「この店が選ばれたのは、ただの偶然か?」  と、逆に問われてしまう。 「ただのセキュリティが甘いってだけの理由だけか?」  どうなんだ、知っているんじゃないのか、お前は――。  そんな言葉が末尾に付きそうな、きな臭い言い方だった。  結局のところ、織部は何も教えてはくれない。刑事だから、規則上致し方がないから。  仮に、本当に由汰に身を潜めていてほしいのなら、そんなもの捨ててしまえばいいのに。  それすらできない、その程度のことなのだ。 その程度の、長い物に巻かれた男臭い男。 「二時間後に電話をくれないか」 「なに」 「ワン切りでいいから。そしたら、僕もワン切りするよ。それで、お医者さんから仰せつかったことは事足りるだろう」  素っ気なく、それが答えだと言うように告げれば、織部の顔から見る見る表情が消えていく。怖いくらいの刑事の顔へ。 「何度聞かれても同じだよ、刑事さん」 「…………」 「僕は、疑われるようなことはなにもしてない」 「疑われるようなことはな。ああ、分かってる。お前は、その逆だ」 「逆?」  それ以上は言えないのか、言わないのか、見上げてくる雄々しい三白眼をしばらく見下ろしながら唇を無意識にいじりだしていた。 「僕が」  まさか、どうしてそうなる。  答えを明確にしないまま、織部が上がり端の戸口から離れた。 「ワン切りだな。了解した」 「行くの?」 「ああ。――降りて鍵を閉めろ。きっちりと」  靴を履きながら頷く。 「分かってる。なあ、僕が逆ってどう言う意味なんだ」  大戸口に向かって既に歩き出している織部を追った。 「なあ、織部さんっ」  無言の背中に呼びかけたものの、織部はそのままガラガラと大戸口を開けてしまう。  通りに出て後ろ手に閉めようとする戸をとっさに押さえた。 「待ってよ」 「目立った行動は控えろよ。あれこれ嗅ぎまわるのもやめろ」  肩越しに告げてから、改まって由汰に向き直った。  大戸口から半身を乗り出して必死に織部の次の言葉を待っていると、おもむろに織部の右手が上がる。  なんだと視線だけでそれを追えば、そのまま中指の背ですーっと鼻筋を撫でられた。  ――愛おしむように。  そんな表現が似合いそうなほど、優しく、しごく自然な動作で。  驚いた由汰の目に、険しい刑事の顔と、織部自身の顔が入れ代わり立ち代わり見えるような気がした。 「何かあれば直ぐに電話しろ。どんな些細なことでもいい。一人で勝手に、どうか探りまわったりしてくれるなよ」  そう言うなり、由汰の肩をゆっくりと店内に押し戻すと、大戸口を閉めて通りへ消えて行った。 グリーン・アイ ≪前編≫ 了

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