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Side T
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あの男が来る。重恋くんを一瞥したら目が合った。とりあえず笑って教室を出て行く。僕の生活は変わらない。重恋くんとそんな親しくなかった頃に少し戻るだけ。会話も減ったと思うけど、そもそも変わらないしね。僕に何か迫ってくるような右耳のピアスも落ち着いた黒い小さな物へと変わった。多分あれ近付いて見ると濃い紫色とかだね。遠めだから黒に見えたけど反射で分かる。
でも何か…わずかに変わったコトっていえば重恋くんのカレシがカレシになる前に余計なことしてくれたのをきっかけに変えた髪型で女子から声掛けられるようになったし、少し派手めな男子からも色々誘ってもらうことが多くなった。正直ダサかったしもっさりしてて野暮ったかったしね、前の髪型。でも重恋くんがこっちがいいって言ってくれた髪型は素顔がよく見えすぎちゃってちょっと恥ずかしいんだよね。でも君が気に入ったっていってくれるなら、しない理由はないんだよな。
廊下を歩く度にかけられる、カラオケ行かないだの放課後暇か、だの誘いに困った笑みを浮かべて躱す。暇な僕は図書室に通う。読書はもともと好きだった。本は心の栄養だ何だという妙なキャッチコピーを聞いたことがあるけれど、僕は特にそうは思わなかった。知らなくてよかったこと、知らなければよかったこと、気付きたくなかったこと、気にならない方がよかったこと、読めば読むほど増えていく。相手の気持ちを推し量るとか状況を読むとかどうすると相手が傷付いちゃうのかとかそういうのが苦手な僕にはやっぱ面白みとか興味とかは感じられなくて、ただの必要性ってだけの付き合いでしかなかった。その必要性に応じても結局この様なんだよな。ムダかもね、つまらないかもね、そう思っても刷りこまれた必要性の強迫観念と癖と紙の音と印字のデザインが僕を本に惹きつけさせる。なんでかな。
本っていえばさ、小学校の時、年間貸出読書量、負けたことあるんだよね。本を読め、本を読めって押し付けられて、家の本、地元の図書館でも読んだからトータルは多分僕の方が多いって。貸出くらいじゃマジで完読してるか分かんないでしょ。一冊のページ量だってかなり差、あるしね。でもひとつの指標なんだろうね。でも図書室の年間貸出量で2番だったのが当時は気に入らなかった。1番誰だよってムキになって。どうせパラパラ捲ってるだけでマトモに読んじゃいないだろ、絵ばっかの本で何の役に立つのって随分ぶつくさ思ったな。司書の人に訊いて、紹介された子は肌の色違うし顔立ちも見慣れた感じじゃないし。違う子なんだなって思った、文化も言語も。僕とは。でも彼は日本語で話し掛けてきて、バカにされてるのかなって思ったんだっけ。それこそ僕何だったんだよってカンジじゃんね。なんで自分の国の言葉で話さないのって。だから僕は彼の国の言葉で話し掛けたのに、困ったカオされてテレビで見るような癖の強い日本語とは全然違う、そのまま僕らみたいな日本語で返されて。それもバカにされてるとか僕は思ったんだよ。アメリカ英語じゃなかったのかな、ポルトガル語だったのか、とか。でもポルトガル語は話せないよって感じでさ。僕は悔しくてバカみたいに喚いて、司書の先生めっちゃ困ってた。バカだったな、僕。あ、そっか、だからかな。あまり同じクラスにならなかったの。それで僕の図書室通いが始まったんだった。あの頃は何も興味がないどころか、全てに勝たなきゃって思ってたんだっけ。周りへの意識がヤバかった。そうだ、それで少しずつ分かるんだよな。彼もしかして日本語しか話せないんじゃないのか…?って。毎日図書館通って、毎日いるそいつの視界に入っちゃってさ、それでいつも隣に同じ肌の色の女の子連れてさ、妹かな、親しそうだったし。お互い日本語で話してなんか多分読み方とか意味とか訊いてたんだと思う。懐かしいな。もうとにかく何か言いたくて仕方なかった。なんでそんな子どもみたいな本ばっか読んでるのって。でも今思うと子どもっぽいどころか学年相応かそれより少し上くらいの対象設定だったんだよな。僕が浮きまくってただけで。周りへの意識はヤバかったくせ、僕がそういうところ疎かった。嫌だな、染サンに言われたこと思い出しちゃった。なんだかな、僕の第一印象は悪すぎるんだよね。重恋くん、今更何言っても仕方なくて、こうして8年とか9年とか経ってきちんと和解出来て、それはかなり偶然な部分大きいし、君は忘れてるかもしれないけどさ。
「冷生チャン」
適当に選んだ本だしあまり興味のある内容じゃないから、中身なんて全然入ってこないし。登場人物の名前、何だったっけってページを戻していく。
「無視すんなって冷生チャン」
誰、っていうか声で分かる。何の用かな、重恋くん教室にいたでしょうが。ここ図書室なんだし大声出さないでよね。
「何ですか。重恋くんなら教室に…」
少し怖い顔していた。仰ぎ見た鷲宮先輩は。幼馴染のこと殴ったり挑発したから?
「お前に話があんの」
むす、として唇を軽く噛んで僕を見ている。何の話。染サンのこと?
「僕は別にないです」
「先輩に付き合えよ」
本を開いていた腕を取られて無理矢理立ち上がらされる。
「分かりました。本返してくるので廊下で待っていてください」
溜息を吐いて本棚へ向かう。もう勘弁してくれ。もう何も言う気ないって。黙って身を引くって。それで丸く収まってるだろ?それだけが僕が重恋くんに出来ることなんだろ。
「まぁリラックスしろって」
僕が染サンを殴った多目的室は図書室から近い。ドアが無いから開放されてる。飲食も禁止されてないからたまにカップルがここで昼食の場にしてる。
「お前小松に何か言った?まぁそれはいいとしても、少し考えろよ?」
まさかこの先輩からそう言われるとは思わなかった。よく考えるべきはこの先輩じゃないのかよ。
「何を、ですか。何を考えたらいいんですか。分からないです、僕」
染サンのことですか、重恋くんのことですか、先輩のことですか。教えてくださいよ先輩。染サンにも言われた。察しろとまでは言わないけどって。でも何を。どうやって。
鷲宮先輩は急に困ったカオしてそういう風な表情も出来るのか、って他人事みたいに思った。
「辛気臭ェツラ」
「染サンにも考えてみてよって言われました。どうして先輩を選んだのか考えろって」
でも分からなかった。だから染サンは答えをくれたんだろ。呆れた顔でさ。
「結局分かりませんでした。だから諦めます。ずっと染サンに突っ掛果ってましたけど、僕も何か言える立場じゃなかった。それだけです、僕が分かったのは」
悔しくないと言えば嘘になる。でも何か行動すればするほど望んでいたものとは遠くなる。学校じゃ先生からは教わらないこと、学校で教わろうとしなければ教われないこと。でもそこに先生だの教科書だの要らない。じゃあ僕には無理だね、向いてない。
「正直、潮時かもって思ってます」
この人、潮時の意味通じるかなってのは言ってから思った。
「重恋くんのことです」
「は?」
「しんどいんですよ。友達でいるの。理性と感情の折り合いだって限度ありますから。僕が抱いているのは恋愛感情なんです」
優越感、覚えてくださって結構です。それを口に出していただいても。恋愛という競争にどういうカタチであれ僕は負けた。許されない敗者という座にも甘んじるしかないのが恋愛って競争の業の深いところじゃない?
「ちょっと冷生チャン?」
なんでまたそういう困ったカオ?憐れんだ目で見ればいいだろうに。負け犬がって嘲ってみたらいいでしょうに。あんたは勝者なんだから。どういう内容にせよ、選ばれてほしい人に選ばれた側の人間だろ。下手な同情だの憐憫だのを向けたらいい。
「何、言い出す気だよ」
でも僕はね、そういうカタチじゃなくて、欲しかったのは重恋くんの気持ちだったからさ。
「さぁ、何を言い出す気なんでしょうね、僕は」
嬉しい?笑ったら?喜べって。どうせは軽いお遊びなんだよね?
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