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Side T

Side T 「冷生ちゃんは酷いことするなぁ」  染サンはいつもの様子でそう言った。染サンの家に上がらせてもらって、カーテンレールに大量に掛けられたポテトチップスの入ったビニール袋を意味の分からないインテリアだな、って見つめていたら、どうやら鷲宮先輩が持ち来んだものらしい。 「そうですか?」  減らないから、と鷲宮先輩が持ち込んだというポテトチップスを開けてもらう。全部コンソメ味だ。太りそうだなって笑う染サンは痩せた。やっぱり退学ってキツいのかな。親にかける様々な負担考えればキツいのかも。 「惜しくなっちゃうでしょ」  食事も上手く摂れてないのか、唇の色が悪くて、細い指が荒れた肌を掻いた。その姿が見ていられなくて染サンからポテトチップスの山を見つめる。 「すみません」 「ははは、冗談。俺もアイツと話せてよかった」  勉強机の教材がヒモで括られて、部屋も整理されていた。染サンの家に来たのは初めてだけど、思ったよりも綺麗だったし片付いていた。生徒会の時はいつも片付けられなくて後輩にもよく叱られていた。 「フったんですね」 「そりゃね。あの流れでOK出さないでしょ」  こけた頬が持ち上がって目尻の皺が濃くなる。ダサいこと言った。 「まぁ色々あったけど、やっと言えるよ。殴ってごめんね」 「やめてくださいよ。気色悪い」  どういう顔をしていいか分からず3枚くらいまとめてポテトチップスを口に入れた。甘辛い味と小気味いい音。 「俺の独り言、聞いてくれる?」  お、来たか?って思った。僕が望んでいて、同時に恐れていた言葉が染サンから聞けるのかなって。ポテトチップスを噛む音が煩わしくなって咀嚼を止める。 「ど、うぞ?」  僕はやっぱ動揺隠すの苦手かも。自分でも分かるくらい声が安定しない。染サンは穏やかに笑った。多分僕の動揺に対して。 「そんな大したことじゃなくて」  ポテトチップスを摘まむ手も止めてしまっていた。聞き流してほしかった内容だったなら僕はバカだ。 「観月のコトだよ」  ちょっとだけ嫌味っぽい感じに口角を上げられて、僕はそんなに分かりやすい? 「まぁいいや、観月のことは。冷生ちゃんはさ、もう素でいっちゃえよ。上っ面とか気にしないでさ。大事に思う気持ちは分かるからさ。下手に飾ると、いつかもう剥がせなくなっちゃわない?」  それを染サンが言うんですかって、思わなくもないけど、だからかな。だから僕にそれ言うの? 「何ですか、それ」 「素を出せって話。あのすっごい性格悪い裏の…むしろ本性かな」 「喧嘩売ってる感じですか?」  この人、不思議な人だとは何度か思ったことあるけどここまでか。染サンは言いたいことが上手くまとめられてなかったみたいで、宙を見ながら呻く。 「なりたい自分を振る舞うのも大事なんだけどさ、しんどくなる前に、言いたいことは言っちゃえよ…これも違うな。なんていうか…意味通じる?」  片付けは全くダメだったけど、てきぱきと指示を飛ばして機転の利く生徒会で見た染サンは何だったのかってくらい頼りない姿。 「意味は分かりますよ。理解には苦しんでますけど」 「ははは、そういうところ。まぁ好きな子ほど出せないか」  染サンが独り言を後回しにしてまで言いたかったらしいことはよく分からないまま。僕、結構そのままに接してるんですけどね。 「訳分からないです」 「うん、やっぱ分かんなくていいや、今のナシ!」 「染サンは」  ひとり楽しそうな染サンに水を差すように僕は呼んでしまう。なんだかんだ敏いこの人は僕の声音だけで言いたいことの中身は察せたのだろう、目尻の皺が広がっていく。 「鷲宮先輩に、負い目、感じたことありますか」  ポテトチップスを摘まむ指からポテトチップは落ちて音を立てる。時間が止まったみたいにワンテンポ置いて、でもそれも僕の錯覚かもしれなくて、そもそも僕の勝手なリズムに過ぎなくて。  あるよ。口がそう動いた。 「そうですか」  どうしてこんな変な質問したんだろ僕。染サンは詮索してこなかった。それが助かったってことは多分これからずっと染サンに一生言うことないな。 「冷生ちゃん家ってカンショク禁止だったりするの」  完食?感触?何って?僕は首を傾げると、おやつのことって言われて間食か、って理解して、禁止されてないですけど、ってあまりに唐突な問いに僕はますます訳が分からなかった。 「持っていきな、食べないから」  ビニール袋から一袋だけ取り出して勉強机の上に置くと、残りのポテトチップスをビニール袋ごと僕に差し出す。 「え、鷲宮先輩からなんですよね?」 「いいの、いいの。ちゃんと食えって心配してくるんだよ。こんな食べたら太るわ」  鷲宮先輩っぽいな、ってなんとなく思った。 「あいつには一袋残しておけばいいから」  増量パックの大袋だしね。ただ鷲宮先輩の心配も分からなくはない。僕は言葉を失った。  帰る頃には2階にも夕飯と思しきいい匂いが上ってきて、玄関真横のリビングを覗くと染サンの母親が夕飯を作る手を止めて僕の元までやってきた。典型的な母親、って感じがした。僕の見慣れた母親とは違う。この間は本当に染がごめんなさいね、今日は来てくれてありがとう、染が世話になったわね。染サンの母さんが何度も頭を下げて、急に胸が苦しくなる。どこからかキャンキャンと犬の鳴き声がする。染サンにごちそうになりましたって言って僕はポテトチップスが沢山入ったビニール袋をちらつかせて会釈をすることしか出来なかった。

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