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終章:終
「糸を拾ったあの日から、俺はもう、アイツ以外に勃たねぇんだよ」
信じられない先輩の言葉に思わず噎せ返る。
今でこそグチャグチャになるまで糸を抱き潰している先輩だが、始めからそうだった訳じゃない。寧ろそんな関係になるまで、先輩にしては随分と時間を掛けていたと思う。
「拾って、直ぐからですか」
「まぁ大体は…ってオイ、変態を見る目で見るんじゃねぇよ。一応成人してんだろうが」
「年齢はね。でも中身は子供そのものじゃないですか。多少は歳相応になってきましたが、先輩相手だと未だに犯罪臭いですよ」
「なにッ!?」
「しかし先輩、男は範疇外だったでしょう。何でですか?」
八代の件があるからこそ、男同士に嫌悪を抱いても可笑しくない。その上相手はあの糸だ。相手に選ぶなら店に居る子の方が余程色気もあり唆られると、普通の男なら言うに違いない。
そう思い尋ねれば、先輩は「俺が知りてぇよ」と言って態々戻って来てまで俺を蹴った。理不尽だ。
「八島が俺にオッサンを抱けと言ったのも、元々はアイツ等の痴情のもつれが原因だからな。案外さっさと片付いた」
「そっ、そんな裏があったんですか? それにしても急でしたね…急いで今日話をつける必要があったんですか?」
俺を叩き起してまで…とちょっと恨みがましく言えば、先輩が進む足を止め振り向いた。
「アイツの誕生日だからだ」
「は?」
「これが“アイツの欲しい物”なんだよ!」
それだけ言ったかと思うと、プイと前を向いて再び歩き出してしまう。だが、そんな先輩の言いたかった事の大半が、詳しく言わずとも俺にも分かっていた。
糸の欲しい物。
それはどの方向から考えても、結局最終的には“数馬さん”に行き着いてしまうのだ。
先輩がマンションに来るといつも糸は『今日は八島組に行ったんですか?』と聞く。
以前八島兄に連れられていった時、あそこで先輩が何をしているかを糸は知ってしまった。そんな糸がそれを聞くと言うことが何を示すのか。
俺が気付くのに、先輩が気付かない訳がなかったのだ。
「じゃあ、先輩自身がプレゼントになるわけだ」
「………」
「だったら何でそれ、買ったんですか?」
俺は未だ先輩の手元で揺れる小さな袋に目をやる。すると先輩は、その小さな袋を肩まで持ち上げ揺らした。
「これは虫除け兼、鎖。最近妙な虫が寄ってくるからな」
不細工のくせに生意気な奴だ、と言って前を歩く先輩の耳が赤い。
誰と付き合おうが、何を強請られようが、先輩が誰かに何かを貢ぐところなんて今まで一度も見たことがなかった。まして、誰かを所有する証となるモノなんて絶対に有り得ない。
いや、これからは“有り得なかった”になるのだろう。
「『俺がプレゼントだ』とか言っちゃうんですか」
「うっせぇな! ンなこと言うか!」
耳を赤くした先輩の歩いた後に、あれ程強く巻きついていたはずの鎖がバラバラに千切れて落ちていた。そうして軽くなった彼の背中は今、彼だけの“唯一”へと向かっている。
その足取りは今まで見たどのそれよりも軽く、彼を前へと進ませていた。
『金も権力も友達も、家族も恋人も要らない。ただ俺は“数馬さんのモノ”であれば満足なんだ。あの人が俺を要らないって言うその時まで、側に居られればそれで良い。それだけで俺は幸せだ―――』
そう言ったあの時の糸は、人々を誘い込もうとするこの街のどんな光よりも強く輝いていた。闇に暮らす俺たちには些か強すぎる、純粋な光だった。
そんな糸を手に入れた先輩を少しだけ羨ましく思う。
八島も俺も、先輩も。
きっとどこか似た闇を抱えていたはずなのだ。だからこそ俺たちは出会い、関わり、繋がっていた。そこから一抜けした先輩を羨むなという方が難しい。だからと言って、それを壊したいとも思えないから悔しいところだ。
誰かが口を挟まずとも、きっとこれから先輩は嫌という程あの子の想いを知る事になる。そうして今以上に、先輩は変わっていくのだろう。
そこにほんの少しの寂しさを感じながらも、彼が持ち帰るプレゼントに喜んで見せる糸の顔を思い浮かべれば、思わず俺まで微笑んでしまうのだ。
「先輩、体にリボン巻かなくて良いんですか」
「芳哉…テメェ良い加減殴るぞ」
そうして翌日、左手の薬指に金色を光らせた糸とオーナーが出勤すると、それを見つけた売り子たちによって店の中は阿鼻叫喚の巷と化したのだった。
END
たくさんの人
たくさんの音
闇夜を導く、たくさんの光
だけど
俺を導き救ってくれる唯一は
きっと
あなた(お前)だけなんだ――――
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