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第16話 ミッドナイト・ブルー⑤
「服を着てよ」
背中越しに彼の声がする。
震えた唇から漏らしたような声だ。
グロテスクな体の男娼を抱くほど、彼は物好きじゃないだろう。
俺は返事をするためのメモを書いた。わざわざ書かずとも意思の疎通は出来るのに。
なんだかすぐに振り向くのが怖かったのだ。首が上手く動かない。─あの親父、強く絞めやがって。
オルトは小さな部屋でも聞き取りづらいほど小さな声で言った。
「今日は僕の悩みを聞いて欲しいんだ。…こんなサービスは受け付けてないかな?」
彼の言葉を聞いたとき、オルトは俺の想像を超える人物なのかもしれない、と思った。自分が勝手に彼に拒絶された思い込み、悩んでいることが恥ずかしくなるくらいに。
俺の体に傷があっても無くても、彼の態度は変わらないんだろうな。
『大丈夫ですよ。私でよければ。』
「ありがとう。じゃあ話そうかな」
オルトはポツリポツリと語り始めた。俺はそれをただ黙って聞いていた。
─途中までは
相談事だと思って聞いていたが、違ったようだ。
これは何だろう?愚痴や悩みとは違ったニュアンスを含んだ口調で語られる"ソレ"を俺が聞き続けてもいいのか?そんな妙な気分になる。
覚えのあるエピソードが彼の口から語られる。
家の前で倒れていた男を介抱したこと
そしてその男を雇ったこと
勉強している彼に本を貸したこと
休日が退屈で、早く彼に会いたくなったこと
雨の日、濡れて帰ってきた彼を直視出来なかったこと
…彼と一緒にいると楽しいこと
オルトは"ここにいない誰か"の話をしている訳じゃない。いや、彼にとってはそうだろうが。
これは夢か。自分の耳と頭が信じられない。
だから俺は取り繕うのも忘れて文字を書いていた。
『なんだか恋愛相談みたいですね。』
メモを見せた瞬間の、彼の表情を俺は一生忘れないだろう。いや、忘れたくない。
「やっぱりそうなのかな。僕が恋かあ…」
恋を自覚した人の表情ほど美しく、暖かなものはないだろう。
彼を何かに喩えたかった。
花、青空、虹。俺の知っている限りの綺麗なものを並べるが、どれも見劣りしてしまう。
俺は今初めて知った。本当に心が撃たれたとき、人は言葉が出ないのだ。
こんな彼をずっと見つめていたい。近くにいたい。
俺はただ彼を美しいと思った。
ああ。もっと言葉を勉強しておけばよかった。
このメモにこの気持ちを書けたのに。彼に伝えられたのに。
思ったままを伝えるには、この感想はストレート過ぎる。
彼の話を聞いた後に自分の話もしたが、あまり覚えていない。
涙で頰が濡れていたことと、彼の「君は汚れていないよ」という言葉はやけに胸に残っている。
こんな俺が恋をしてもいいのだろうか。
彼のように綺麗な人間じゃないのに。
─俺にはそんな資格があるのか?
ぐちゃぐちゃになった頭で考えながら泣き続ける俺の頭を、オルトがいつまでも撫でていた。
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