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第四話 痛み

 人を叩くというのはなんとも痛いものだった。  彼の頬を打った掌が熱く、ジンジンと痺れをもつ。彼の頬も同じように痛み疼くのだろうか。 「すまん」 「……別に。そこまでじゃないヘンタイもいるんだなって思っただけ」 「とにかく、中へ。手当をしよう」 「ちょっと、ホントに入るの? バレたら怒られる!」  誰が怒るものか。俺の(やしろ)だ。 「え? なんで?」 「何が?」 「だって、蝋燭……勝手についた……し、あれ? なんで? 寒く、ない」  キョロキョロと辺りを見回しても、珍しい物はないだろう。榊と御神酒とその他諸々。俺にとってはとりたてて目新しいものではない。 「言っただろう? 神様だって」 「本物?」 「そう、だな。頬を見せてくれ……ああ、しっかりモミジになってしまったな」  男にしてはキメの細かな白い肌にくっきりと浮いた俺の手形が、仄かに揺らめく蝋燭の灯りの下で痛々しく赤らんで見えた。 「その痛みと腫れを取ってやる」 「別に、大した事ない。口ん中切れてないし、そんなに腫れてもないだ……ないでしょう?」  少しだけ丁寧になった語尾に笑いを噛み殺しながら、そっと頬に触れた。彼はピクリと身を固くし、キュッと目を閉じた。  その無意識の行動に胸の奥が軋んだ。 「すまない。もう叩いたりはしない。約束する」 「……別に、慣れてるから」 「殴られる事に?」  彼はゆっくりと目を開けると口元に曖昧な笑みを浮かべた。 「……ひどく、される事に、かな……ははっすごいや、本当に神様なんだ。痛くなくなった……」  痛くなくなった。そう言って彼はまだ触れたままの俺の手の上に自分の手を重ねて静かに涙を流した。  彼が泣き止むまで、俺は頬から手を外す事もせず、手持ち無沙汰の左手で柔らかな黒い髪を梳いてやったり耳を撫でてみたりと要らぬちょっかいを出していたように思う。  やめてくれと言われればやめただろうし、気が紛れてくれればそれで良いとも思っていた。ただ、彼の涙が止まるまでは、言葉は不要であろうと口を開く気はなかった。   「帰んなきゃ……きっと待ってる」  どれだけ時が流れたのか、ぼそりと彼が呟いた。親が? と問えば、小首を傾げて 「親が、準備した客が」  となんでもない事のようにへらりと笑う。その笑顔がとても痛ましく思えて、気付けば俺は彼を抱きしめていた。彼は俺を突き飛ばすでもなく、喋りづらそうにモゴモゴと言葉をつないだ。 「俺、多分インフルエンザにかかっちゃって……病院、行けなかったからちょっと長引いて……二週間くらいかな。客取れなかったから……」 「そういえばずいぶんと来なかったな。そのインフルとやらと関係が?」 「インフルエンザは、とても酷い風邪? なのかな……まぁ、高熱が出て、人に感染(うつ)すから外出とかしちゃ行けなくて、それでやっと治って今日から学校とそっちも再開? みたいな」  声が、背中に回された手が、震えていた。ちょうど胸の位置に額がある。目を閉じてほんの少し集中し意識の波長を合わせれば、彼の身に起きた事が脳裏に浮かび流れた。 「あぁ、キミは、ここでお宮参りや七五三をしたんだな」 「千歳飴、覚えてる……羨ましかった」 「そうか」 「初詣は、あんまり来れなかった……なのにお願いばっかりして、ごめん、なさい」 「気にするな」  願いたくもなるだろう……救済を、そして消滅を。  初めて口を使われたのは十一歳。ねじ伏せられこじ開けられたのは十二歳。拒否すれば容赦なく厳つい拳が鳩尾(みぞおち)に降ってくる状況が今もなお続いている。 「帰りたくなければ、ここにいろ。俺に触れていれば他の人間から見えはしない。心が決まるまで、隠してやる」  心が決まるまで――俺の? それとも、彼の?  

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