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第五話 心乱れ

 結局彼は帰らなかった。  ぎゅうとしがみついたままポツリポツリと時系列関係なく思い出した事を思い出したままに喋り、ふと押し黙り、鼻をすするという言動を繰り返した。 「……御賽銭投げて、神様の前に立つって、なんかダメな気がして。あと、書き出す事でちょっとだけ心が軽くなった気がしたんだ……まさか見られてるとは思わなかったけど」 「ここは割とたくさんの絵馬がかけられているだろう? それだけ願いが叶うとされているんだろうな」 「やっぱりすごい神様なんだ?」 「さぁどうだろう? 手当たり次第に願いを叶えてやった覚えはないな。ただ、お前、いやキミの絵馬は気になってしょうがなかった。助けてくれと書きながら本音は殺してほしいと正反対だ。他の者は合格祈願に健康祈願。家内安全宝クジ、なのにな」 「ふふっ宝クジなんだ」 「ああ。宝クジだ」  初めて笑ってくれた事に安堵して柔らかな髪に包まれた形の良い頭をポンポンと軽く叩いていたずらをする。彼はそれを嫌がるでもなく受け入れ、眠りに落ちたのは森の(フクロウ)の報せによると午前二時過ぎだ。 「さて、どうしたものか……」  規則正しい寝息と温かな体温。腕を枕に貸してやるのは良いが、これが意外と重いのだ。  今日俺は初めて人を叩く痛みと人の体温と力の抜けた頭の重みを知った。 「……参ったな」  歳は今年で十七。名は樹貴(たつき)。十歳になる前に母親は男と出奔。私生活の(すさ)みがバレないように学校では模範的な生徒であるように命じられ、成績が少しでも下がればこれまた拳が飛んでくる。腹を殴られると食事を摂る事すら数日は苦痛を伴うので、学習した今では素直に身体を差し出し、学校では優等生のフリをして必死に遅れないように勉強をしている。    今のところ聞き出せたのはこれが全てだ。 「参ったなぁ……」  鳥居の向こうの世界まで介入できる程の力があれば……そう思った自分が信じられなかった。かつて一度も、己の力不足を悲嘆した事はなかったのに。それがただ一度腕に抱えてみればこのザマだ。  ひたりひたりと冷たい感触が背を這い上る。    ――いっそ殺してしまおうか――  

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