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第1話

「遊ちゃん!」  こんばんはでもお邪魔しますでもなく、名を呼ぶことを挨拶としている慶太が俺の部屋に飛び込んできたのは夕方も六時を回った頃だった。会社勤めの俺と違ってゲイバーで働いている慶太は土曜のこの時間は仕事のはずだ。「おまえ仕事どうした」と聞くのが普通だが、今はそれどころではない。慶太の華奢な両腕の中に、ちっさい子供が抱かれていたからだ。赤ちゃんと言ってもいいかもしれない。 「おまえ、なに、その子、どうした?」 「僕の子じゃないよー」 「分かってるわ!」 「友達から急に預かったんだよ、夜の仕事してる人なんだけど、いつも預けている場所が駄目だったんだって。オーナーも知っている人だからさ、今日は休んでいいから見てあげてー、遊ちゃんと一緒なら大丈夫でしょって」  確かに俺が姪っこ達を溺愛していることは慶太が働くゲイバーのメンバーなら誰でも知っているくらい有名だ。調子のいいことを言うオーナーの恰幅のいい顔を思い出して俺は苦笑する。 「けど、大丈夫なのか?」 「人見知りしないから大丈夫。でも急だったから何も無いんだよー、遊ちゃん家って姪っこちゃんの服とかあったよね?」 「まあいつでも遊びに来れるよう、色々揃ってはいるが。その子は何歳だ?」 「ん? どうなんだろう」 「おまえな、子供を預かるってのは大変なことなんだぞ? そんないい加減な」  思わず声を荒げた俺の迫力に押されたのか、慶太の腕の中で子供が泣きだす。 「もー遊ちゃんが怖い声するから泣いちゃったじゃん。よしよし大丈夫だよ、怖くないよー」 「う、ごめんなー、怖かったかー、お兄ちゃん怖くないぞー」  いないいないばあをしながら赤ちゃんを見てみるが、歳の頃は一歳くらいだろうか。姪っこの一人が二歳だが去年はこのくらいだった気がする。髪が多い子なのだろう、汗でびっしりと額にはりついて暑そうだ。 「あー、凄いねえ遊ちゃん、もう泣きやんだよ」 「よしよしいい子だ。お腹減ってないか? おむつは大丈夫か? あーもう離乳食だろ? ミルクもいるよな、何時に迎えに来るんだ?」 「さあ、連絡くれるって」 「ミルクと離乳食は買わないとな。アレルギーとか大丈夫か?」 「分かんない」  慶太はけろっとしたまま分からないを繰り返すから、流石に俺も頭にくる。子守りを何だと思っているのだろう。 「おまえ、引きうけたからにはちゃんとしないと責任が」 「だって他に方法が無かったんだもん。遊ちゃんならなんとかしてくれるかなって」  慶太は困った顔をして俺をじっと見つめてくる。まるで柴犬みたいな童顔にこんな表情をされるのに、俺はめっぽう弱い。 出会いは慶太の勤めるゲイバーだったが先に惚れたのは俺の方だった。小柄で二十一歳にはとても見えない童顔で犬みたいで天真爛漫。とにかく可愛い。膝に乗せて撫で続けたくなる。俺は強面の顔で背も高く学生時代に野球部で鍛えたおかげかガタイもいい。「シェパードとチワワみたいよね」と笑ったのは慶太の店のオーナーだったか。 「勝手なことして遊ちゃん困らせてるよね僕。ごめんね」  やっぱりチワワというより子柴犬っぽい。可愛いと思ってしまったら惚れた俺の負けというやつだ。頼ってくれてるんだからなんとかしてやらねばなるまいという気になってきた。頼られるのは嫌いじゃない。 「仕方ないな、今回だけだぞ。次からは気軽に引き受けることじゃないって肝に命じとけよ?」 「うん。ありがと、遊ちゃん優しいから大好き」  首を伸ばして頬にキスなんてされるともう駄目だ。くそー、今夜は可愛がってや――いや今夜は子供がいるから駄目だな、明日は可愛がってやる。 「じゃあ遊ちゃん、スーパー行こう?」 「ん? ああ、買い物な。俺行ってくるから、おまえその子と留守番してろよ。ずっと抱っこしてるのキツイだろ?」 「ううん、一緒に行きたい。遊ちゃん無しで二人きりになる方が不安だし」  そう言われればそうかもしれない。俺も目が届く距離に居てくれた方が安心だ。慶太だって子供好きなのは分かっている。けれど、好きと経験は別問題だ。俺だって子供がいる訳じゃなく姉の子供達の守りをしてきただけだから、いたらないことなんて山ほどある。それでもほとんど面倒をみたことがないだろう慶太よりはマシだと思う。 「よし、じゃあ買い物行こうな」  子供を抱く慶太に微笑みかけながら大事なことを聞くのを忘れていたことに気づいた。 「で、その子、名前なんていうんだ?」 「名前……たしか、ゆう」 「ゆう? 俺とお揃いだな、始めましてゆうちゃん、俺は遊次郎だけどゆうって呼ばれるからお揃いだな。じゃあゆうちゃん、買い物いこうな」  ゆうは大きな目で瞬いたあと、あーぶーと何か言いたげだった。姪っこ達の子守をするのに色々勉強したが、読んだ記事なんて意味がないくらい子供は多彩だ。だから一人一人と向き合わないといけない。ゆうは大きな目と長いまつ毛が印象的な、可愛い子だった。着ているロンパースがくすんだ薄黄色なのがもったいない。きっと明るい色も似合う。 「ゆうちゃんはきっと美人になるな、母親も美人だろ?」 「え? ああ、うん。ねえ、遊ちゃん、手が痛くなっちゃった。抱っこ代わって?」 「仕方ないな。ほらゆうちゃん、遊君においで。おお、全然人見知りしないな」  腕にかかるのは愛おしい重さだ。温かさと子供独特の甘いような匂いはミルクの匂いなのだと姪っこで知った。ゆうからは甘い香りはしなかった。少しにおうがおむつじゃなさそうだ。 「汗かな、あとで風呂入れるか」 「いいねお風呂! 今日も六月なんて嘘みたいに暑かったからねー」  相槌をうつように、ゆうが「うーうー」と何か言った。 「お腹すいたかもしれないな。早く買い物行こう。慶太、やっぱり母親に連絡できないか? ベビーフードのメーカーとか好物とか聞きたいんだけど」 「んー、してみるけど、無理かも。メーカーとかってそんなに大事なの?」 「そりゃ子供はデリケートだからな。好みもあるし、次からはちゃんと聞いとけよ」  離乳食はやめて母親が迎えにくるまではミルクだけにした方がいいかもしれない。だいたい預ける方も難しい子なら色々注意するだろうし、何も言わなかったなら大丈夫なんだろうけど。

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