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白の呪縛

───ネオ・トーキョー、とある部屋で。 竜蛇志信は長い脚を優雅に組んでソファに座っていた。 くすんだ金茶の髪に琥珀色の瞳。整った美しい顔をしていて、唇には微笑を浮かべている。 だが、その瞳は蛇のように熱を感じさせない硬質な鋭さで相手を見据えていた。 一見、優男にも見えるが鍛え抜かれた体をしており、一切の隙が無かった。 竜蛇がいるのは何も無い真っ白な壁の部屋だ。相手の指定したレンタルスペースだった。 中央に置かれたローテーブルを挟んだソファに座り、相対する男を見ていた。 男の名はブランカという。 ベテランの域に達している名のある殺し屋だ。 竜蛇はじっくりと相手を観察していた。 ブランカと名乗った男は、見事なプラチナブロンドをしており眼鏡の奥の瞳はアイスブルーだった。 ある意味、ブランカの通り名に似合った見目をしているが……これはブランカ本人ではないだろう。 この部屋に入ってからのわずかな会話で竜蛇は気付いた。会話のテンポがほんの少しだけ遅れているのだ。 おそらく本物のブランカは別の場所から隠しカメラで竜蛇を見ている。部屋のどこかと、もうひとつは男の眼鏡かネクタイピンあたりに仕込んでいるはずだ。 小型のインカムで別の場所からブランカ本人の言葉を聞き、竜蛇に返答している為に会話が一瞬遅れるのだ。 とは言っても、他の人間ならば気付かないだろう。この影武者は中々優秀だ。 ───用心深く、疑り深い。 ブランカが長年トップクラスの殺し屋で居続けるのも頷ける。ヤクザ同様、殺し屋も短命な者が多い職業だ。 竜蛇は笑みを深めて言った。 「依頼を受けてもらえる?」 わずかに遅れて、ブランカが答えた。 「今回はご縁が無かったという事で……」 ───おや。断られたな。 これだけ用心深いのだ。竜蛇の目的が依頼では無いことを見抜いたのかもしれない。 竜蛇は本業とは別に調べていることがあった。そして、行き着いたのが ブランカだった。 だが本人との接触は難しそうだ。 「そう。残念だ」 竜蛇は少しも残念そうではない声で言った。 「貴方の育てた犬がトーキョーにいるようだけど、彼に頼めるかな?」 少し遅れて、ブランカが答えた。 「……アレは殺し屋には向いていません」 竜蛇は秀麗な眉を片方だけ上げた。その言葉に初めて本心のようなものが見えたからだ。 直接本人の声で聞いた訳ではないから、はっきりとは分からないが。 呆れてうんざりしているようにも、逆に特別に目をかけているようにも取れる言葉だった。 「彼も中々評判は良いようだけど?」 「貴方の依頼を受けるかは犬塚次第です。どうぞ、ご自由に」 ブランカの言葉から本音が消えた。 ───ここまでだな。 「そうさせてもらうよ」 竜蛇は視線を影武者の背後の壁に向けた。コーナー部分に非常にわずかだが、一度壁紙を剥がして張り直したような跡がある。竜蛇だから気付いたようなものだ。 近距離ともう一つ。部屋全体と竜蛇を見る為の隠しカメラがあるはずだ。 ───俺なら、あの辺りに仕込むね。 最後に白い壁のコーナーを見て、優雅な笑みを浮かべた。別の場所にいるであろうブランカ本人と液晶越しに視線を交わした。 「いずれ、また」 一言残して、竜蛇は部屋を出た。 竜蛇はレンタルスペースのある建物を出て、黒塗りの高級車の後部座席に乗り込んだ。 「ブランカ本人とは会えなかった」 「だから、貴方も直々に行く必要は無いと言ったじゃないですか!」 助手席に座る若頭の須藤が振り返り、竜蛇を咎めた。 「ごめんね。でも俺は直接自分で見たいんだよ」 須藤は溜め息を吐く。竜蛇は頭脳派でありながら、自ら先陣を切る武闘派でもあるのだ。毎回、須藤の忠告など聞きはしない。 竜蛇は蛇堂組の組長だ。先代の実の父親相手に下剋上をして、若くして組を引き継いだ。 隠居させた父親は自己中心的な男で、金に執着し悪食で貪欲、組員を道具のように使った。 一方、外見に似合わず竜蛇は古いタイプの極道だった。一度懐に入れた者は最後まで見る。 抗争で命を落とした者がいれば残された妻子には惜しまず金銭的援助をし、道を外れた者には自らの手で落とし前をつけた。 竜蛇に男惚れをして、竜蛇の為に命を掛けれる組員が多くいた。今の蛇堂組は見事なまでの一枚岩だった。 「次は犬塚に会う。調べておいてくれる?」 「はい」 竜蛇はそれだけ言うと、本業の方の書類を手にして目を通し始めた。 数日後、竜蛇の指定したホテルの一室で犬塚と会った。 ───随分と若くて可愛らしいのが来たな。 竜蛇は犬塚を見て眼を細めた。栗色の髪に眼鏡の奥の青い瞳。半分近く隠れているが、派手さはないが整った顔をしている。 そんな竜蛇の視線に犬塚が一瞬嫌悪を見せ、そしてすぐに隠した。その嫌悪感を露わにした表情に竜蛇はゾクリとした。 ───正直、好みだ。 引きずり倒し、裸に剥いて、犬塚が隠している何もかもを暴きたくなる。 友人の志狼は竜蛇のことを悪趣味だと言うが、竜蛇からすれば志狼の方こそ節操無しの悪趣味だった。 志狼は後腐れの無いセックスを好み、特定の相手を作らず玄人相手にヤリまくっている。 志狼には浪漫が足りないのだ。 とりあえず、今は口説くのは後回しにして、竜蛇は仕事の話を始めた。 「ブランカから話は聞いているよ」 「……そうですか」 一瞬、犬塚の瞳に宿った感情に竜蛇は僅かに眉を寄せた。 憧れの対象を讃えるような信奉者の眼だ。 竜蛇の下にも同じような眼をした下っ端の組員が数人いた。竜蛇に憧れ、竜蛇を崇める。絶対的な忠誠を誓う若者だ。 竜蛇はそういった者を決して信頼せず、大きな仕事は任せなかった。 なぜならば、そういった眼で見てくる者は狂信者と同じで、自分の心の中で創り上げた竜蛇を見ているからだ。 狂信者特有の思い込みで、感情に任せて暴走する怖れがある。犬塚も同じような感情でブランカを見ている。 『アレは、殺し屋には向いていない』 ブランカの言葉を思い出した。 あれだけ用心深い男だ。犬塚を信頼はしていないという意味だろう。 ───困った。益々、俺の好みだな。 その狂信ごと根底から犬塚を壊したい衝動に駆られるが、今は我慢だ。 竜蛇は己の欲求を押し殺して、仕事と報酬の話をした。 あれ以来、犬塚は何度も竜蛇の仕事を引き受けていた。危険度も高いが報酬も良かったからだ。 そして犬塚は毎回傷を負っていた。 例のホテルの一室で、犬塚に後払い分の報酬を渡す時に竜蛇は気付いた。 ───ワザとか? 腕は一流のはずだ。それなのに、命に別状は無い程度の怪我を毎回作っている。 報酬を受け取り、竜蛇の横を通り過ぎようとした犬塚の包帯の巻かれた手首を掴んだ。 「……ッ!?」 「怪我は大丈夫なの? 犬塚」 わざと怪我の部分をキツく握る。 一瞬、犬塚の瞳に甘い愉悦が走る。そして、すぐに隠した。 「問題ない」 竜蛇の手を振り払い、足早に部屋を出て行った。すでに竜蛇は犬塚の被虐気質に確信を持っていた。 ───まったく。どこまで俺好みなんだ。本当に可愛いね。犬塚。 ひとり残された部屋で竜蛇は淫靡な笑みを浮かべた。 犬塚からブランカに接触することはできないと分かっていたが、竜蛇は犬塚に会い続けていた。 可愛い犬塚をいつか丸呑みにしてしまおうと考えると久しぶりに気分が高揚した。 そして、竜蛇が犬塚を捕らえようと決めたきっかけになる情報が入ってきた。 ブランカがヨーロッパでなにやらデカい『仕事』をすると、犬塚に声をかけたのだ。 情報屋から貰った資料を見て、竜蛇は秀麗な眉を寄せた。 ……おかしい。調べた限りでは、ブランカは今まで誰とも組んだことは無い。 声を掛けられているのは、殆どがブランカが育てた殺し屋だ。一流どころか、三流の奴も含めて。 ブランカが殺し屋の育成を始めたのは十二年前、犬塚が最初だった。 話通り『デカい仕事』というならば、このメンツは明らかにおかしい。ブランカは用心深い男のはずなのに。自分ならば、決して選ばないだろう。 その『仕事』が何なのかまでは、竜蛇の情報網をもってしても分からなかった。 ───何が狙いだ? ブランカの真の目的も仕事内容も分からない。 だが……犬塚をヨーロッパに行かせるわけにはいかなかった。

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