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 水の中の気泡のような――そんな、ふつふつとした機械音が聞こえてくる。 「――んあっ」  夢か幻か、まだ沈んでいられるだろうと思ったのはほんのひととき。この音がアラームだと気付いて飛び起きた俺は、呆然と部屋を見下ろした。  カーテンが空いていて、テーブルの上にバタートーストとサラダが乗っている。まさしく、ブレックファーストといったその光景に、俺は混乱した。はっと傍らを見てみれば、智駿さんがいない。 「――ああ、おはよう、梓乃くん」 「……えっ、智駿さん!? おはようございます」  なんと、智駿さんが朝ごはんを用意していてくれた。昨日あんなに疲れていたのに、俺よりも早起きをして。 「まだ、寝ていてもいいのに……俺のためにご飯作ってくれたんですか?」 「あはは……いつも早く起きているから、体が勝手に起きちゃって。今日は僕が休みの日だし、朝から学校にいかなきゃいけない梓乃くんのために、朝ごはんくらいはつくってあげようかなって」 「智駿さん……!」 「……っていうか、その……昨日はごめん……」 「え?」 「いや……なんか、あんまり覚えていないんだけど……ものすご~~~く甘えてしまったというか」 「ええ~、いいんですよ、たまにはあのくらい甘えてくれないと。恋人なんだから」  智駿さんは紅茶を淹れながら、照れたように視線を俺から外す。まあ……普段が優しいお兄さんな智駿さんは、ああして思いっきり甘えるということに照れを覚えてしまうのかもしれない。俺はそんな智駿さんが可愛くていいなあって思うけれど、本人はやはり恥ずかしいのだろう。  照れているところをあまりつつくのも悪いので、昨日の話はあまり振らないようにした。「疲れはとれましたか?」って訊くくらいだ。「だいぶ」と答えてくれたので、ほっとする。  二人分の朝食がテーブルに並んで、俺たちは二人でそろっていただきますをした。テレビを付ければ、にこにこと笑った女子アナがおすすめグルメについて話している。 「あれっ、このサラダのドレッシングって……作ったんですか? うちにある調味料で?」 「うーん、まあね。僕、料理は苦手だけど軽食をつくるのはそこそこ得意だよ。朝食なら、カフェ並のブレックファーストをつくってあげられるかも」 「……軽食がつくれるなら料理がつくれるんじゃ……」 「あはは、やる気がおきない」 「ええ……」  オリジナルのドレッシングで和えたグリーンサラダは、冷蔵庫のあまりものの野菜とは思えないくらいに瑞々しくて美味しい。朝のからからの体に染み込んでいくようで、今日一日の養分になっていくようだ。トーストは絶妙に焼き上げられていて、カリッと噛めば染み込んだバターがじわりと舌の上に広がっていく。ただのバタートーストがこんなに美味しくなるなんて、一体どんなわざをつかっているのだろうか。  ほどよい塩気のある朝食に、少し渋みのある紅茶がよく合った。しん、と紅茶が体内に入っていけば、消化したグリーンサラダとバタートーストが整理されていくようだ。最後まで飲み干せば、すっかり今日を乗り越えるための体が出来上がる。  ちらりと時計を見てみれば、もうそろそろ家を出なければいけない時間だ。俺がお皿を片付けようとすれば、智駿さんが「片付けておくよ」と声をかけてくれる。ではお言葉に甘えて、と立ち上がろうとして――俺はふと、大切なことを思いだした。 「そういえば、智駿さん……このあと、もう少しここでゆっくりしていきますよね」 「うん。鍵は……ポストに入れておけばいいかな?」 「……いえ」  智駿さんの前に立って、智駿さんの手を掴む。きょとん、とした智駿さんに「手を開いて」と言えば、智駿さんは頭にはてなを浮かべながらぱっと手を開いた。俺はその上に、ずっと渡しそびれていたものを置く。 「――あ」 「合鍵。俺の部屋、智駿さんの二個目の家だと思ってください」 「……梓乃くん」

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