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番外編:上司逆転ごっこ(江藤目線)
(宮本に促されてしまい、まんまと部下になってしまった――)
いつもの江藤なら、出来の悪い宮本の背後に腕を組んで立ちつくし指導しているのに、今は逆転している状態。
現在座っている椅子から、恋人のぬくもりをじわじわっと身体に感じてしまい、頬に自然と熱を持っていた。
たったそれだけのことで、どうして喜びを噛みしめてしまうのか――上司である自分に対し、コーヒーに下剤を盛るなど襲撃する計画を、仕事中にちゃっかりと企てるバカなヤツに、こんなにものぼせてしまうなんてバカとしか言えない。
頭の半分だけ使って自分の心の内を眺めつつ、残りの半分で宮本の仕事をこなした。
書類から打ち込まなければならない数字を目で追っていると、背後から恋人の荒い息遣いが耳に入ってくる。明らかに普通の呼吸とは違うそれに正直呆れ、暫くの間は無視していた。しかし否応なしに耳に入ってくるので、背後から襲われる可能性を考えると、どうしても落ち着けなかった。
「……ちゃんと俺様の仕事、見ているんだろうな? 上司の宮本さん。さっきから鼻息がすっげぇレベルで、超絶耳障りなんですけど」
牽制すべく言葉にしてやると、しまったという感じが空気にのって伝わってくる。
「もっ、勿論ですよ。あはは……。俺なんかよりも早くて正確で、見ていて清々しくなっちゃうくらい」
「白々しい嘘をつくな。お前のことは、昔から分かっているんだから。間近で俺様を見て、ひそかに興奮してるクセに」
かくいう江藤も宮本の存在を座っている椅子から感じ、身体が熱くなっていたので多くを語れなかった。
「そりゃあ好きなんですから、興奮の一つや二つくらいあっても、おかしくないでしょ」
(――まったく、困ったヤツ)
「プッ! 開き直るの早っ。それくらい仕事も、早く出来ればいいのにな」
昔からそう。コイツのプラス思考のお蔭で、どんだけ助けられたことか。
宮本の言葉に嬉しくなってしまい、笑いながら顔だけで振り向いてやると、どこか物欲しそうな表情を浮かべた眼差しと、バッチリ目が合ってしまった。
見つめられたら困る――ここは会社で、いつ誰が来るかもしれない場所なのに、それに応じてしまいそうになる自分が、ひょっこりと出てきてしまいそうだ。
「……佑輝くん」
そんな目で見るなと言おうとしたのに、えらく甘えるような声になったせいで言葉を飲み込み、内心焦ってしまった。
「江藤さん……」
対抗するように甘く囁くと、江藤に吸い寄せられるようにそっと顔を寄せてきて、優しく唇を重ねてきた。
「んぅっ」
スリリングすぎるキスのせいで、キーボードに置かれていた指先に思わず力が入る。
カチッ!
「ゲッ!? デリートしちまったか」
「は――!?」
横目で画面を確認すると真っ白なスクリーンが、目に飛び込んできた。江藤がチラッと傍にある宮本の顔色を窺うと、同じように真っ白になっている。いや、青ざめていると表現したほうがいいのか――
「なぁんてな、大丈夫だ。俺様のパソコンに、きちんと転送しているから」
不測の事態に備え、きちんとバックアップをとっていた江藤。へなへなとその場に座り込んで、大きなため息をつく宮本の姿が可笑しくて堪らない。
「よ、良かった」
「全然良くねぇよ。会社で不埒なこと、今後一切禁止だからな! まったく」
頭にチョップしてやったら、でれっとした顔をして、えへへと苦笑いする。
全然反省してないなコイツと思って、江藤が叱ろうとした矢先――
「あのですね、江藤さん。お礼といってはなんですが、コレ受け取って下さい」
自分のデスクの引き出しから、いつものようにお菓子を出した。
ポッチーやミルキーキス(イチゴ味)などなど、甘いものばかり貢いでくれているのだが、今度はなんだろうか? なんて江藤の心がちょっとだけウキウキする。
「今回も冬季限定のものですよ! 明冶のPORUTA」
ずいずいっと小箱を宮本が差し出してきたので、どうもと言って受け取った。
「甘いもの苦手なんですけど、そのチョコの周りについてるココアが、マジで美味いっす」
「食べてるのか、お前?」
小箱と宮本の顔を、しげしげと見比べてしまった。
「そりゃあ自分が食べて美味しいなって思ったのを、江藤さんにあげたいじゃないですか。当然でしょ」
その言葉に胸の中がじんと熱くなる。込み上げてくるものを必死に隠し、無言で小箱を開けて、中の袋をばりばりっと破った。小さなチョコをひと摘みし、宮本の口元に持っていった。
「今日頑張ったご褒美だ、遠慮せず食え」
ぶっきらぼうに告げると宮本は嬉しそうな顔して、パクッと食べた。ついでに江藤の指先まで口に含む始末。
「ちょっ、コラ何をやって……」
「らって、えろうさんの指先にココアがついれるんらもん。美味しそうらったから食べた」
分りにくい日本語で言うと、ぺろりと舌が指先を舐めあげる。
(コイツ、何を狙ってやがるんだ――)
江藤が身の危険を感じ素早く手を抜き去り、さっさと背中を向けてその場から退いた。貰った小箱を大事に胸に抱える。
「俺様の仕事は終わったから、もう帰ることにする。じゃあな、ひとりで残業頑張れ」
「ええっ、そんなぁ!」
「悔しかったら、早く終わらせてみろ。家で待ってるから」
自分のデスク横に置いてあったカバンをさっと手に取り、振り返ると宮本が瞳を輝かせ、パソコンに向き合った。
――単純なコイツの操縦法は、本当に楽で助かる――
江藤はそう思いながら弾んだ足取りで、家路へと向かったのだった。
おしまい
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