「江藤さん、聞いてくださいよ。今日って恋人の日みたいですよ」 　さっさと帰るべく身支度を整えていたときに、変な話題を宮本に投げかけられた。 　残業決定なアイツの周りには、同じような境遇の同僚が数人いる――そんな中で堂々と変な話題を口走った恋人に、どんなリアクションをすればいいのやら。 「それがどうかしたのか。俺様には関係ないだろ」 　身支度をしていると見せかけて、ちゃっかりスマホで『恋人の日』について調べる。大勢の前で恥をかかせられたら、たまったもんじゃない。 【ブラジルで恋人同士が、自分の写真を入れた写真立てをお互いに贈り合う、６月12日の記念日のこと。ブラジルにおいて縁結びの聖人とされる、アントニオの命日の前日をお祝いし、恋人同士の愛を確かめあう習慣がある。日本では全国額縁組合連合会が、1988年からこの記念日の普及に努めている】 （――宮本のヤツ、実にくだらないことを俺様にしてきたな。しかし、狙いがさっぱり分からん。用心するに越したことはないか） 　ヘラヘラ笑いかけてくる宮本から、嫌な雰囲気がぷんぷんするせいで厳しい表情をわざと作り込み、次の衝撃に備えた。 「江藤さんってば、そそくさと帰ろうとしているから、きっと恋人の日を理由に、恋人と一緒にラブラブして満喫しようと考えているだろうなぁと思いまして」 　宮本の言葉を聞くなり確信めいた眼差しが、自分に向かって周囲からぐさぐさ突き刺さってきた。 『あの江藤さんが恋人とこのあと、イチャイチャするに違いない！』みたいに思われているかもしれない。 「残念だったな。俺様の恋人は仕事のできる、すげぇ忙しいヤツなんだ。今日もどこかに出張してるはずだから、一緒に過ごすことはできない」 　宮本の立場と真逆のことを言い放ち、突き刺さる視線を振り切るように立ち去ろうとした。 　靴音を立てて宮本の背後を通ったタイミングで、上着をぎゅっと掴まれる。これは想定内の恋人の行動だった。 「……何しやがる」 　すると無言で、手に持っていたスマホの画面を見せつけてきた。 「くっ！」 　あまりの衝撃に声をあげそうになり、慌てて右手で口元を押さえた。 「いい写真でしょ？　実はコレをプリントして、部屋に飾ってるんです」 　画面には枕に顔を埋めて幸せそうな顔で眠ってる、自分のアップが表示されていた。 　一気にボルテージを上げた張本人の上着を掴みあげ、引きずるように部署を出る。叱られることが丸わかりの宮本に、同僚から憐みの視線が注がれていた。 　すぐ傍の会議室に連れ込み、掴んでいたものを放り投げる。 「そんな写真、いつの間に撮ったんだ。寝坊助なお前の趣味が盗撮だったとは驚きだぞ」 「たまたま目が覚めたときに隣で寝ていた江藤さんが、あまりにも可愛い顔をしていたもので、つい」 　放り投げたせいで乱れたスーツをきちんと直した宮本が、はにかみながら説明した。 「それで、お前の目的はなんだ？　わざわざ恋人の日を発言したのと、さっき見せられた写真で想像つくけどな」 「俺の考えてることが分かったんですか!?」 「多分、ツーショット写真がほしい。といったところだろ」 　胸の前で腕を組みながら、しれっと答えてやった。 「さすがは江藤さん。俺の求めてることが分かるなんて、すげぇとしか言えない！」 「はいはい……」 （くだらねぇことを考えやがって。まったく……） 　顔を俯かせて舌打ちした瞬間に、顎を掴まれて無理やり上げさせられ、抵抗する間もなく目の前でフラッシュが焚かれた。 「わーい、江藤さんとツーショットだ」 「おいコラ、待ちやがれ。今の顔は駄目だろ！」 　自分に背を向けて、さっさと会議室から出て行こうとした宮本を慌てて掴んで、何とか引き留めた。 「俺としては見慣れた江藤さんの顔なので、全然大丈夫ですよ。これを見ながら残業したら、マッハで終わらせること間違いなし！」 　妙にテンションが高い恋人を、眉根を寄せて見上げる。 「――佑輝くん？」 　掴んでいた俺様の手を無言で引き剥がすなり、包み込むように両手でぎゅっと握りしめられた。 「ひとりで帰っちゃ嫌だ。一緒に帰りたい……」 「だったら稼業中に、しっかり仕事をすればいいだけのことだろ」 　先輩として当たり前のことを口にしたのに、宮本の顔色は優れないままだった。 「江藤さぁん……、今日は恋人の日なんですよ。一緒に過ごしたいと思うのは当然じゃないですか」 　他にも俺様を説得しようと、中身のない頭をフルに使って頑張る恋人の姿に呆れ果てつつも、次第に絆されてしまった。以前なら絶対にないことだ。 「分かった、今日だけだぞ」 「ほんと!?　やった！」 「その代わり、さっきのツーショット写真は削除しやがれ」 「えーっ！　ナチュラルな表情が撮れたのに」 　太い眉をへの字にして、無理やり撮った写真を見せてきた。 「これのどこがいいのやら……」 　ちょっとだけ驚いた表情を見せつつも、どこか怒った感じを醸している俺様の隣で、満面の笑みを浮かべる宮本がいた。自分抜きなら、確かにいい写真と言えるのに。 「消さなきゃ駄目？」 　上目遣いで交渉する恋人兼後輩の言うことを、そう易々と聞いてばかりもいられない。 「消されたくなければ明日から残業しないように、昼間もきちんと仕事をしやがれ。それが条件だ！」 「江藤さん……」 「一緒に帰りたいんだろ、早く終わらせろよ。向かいにある喫茶店で待っててやる」 　ため息混じりで告げた言葉を合図に、素早く会議室から出て行った大きな背中を見送る。 （チッ、宮本にキスのひとつでもしておいたら、もっと早く残業を終わらせることになったのに。しくじったな） 　そんなしくじった分も、自宅に帰ってからしっかりと徴収した恋人の日。宮本の希望通り、イチャイチャすることになったのでした。 　おしまい