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過去の想い:愛をするということ

 会社の前で待っていた自分の顔を見て、何かもの言いたげに口を開きかけた宮本の右手を江藤は強引に掴み、自宅に向かって足早に歩いた。  ひたすら無言を貫き、前だけを見据えて歩くこと約5分くらいたった頃だろうか。掴んでいる手が、じっとりと湿っていることに気がついた。手を放して、拭いたくなるくらいに―― (俺様の手汗か? 宮本を逃がさないように、強く握りしめているせいで)  歩きながら気持ち悪さを意識しているのに、どうしても手放せなかった。一刻も早く、ふたりきりになりたかったから。  徒歩20分ほどかかる自宅までの帰り道。無駄に焦るせいか、長いことこの上なく感じる。 「江藤さん……」  静まり返る住宅街の中、どこか力の抜けた声で宮本に呼ばれた。周囲を慮ったのか、それとも話しかけにくい雰囲気を感じ取ったから、弱々しい声で話しかけてきたんだろうか。  そんな宮本の言動で自身の態度を改めようと、ため息を吐き出すとともに肩の力を抜いてみる。さっきよりもリラックスしたところで振り返り、後方に視線を投げかけたが慌てて元に戻した。 「……あと少しだから、我慢しやがれ」  か細い声で話しかけたくせに、こっちを見つめる宮本の視線がやけに粘り気のあるものだった。目を合わせたら執拗に絡まれそうになり、ヤバいと思って顔を背けるしかなかった。  ただでさえ動揺しているというのにこれ以上慌てふためいたら、先輩としての威厳が保てなくなる。それを悟られないように、冷静沈着に対処しなければ―― (宮本から放たれているであろう熱視線に負けて、感情の赴くままに抱きついたりしたら、場所をわきまえずに卑猥なことを進んでやりそうだ)  先輩である自分の立場を崩壊させるだけじゃなく、ただの獣に成り下がっちまう。  流されるなという言葉を江藤は心の中で連呼して、何事もなく帰宅することを目標に自宅へと足を進ませる。宮本もあれから何も言わずに、ただ黙ってついてきた。  早く歩いたため、たいした時間をかけず自宅へ到着し、息つく間もなく鍵を開けて中に入る。左側にある照明のスイッチをつけて、いそいそと靴を脱いだ。  背後で扉の閉まる音が聞こえた瞬間に、熱を含んだ大きな躰が自動的にくっついてくる。 「おい、まだ玄関だぞ」 「ここまで我慢した俺を、ぜひとも褒めてほしいんですけど。今日は江藤さんの恰好いい姿をたくさん見られて、ドキドキが止まらなかったんだ」 「何を言いだすかと思ったら。そんなもん、見せた覚えはねぇな……」  唐突に告げられた言葉に照れたせいで、妙に生ぬるい声色で反論してしまった。それが羞恥心を煽る形となり恥ずかしさを誤魔化そうとして、駄々っ子のように宮本の腕の中で身じろぎしたのだが―― 「やっと捕まえたのに、逃げないでくださいよ」  持っていた鞄を足元に落とすと、さらに腕の力を強めてきた。 (そんな風に密着されたら、ドキドキしてるのがバレるだろ……) 「こ、こら! 鞄を乱暴に放り投げて、こんなところに直置きするな。もっ、物は大事に扱わないと――」 「鞄よりも江藤さんが大事です。こうして大切に扱うから」  言うやいなや唇をうなじに押しつけられたせいで、抵抗していた腕の力が抜け落ちてしまった。吐息と一緒に、柔らかい宮本の唇の感触を肌で感じてしまったら駄目だ。こんな場所で、こんなことがあってはならない!  とにかく、この状況を打破するには―― 「いい加減にこの腕を退けろ、中に入れないじゃねぇか。飯を作ってやるから、ひとまず落ち着けって」  あからさまに上擦った江藤の声に反応したのか、宮本が耳元で小さく笑う。 (――くそっ、宮本の分際でムカつく!)  そう思ったのもつかの間、躰に巻きついていた腕が解かれ、両肩を掴まれながら傍にある壁にぎゅっと押しつけられた。目の前にある宮本の真剣なまなざしに、息を飲むしかない。 「江藤さんは酔っ払って覚えていないでしょうけど、ここで言ったんですよ。俺様が欲しくないのかって」 「なっ!?」  酔っ払っていたとはいえ、随分と挑発的な発言をしたようだな。 「それだけじゃなく戸惑った俺に抱きついて、想いをぶつけるような熱いキスをしてくれたんです。こんなふうに――」  自分よりも少しだけ背の高い宮本の顔が、徐々に近づいてくる。ゆっくりと近づいてきたのに、押し付けられた唇の力が思いのほか強くて、前歯同士がぶつかった。  そんな衝撃さえも愛おしく感じてしまったことに、あらためて驚く。好きだと自覚したのはつい最近なのに、まるでずっと想っていたかのような疼きを、胸の中で実感していた。  いつからコイツのことを、こんなにも好きになったんだろうか―― 「ぅんっ……ゆ、うきくんっ、あっ……」  歯茎をなぞるような舌遣いに堪らなくなり、手にしていた鞄を放り出して、宮本の上着に縋りついてしまった。  さっきまで考えついたことをじっくり考察したいのに、押し寄せてくる快感のせいで脳内が考えることを拒否する。口の端から滴る涎を、拭うことすらできない。  上着に縋りついている腕とやっと立っている足をふるふる震わせながら、江藤は壁伝いにしゃがみ込んだ。それを狙っていたかのように宮本は床に組み伏せ、堂々と跨って上着のボタンに手をかける。 (玄関の広さは二畳ほどしかないのに、そんな狭いスペースでコトに及ぼうなんて、何を考えているんだコイツは!) 「こ、んな場所で、やめろって。声が外に漏れる、だろ……」  声を押し殺してやっと訴えかけたというのに、ニヤァと意味深な薄ら笑いを浮かべた宮本。それを目の当たりにした江藤は、内心頭を抱えた。こういう表情をするときは決まって、宮本がよくないことを考えているときだからだ。 「喘ぎ声くらい我慢してくださいよ。俺だって我慢したんだから。会社で江藤さんに平手打ちされたあのとき、あまりの衝撃に頭がくらくらしたんですよ」 (……しまった。そのことをすっかり失念していた――)  困惑しながら宮本の顔を確認したところ、引っ叩いた頬がいまだにうっすらと腫れているように見えなくもない。 「悪かった! あのときはいつもの条件反射というか、ヤバいところを見られてしまったゆえの錯乱によるものだったり。と、とにかく」  そんな見苦しさ極まりない感じのいいわけをしながら、服を脱がす宮本の手を止めようと試みる。  気がつけば上着のボタンだけじゃなく、ワイシャツの2個目から下がすべて外されていた。そして今まさにベルトを外そうと、両手ををかけられている状態だった。

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