44 / 91

過去の想い:愛をするということ8

 喋るたびにショッキングピンクの唇が目立つので、いや応なしに目がいってしまう。 「いっ、いつもの!」  5席あるカウンターの左端に素早く駆け寄り、スマートに腰掛けた。3つあるボックス席には誰も居ず、カウンターの右端に2人組のお客がいるだけだった。 「分かったわよ。愛情もたーっぷり、混ぜまぜしてあげるから」  そんなセリフに乗ってあげればいいんだろうが、生憎そんなキャラじゃないので頷くだけで終了させる。  入店してから今現在で俺様のライフは確実に減っているが、そうまでしてもここに来たのには理由があった。雅輝との恋愛がうまくいかないことを当てた忍ママに、相談したいと考えたから―― 「お待たせ! 忍のラブ注入済みのミントジュレップよ」  すらりと細長いタンブラーの中に入っている、細かく砕かれた氷で薄まった黄金色の酒が、店内の照明で光り輝いていた。それだけでも綺麗だなと思わせるのに、グラスの表面に浮かんでいるミントの葉の緑が、目にとても優しく映る。  ミントジュレップはミントをバースプーンで軽く叩き、砂糖と水もしくはソーダをバーボンに加えた爽やかなカクテルで、忍ママと初めて話をしたときに作ってくれた思い出の酒だった。この店に来たら最初に注文するくらい、一番のお気に入りでもある。  忍ママの愛情も混じっているから当然美味いのかもしれないが、客の顔色を見て酒の濃さを微調整する気遣いは、流石だと言える。足繁く通ってしまう理由のひとつだった。  カランという氷のぶつかる耳障りのいい音を聞きながら、ゆっくりと飲み込んでみた。ミントの香りと口の中に広がる爽快感、そしてバーボン独特の旨味を堪能する。今夜のミントジュレップはソーダ割りしているので、爽やかさをなおさら心地よく感じることができた。 「いつも眉間にシワを寄せてここに来ていた江藤ちんが、珍しく男前な顔して現れたもんだから、びっくりしちゃったわよ」 「悪かったな、不機嫌丸出しで来店して!」  苛立ち任せに煽るようにお酒を飲んだら、目立ちまくりの唇を突き出しながら顔をぐっと寄せてきた。 「いつもはイケてないけど、今夜は特にイケメンだったから褒めてあげたでしょ。その見違える様をお酒で表現してみたんだけど、いかがかしら?」  来店した瞬間に告げられたあいさつの中で『今夜も』と言ったのを、しっかりと聞いているというのに……。お客を上げたり下げたりして、本当に忙しそうだな。 「ミントの爽やかさが、いつもより増している感じがする。美味いよ、これ」  乾杯するようにタンブラーを掲げると目尻に小じわができるような笑みを浮かべて、満足げな表情を浮かべた。  口で言い争ってもこの人に勝てる気がしないので、素直に従うのがここでのセオリーだ。 「江藤ちんの肌の色艶が増しているし、表情も優しくなったところを見ると、ついに男ができたわね。そうでしょ?」 (いきなりそれを当ててくるところが、忍ママらしいといえばそうなんだが――) 「俺様の肌を見ただけでそれを当てるなんて、すげぇとしか言えねぇな」  ややふざけ気味に言ってみたからこそノってくれると思ったのに、ショッキングピンク色した唇を引き結び、らしくない真面目な顔になる。 「……忍ママ、どうしたんだよ? いつもなら「私ってばすごーい。ゲイ達者だから当然だけどね」って言うはずなのに」  バーボンの上にぷかぷか浮かんでる氷を人差し指で軽く突つきながら指摘すると、無言でカウンターに置かれたお通し。真っ白い小皿にはブルーチーズが2枚と、その横にキャベツと塩昆布の和え物が添えられていた。 「これ、どうぞ」  目の前に差し出された割り箸を手にして、ブルーチーズを摘まみ取ってみた。  青かびで所々覆われた見た目に内心ビビりながら、思いきって口にしてみる。羊乳の優しい甘みと青カビのピリッとした刺激的な強い味わいを、舌の上に感じた。きちんと咀嚼してからミントジュレップを飲み込むと、甘さと美味さが自動的に増していく。  チーズの持つ塩分が、お酒の旨味を引き出したに違いない。となると――  隣にあった、キャベツと塩昆布の和え物に箸を伸ばして食べてみた。  最初に感じたのはゴマ油の風味だったが、塩昆布の持つだしの風味とキャベツの葉の甘さが相まって、ブルーチーズの塩分を相殺させるものがあった。多分、箸休めみたいな役割を果たすべくして配置されたんだろう。 「美味い、さすがは忍ママ」 「毎度毎度、同じような言葉を言われてもねー。誉め言葉のバリエーションくらい、増やしたらどうなのよ」 「褒めてるのに、悪態をつくなんてな」 「……昨日、高橋が来たわ。そのせいかしらね」  忍ママの言葉にちょっとだけ間をおいてから、自然と眉根を寄せた。  石川さんの本名は高橋という。ここに会員登録する際は身分証の提示をしなきゃならないから、欺くことができないシステムになっていた。  高橋と言われてもすぐに反応できないのは、ずっと石川さんと呼んでいた名残かもしれない。あの人の本名や本心、その他すべてが分からないままにここで別れていた。 「江藤ちんのこと聞かれたけど、知らないって言っておいたから」  石川さんとのいきさつを忍ママに打ち明けていたからこその、その配慮だろう。 「サンキュー、助かる」 「今はどうか知らないけど、あの男は問題児だしね。江藤ちんの他にも、たくさんのかわいい男を泣かせてきたバカなヤツなのよ」  まるで自分が泣かされたと言ってるような憤慨する様子に、思わず笑みが零れてしまった。 「だからかしらね。読むことにも長けているのは」  何もしていないのに、バーボンで溶けた氷がカランと音を奏でる。早く飲まないと薄まってしまうと考え、慌てて半分ほど飲み干した。 「俺様のことを訊ねたってことは、何か気になることでもあったのか?」 「そりゃあ関係のあった男の話だもん。どうしているか気にするんじゃない。私がさぁねってごまかしたら、アイツはいいヤツだからきっと恋人ができて、うまいことやってるだろうなって、江藤ちんが座ってるそこの席でハイボールを傾けながら喋っていたわ」  忍ママの話を聞きながら残っているミントジュレップを煽った瞬間、お冷やが入っているグラスをカウンターの上に置かれた。 「あのバカの話を聞いたからって、イライラするんじゃないわよ。むしろ相手をした、私を気遣ってほしいくらいなのに」  多少なりとも不機嫌にはなったがイライラしたわけじゃないのに、このお冷やで頭を冷やせってことで差し出してきたのか。やれやれ―― 「忍ママの気遣いに感謝する。ありがとよ」  お冷やの入った小ぶりのグラスを掲げてから、口をつけてやった。  まったりと和んだ俺様を見やり、太い二の腕を隠すような大きい袖をばさっとなびかせて胸の前で腕を組むと、いつもの営業スマイルが復活した。  適度に太い眉の下にあるカールしたつけまつ毛を上下させて、得意げな表情で見つめられてもドキドキしないのは、派手な色を使いまくった浮いている女装のせいだろう。 「ねぇ江藤ちんの恋人、当ててあげようか。ズバリ宮本でしょ? 前彼の弟くん」  いきなりブチかましてきた答えに、飲みかけていたお冷やを吹き出しそうになった。目を白黒させながら、何とかして飲み込む。 「やだわ、ちょっと。ミントジュレップ作るのに必死になったせいで、おしぼり渡すのを忘れてた。ガハハッ!」  甲高かった声が途中からオッサンの声に変わり、盛大な笑い声が店内に響いた。右端にいる客のふたりが忍ママの異変に、ぎょっとした表情を浮かべ合う。 「ママがおじさんになっちゃうと、ここの雰囲気が壊れちゃうよ。僕ら、せっかく楽しく飲んでたのにさ」 「ごめんね~! 緊急事態が発生したもんだから、つい。気をつける~!」  カウンターの中を大きな躰を動かしておしぼりを取りに行き、長いスカートをバサバサとなびかせながら戻ってくると、空になったタンブラーを下げてからおしぼりを置いた。 「昼間の姿から夜の蝶になって、艶やかに舞い戻って来たわよ」  なぁんて言いつつウインクされても、残念ながらときめくことはない。 「どうして相手が、宮本だと分かったんだよ?」  疑問に思ったことを素直に口にしたというのに、忍ママは小さな目を瞬かせ、なんておバカさんでしょと呟いた。 「江藤ちんがここで何度も、宮本の話をするからよ。『仕事のできない部下を持って不幸せだー』なぁんて言ってたくせに、ちゃっかりモノにしちゃってさ」 「ここで愚痴ってたときは、マジで嫌いだったんだ。俺様の足を引っ張ることしかしない、バカだったし……」  意味なく手にしているグラスを、カウンターの上でくるくる回してしまった。 「嫌いキライも好きのうちって言うでしょ。それだけ意識していたってことじゃないの?」 「意識していたけど嫌いを突き詰めて、大嫌いだったんだ」

ともだちにシェアしよう!