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過去の想い:愛をするということ7

「調教はまだはじまったばかりなんだから、楽しまなきゃ。お互い、気持ちいいコトするんだしさ」  この男に調教される。これからずっと、こんな嫌なことが繰り返されるっていうのか!? 「俺好みの男にしてあげる。手取り足取り、いろいろ教えるからね。いいコにしていないと、どうなるか分かるだろ?」 「……写真をバラまく」  怒りを抑えながら、震える声で渋々告げた。  ゲイであることを隠して、いろんなことに我慢しながら生きているだけでもつらいというのに、これからこの男の言うことを聞かなければならない未来は、絶望しか見えなくて目の前が真っ暗になった。 「察しが良くて助かるよ。それじゃあまずは俺のを、はるくんの口で綺麗にしてもらおうかな。さっき俺がしたみたいに、やってみてごらん」  精神的なダメージに打ちのめされているところに命令してきた卑猥な行為を、頭の中を空っぽにして奉仕することにした。  自分の性癖を相談できない以上、こうして脅されることを誰にも言えない。考えるだけ無駄だと考え、自ら火の粉を被る。それ以外の方法が、このときは思いつかなかったんだ。  こんな歪んだ関係を強要される中で、石川さんから呼び出されるたびに行為を強要されなかったのは、唯一の救いだったかもしれない。ただ顔を突き合わせて世間話をするだけのときもあるけれど、こっちの顔色を窺いながら面白がって脅してくる姿を見て、憎くて堪らなくなった。  そんなあからさまな嫌悪感を出してる相手を組み敷いて、何がいいんだろうと思った。  関係を持つたびに感度が増して男に抱かれる快感を知ったけど、自慰をする以上の心苦しさが精神を蝕み、もどかしさに囚われた。石川さんに貫かれるたびに快感で喘いでしまう自分が、とても嫌で仕方なかった。  脅されてから2カ月くらい経った頃だったろうか。いつものように呼び出されたのに、待ち合わせ場所は自分が住んでいる駅の傍にあるファーストフード店だった。夕飯の時間帯だったこともあり、店内が込んでいたので店の前に佇んでいた。  店先で待っていた自分を見つけて、いつものスーツ姿で現れた石川さんが笑顔で話しかけてくる。 「待たせて悪いね。一緒についてきてほしい場所があるんだ」  楽しげに話しかけられたが脅されている身としては断れないし、どっちにしろ面白くないことだった。  石川さんの後ろをついて歩くと、迷うことなく繁華街に入っていく。ここを少し抜けたところにホテル街があるので、また関係を続けなければならないのかと内心うんざりした。それにしても―― 「あの、土地勘があるんですか?」  いつもと違う場所をすいすい歩いて行く姿に、疑問に感じたことをそっと話しかけてみた。 「そうだね。はるくんと同じ大学に通っていたって言ったら、納得してくれる?」 「……同じ大学に通っていたんですか?」 「ちなみにいつも待ち合わせで使っていたあの場所は、高校まで住んでいたところなんだよ。今現在の住んでいる場所はナイショ」  訊ねた質問をはぐらかすように返事をした石川さんに、唖然とするしかなかった。身分を明かさないようにすべく、徹底したその物言いには舌を巻くしかない。 「ふっ、そんな不安そうな顔をしないでくれ。罪滅ぼしに、いいところに連れて行ってあげるから」 「…………」 「大丈夫だって。今日を最後に、俺たちの関係はおしまいなんだ。離れた場所に転勤が決まってしまってね」  言いながらポケットからスマホを取り出して、何かを操作すると手渡してくる。それは最初に撮られた写真が、画面に表示されている状態だった。 「それ、削除していいよ。やり方分かる?」  返事をする前に、さっさと写真を削除した。二度と見たくないものだったし、脅されるのはもうこりごりだ。 「石川さん、他の媒体にこの写真を記録していたりなんて」 「そんな面倒なことをしちゃいない。誤ってその画像が他の人の目についたら困るし、悪用されたら堪ったもんじゃないからね。貸してごらん?」  言われたとおり石川さんに渡したら、スマホの外部メモリを見せてくれた。そこには電話帳しか記録されていなくて、ふたたびそれを手渡してくる。 「ついでに、はるくんの名前を消してくれ。本名で登録してある。それからスマホ本体に入っている方も」 (……この人本当に、自分を解放しようとしているのか!?)  狐につままれた気分でそれぞれを削除してから、番号が別の形で残されていないか、スマホの検索機能を使ってあらためてチェックしてみたが、該当するデータは出てこなかった。  そんな必死になっている自分の横で、「信頼されないのは当然だよな」と涼しい顔して口を開く。 「俺と違ってこれから逢う人は、安心できるヤツだよ。何かあったら遠慮なく相談するといい」  言いながら背の高い自分にわざわざ手を伸ばし、頭を撫でてきた行動を不思議に思って、じっと見下してしまった。 「……はるくんにこんなことをしたって、安心感を与えられるわけじゃないのに、何をやっているんだろ」  まじまじと見つめてしまったせいか、石川さんはらしくないくらいに動揺して、慌てて手を引っ込めた。いつも翻弄する側にいる彼が頬を染めて、視線を右往左往する姿に首を傾げるしかない。 「あの、これお返しします」  自分の個人情報や写真を削除したスマホをそっと差し出したら、手間をかけさせたねといつもの口調で告げてスーツのポケットに忍ばせた。 「俺たちが出逢ったきっかけ、覚えているかい?」  それまでの雰囲気を一蹴するかのような話題転換に、視線を前に見据える。道の両側には飲み屋の煌びやかな看板やネオンが光り輝いているけれど、目の前にある一本道の先は真っ暗だった。  そんな目の前に広がる景色が、まるで自分の人生みたいだと意気消沈しながら思い出す。 「高校の卒業式で、告白した話をしましたよね」  忘れたくても忘れられない思い出を、この人に告げてしまった。胸の中に一人で抱えておくには、とてもつらくて苦しかったから。いろんな恋の話を聞いて解決している彼なら、忘れられる何かを教えてくれると思ったのに――結局は『そうなんだ、大変な思いをしたんだね』で、あっけなく終わってしまったっけ。 「俺さ恋って、簡単にできるものだと思っていたんだ」  自分が考えていることとは正反対のことを言われたせいで、思わず眉根を寄せてしまった。 「はるくんと違って俺は、両方を愛することができる。これって、人の倍は恋することができるだろ?」 「そうですね……」 「それなのに人を好きになるっていう感情がないせいで、恋する意味が分からないんだ」 「えっ!?」  石川さんの衝撃発言に、ぴたりと足が止まった。恋が簡単にできると言っておきながら恋する意味が分からないなんて、わけが分からない。  立ち止まった自分に振り返り、優しげに一重瞼を細めながらじっと見つめられた。作られた感じじゃなく、こんな風に柔らかい表情もできる人だったんだなと、思わせるような笑みだった。  ――よく考えたら石川さんのプライベートを聞くこと自体、初めてじゃないだろうか。いつもこっちの話を広げるように、質問ばかりされていたっけ。 「俺がこんな話をするのが珍しい?」 「……はい。意味が分からなくて、返事に困ってしまうくらいに驚きました」 「ははっ。俺もよく分からないからな。狙った相手を落としてヤることヤっちゃえば、好きになれると思ったのに、現実はそう甘いものじゃなくてね」  どこか歪んだほほ笑みを唇に浮かべながら肩を竦める。そんな笑みを見せないようにするためなのか、さっさと歩き出す背中を追いかけるべく急いで足を動かした。 「好きって何だろうな……」  隣に並んだ途端に告げられた言葉は自分に問いかけられたものなのか、それともただの呟きなのか―― (好きということ。それは人によって違うものだと思うけれど――) 「その人の存在を感じたり、ふと目が合ったときに胸が高鳴るとか。他にも同じものを共感して笑ったところを見るだけで幸せを感じたりして、そんな顔をずっと傍で見ていたいなぁと思ったり……」 「…………」  たどたどしく語っていく言葉を聞きながら、じっとこっちを見つめてくるので一気に緊張してしまい、ひゅっと息を飲んでしまった。いつもお喋りな人が沈黙するだけじゃなく無表情だからこそ、何を考えているかも分からなくて、余計に言葉を繋げにくい。 「え、えっとその、抽象的すぎて分かりにくいですよね。他の表現が思いつかなくて」 「いいや。はるくんの好きは何だか、あったかい感じがする。相手を包み込むような優しさがあるね。そんなイメージだよ」 「ありがとうございます……」  好きの気持ちの裏にある肉体的な関係を、あえて言わなかった。言ったところで、まともなことを言える気がしなかったから。  しかもこんな風に褒められるとは思わなかったので、ちょっとだけ照れてしまい顔を明後日のほうに背けた瞬間、大きな衝撃が躰に走る。 「え――!?」  石川さんが俺の行く手を阻むように、いきなり抱きついてきた。大きな木にしがみつく子どものように、ぎゅっと強く抱きしめてくる。  人目のある繁華街の道の真ん中で抱きつかれたので、目立ってしょうがなかった。道行く人が何をしているんだろうかと、自分たちに視線を飛ばしているように感じた。 「あ、あの石川さん。大丈夫ですか?」  介抱するように見せかける言葉をかけながら、上着の背中をぐいぐい引っ張ってみた。離れるように促しているというのにそんなの無視して、腕に力を入れたのが伝わってきた。 「……はるくんのドキドキ、躰に感じるよ」 「そんなの感じられても、人目がですね」 「俺はね、全然ドキドキしていないんだ。むしろ、しくしくと痛んでる」 (胸が痛んでるなんて、どうしてなんだろう?)  呆然と立ち尽くす自分に、石川さんは顔を上げて悲し気な笑みを浮かべる。 「優しくてあったかいはるくんに酷いことをしたというのに、好きの意味が分からない俺に理解させようと、必死になって考えてくれたよな」 「あ、はい」 「なんて可哀想な人なんだと、同情心から教えてくれたんだろう?」  確かに――そういう感情が心の隅っこに、多少あったかもしれない。 「なぁんて言ってみたけど、ごめん。君の黒い部分を引き出すようなことを、わざと言ってしまって。綺麗な君を貶めたくないのに……」 「石川さん?」  自分の感情を認めようとする矢先に謝られたせいで、二の句が告げられなかった。困ったのはそれだけじゃなく抱きとめている躰が微妙に震えはじめ、石川さんの瞳に涙が溜まっていく。  顔の少し下にある間近な距離でそれを確認したので、内心すごく驚いたけど、上着を掴んでいる手を使って背中を撫で擦ってみた。  酷いことをして自分を縛りつけて肉体関係を強要されたのは本当につらかったし、すごく憎んだ。死ねばいいのにと思った相手が弱って、こうして涙を流している姿に、どうして宥めるようなことをしているんだろう。  大勢の人が行き交うこんな場所だからこそ、早く離れたいのに―― 「君が好きになる相手は、間違いなく幸せになれるだろうな。はるくんの中にあるあったかい心を知れば、きっと手放せなくなる。これから出逢う愛した人と、一緒に幸せになれよ」  石川さんが最後に見せた姿は、忘れられないものになった。それは見たことがないくらい、眩しい笑顔でその言葉を告げられたからか――あるいは、嘘で塗り固められた真実だからなのか……。  雅輝と付き合ったときには出てこなかった記憶が、宮本と付き合っていこうと決心した途端に思い出し、そのせいで迷いが生じた。  前回の恋愛で失敗した自分と付き合って、本当に幸せになれるんだろうか?  そんな過去を振り返りながら石川さんに教えてもらった店を目指すべく、古ビルのコンクリート製の階段を靴音を立てながら上ること、2階のフロアの一番手前にある、漆黒に塗られた扉の前に立ちつくした。  会員制のゲイ・バー、アンビシャスの会員になって、5年を軽く超えているというのに、ここに入るときは妙な緊張感に襲われるため、いつも深呼吸してから入店していた。  ゲイ歴の長いママの見た目と中身が凄すぎて、そのショックが表情に出ないようにしなければいけないんだ。  いつものように深呼吸を数回してから金色のノブに手をかけ、必要以上に気合いを入れて勢いよく扉を開けた。 「いらっしゃ~い。今夜も超イケてるじゃないの江藤ちん!」  出会い頭にいきなり告げられた言葉で、反射的に顔の前で右手がワイパーのような動きを繰り出してしまう。 「いやいや……。忍ママには負けてますって、ハハハ」  昼間はマッチョな体形を生かして、日焼けサロンを経営している忍ママ。現在のお姿は黒髪のセミロングのかつらを被って小麦色の肌を際立たせるようなメイクを施し、デカい躰を隠すような、ぶかぶかしたド紫色のワンピースを身に着けていた。

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