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第23話
屋敷に戻ったころには、あたりはすっかり暗くなっていた。
車が音もなく玄関前に止まるころには、アオの緊張はピークに達していた。
自分の短絡的な行動で、いったいどれだけの人の気持ちを裏切り、傷つけてしまったのだろう。責められても仕方ないことをしたのだとわかってはいても、初めて多少の信頼関係を築けたという実感があっただけに、以前と同じような冷たい目で見られるかと思ったら、怯みそうなほど怖かった。
「アオ!」
車から降りたとたん、アオは勢いよく玄関から飛び出してきたリコにぎゅっと抱きつかれた。
「リコ・・・・・・」
そっと身体を離そうとしても、リコはしがみつくようにアオから離れない。
「屋敷の中が急に騒がしくなって、そしたらアオとマリアがどこかに消えたってみんな探していて・・・・・・。マリアはシオンたちと帰ってきたけど、アオは一緒じゃないってシオンが言うし・・・・・・。いつまで待ってもアオは帰ってこなくて、そんなことないってわかっていたけど・・・・・・」
そこでリコはひくりと喉をひくつかせた。
「もう、アオが戻ってこないと思った・・・・・・! アオも俺のこと、いらなくなっちゃったのかなって・・・・・・! そしたらどうしようって・・・・・・!」
リコの声は微かに震えていた。
「リコ・・・・・・!」
アオはびっくりした。自分がリコを必要としなくなることなんてあり得なかった。家族なのだ、唯一の。大切な。
「俺がリコをいらなくなるなんてありえないよ・・・・・・っ! リコに黙って消えるなんてそんな・・・・・・っ!」
アオは無理矢理リコの身体を離した。じっと見つめ返してくるリコの目は、わずかに赤かった。泣いたのだ。それだけ心配をさせてしまったと思ったら、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
「・・・・・・リコ。ごめん・・・・・・! 心配かけてごめんな・・・・・・」
アオはリコの身体を抱きしめた。今度は自分から。リコもアオにしがみついてくる。
そのとき、カイルが少し離れた場所でアオたちのようすを眺めているのに気がついた。
「リコ、ちょっとだけ待ってて」
アオはリコの身体を離した。
カイルにはちゃんと謝らなければいけない。それに、あれからマリアがどうなったのかも聞きたかった。
リコは言いたいことをすべて吐き出しすっきりしたのか、今度は素直にアオから離れた。
「カイル、マリアの具合は?」
カイルからは、どんなに罵倒されても文句は言えなかった。自分はカイルの信頼を裏切ったのだ。
「いまはもう落ち着いていますよ。あなたが戻ってきたら、会いたいと」
「えっ」
アオは戸惑った。へたしたらもう二度とマリアとは会わせてもらえないと思っていたからだ。それだけのことを自分はした。
「で、でも俺・・・・・・っ」
カイルの顔がまっすぐに見られずに、アオは落ち着かないようすで視線を揺らした。
「最初は確かにショックを受けていましたが、いまはもう落ちついています。私もシオンも、マリアを傷つけまいと大事にしすぎたのかもしれません。アオはちっとも悪くない、自分が無理を言ったんだって、マリアがシオンに食ってかかっていましたよ。あんなにはっきりシオンに物を言うマリアも、困ったようにおろおろするシオンの姿も、初めて見ましたよ」
カイルが苦笑する。その瞳には、アオを責める色はもうなかった。
アオはぎゅっと唇を噛みしめた。そうでもしないと、泣いてしまいそうだったからだ。胸の中から何かがあふれ出しそうだった。
シオンやカイルたちと出会って、アオは弱くなった。ひとりの人間として認めてもらえて、前のように突っ張って生きることが難しくなった。
「どうしますか、会いますか?」
「会う」
アオは、はっきりとうなずいた。
「マリア、入りますよ」
ノックの音と共に、カイルがマリアの部屋のドアを開けた。部屋に入ってすぐに、シオンの姿が視界に入って、アオは思わずドキッとした。
「アオ!」
マリアがベッドカバーを剥ぐ勢いで飛び出そうとするのを目にして、アオは慌てて少女に近寄った。
「アオ! アオ!」
少女のほっそりとした腕が、抱きつくようにアオの首にまわされる。
「マリア、ごめん、俺・・・・・・!」
アオの言葉に、マリアは頭を振った。
「アオは謝ることなんて何もない。何もないの」
身体を離し、マリアが目をこする。マリアの瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。
「私、すべてを思い出した。過去のこと。思い出したくないことまですべて」
「・・・・・・っ!」
アオは目を見開いた。どうしようと思うのに、何も言葉が出てこない。
マリアが思い出してしまったのは、すべて俺のせいだ。俺がよけいなことをしたせいだ。マリアに過去なんて話さなければ。墓地なんて連れていかなければ・・・・・・。
ぐるぐると後悔が頭の中を回る。アオはうつむいた。いくら後悔したって、取り返しはつかなかった。
そのとき、アオの髪にふわりと触れるものがあった。驚いたアオにほほ笑みかけるように、マリアがアオの髪をそっと撫でる。
「・・・・・・アオ。謝らないで。アオは何も悪くないの。これまでずっと忘れていたこと、思い出して確かにつらかったし、ショックを受けていないと言ったら嘘だけれど、私、ずっと自分にはとても大きな何かが足りないとわかっていた。思い出そうとすると、頭の中に靄がみたいに、思い出せなかった。自分に足りないものが何なのかわからなくて、ずっと苦しかった」
マリアの瞳に透明な膜が盛り上がり、頬を伝い落ちる。
「アオ・・・・・・。”つがい”って何のためにあるのかしらね。決して自分から望んだわけではないのに、私にはつがいがいた。相手のことなんて、何ひとつ知らないのに。無理矢理相手に乱暴を働くような、ひどい人かもしれないのに、私はその人がいなくて悲しいと思っているの。胸の中に、埋められない穴がぽっかり空いているの。アオ、私たちって何のために生まれたのかしらね。オメガって、悲しいね・・・・・・」
マリアは、泣いていた。静かに泣きながら、ほほ笑んでいた。
「マリア」
そのとき、シオンがマリアの背中にふわりと毛布をかけた。
「きょうはいろいろあって疲れただろう。またあした話せばいい」
まるで大事な宝物に触れるような、やさしいしぐさだった。懲りもせずに、アオの胸はそれを見て痛みを感じる。
オメガは悲しいね、と言った少女に、アオは何も答えることができなかった。
けれど、マリアにはシオンがいる。いまはまだつらいけれど、シオンがそばにいて、マリアの傷を癒してくれるのだろう。
アオはゴシ、と瞼をこすった。自分に泣く資格などはない。
マリアの部屋を出てから、アオは背を向けて歩き出していたシオンを呼び止めた。
シオンが足を止め、何だという表情でアオを見る。
まだ幾分苛立ちが残っているような不機嫌そうな顔に、アオは怯みそうになった。視線の隅で、カイルが小さく頭を下げてその場から去るのがわかった。アオはごくりと唾を飲んだ。
「きょうはごめん。シオンの言う通りだった。俺、間違ってた。自分ばかりがマリアの気持ちをわかっている気がしてた。ただ、同じオメガっていうだけで・・・・・・。もっと相談すればよかった。そうしたら、こんなにマリアを苦しめなくてすんだかもしれない。本当にごめんなさい」
素直に頭を下げたアオに、シオンは拍子抜けしたようだった。いや・・・・・・、とか、ああ・・・・・・など、珍しく歯切れが悪い。アオが再び顔を上げたときには、ややバツが悪そうな表情で、けれど怒りはだいぶ収まっているようだった。
「リコのこと、カイルはずっとここにいてもいいって言ってくれているけど・・・・・・」
「ああ。話は聞いている。リコがカイルのつがいだということも。それは別に構わない」
いきなり話題が変わったことにシオンはやや戸惑っているようだったが、シオンからのはっきりした同意を聞けて、アオはほっとした。
「よかった。それだけが心配だったんだ。あ! もちろん、だからといって、あんたたちだけに任せておくつもりはない。俺もちゃんと仕事を見つけて働き始めたら、お金を入れるようにするよ。そりゃ、あんたたちからしたら、はした金にもならないかもしれないけどさ・・・・・・」
「・・・・・・アオ?」
恥じるように小さく笑みを浮かべるアオに、シオンは眉を顰めた。ようやく、アオのようすが普段とは違うことに気づいたらしい。
アオは大きく呼吸を吸い込んだ。
迷うな、とアオは心の中で自分に言い聞かせる。それからまっすぐにシオンの顔を見て告げた。
「俺、ここを出るよ」
リコは自分がいなくても、もう心配ない。最初は怒るだろうし、納得しないかもしれないけれど、よく話し合って言い聞かせるつもりだった。
アオの言葉に、シオンが目を瞠る。
「・・・・・・マリアのことを気にしているなら、心配ないと言っただろう。それとも何か、ほかに気になることがあるのか?」
珍しくシオンが動揺している。
シオンには申し訳ないけれど、アオはうれしかった。自分がいなくなることを、ほんの少しでも悲しんでくれる。ただ、それをうれしいと感じる自分自身が問題なのだ。これ以上、シオンのそばにはいられなかった。そばにいたら、自分はもっと欲深くなってしまう。俺のことを見てと言いたくなってしまう。マリアのことなんか放っておいて、俺のことを愛してほしいと。
「もとからさ、俺がここで世話になる理由なんて何もなかったんだ。居心地がよくて、ついついずるずるしちまったけどさ・・・・・・」
言葉もなく、自分を見つめるシオンを見ていると、やっぱり止めたと前言を翻したくなった。だから、アオはほほ笑んだ。何でもないふりをするのは得意だ。
「マリアにはあんたがいる。いまはまだショックを受けていてもさ、あんたがそばにいたら、いつかあんたの想いに応えられるときがきっとくる。そのときにさ、俺なんかがいないほうがいいだろ?」
この想いが何なのかはわからない。ひょっとしたら、単なるフェロモンのせいなのかもしれない。けれどアオにとって、この想いは紛れもない恋だった。
自分の想いは残念ながら実らなかったけれど、生まれて初めて好きになった相手の不幸を望むようなことはしたくない。
「勝手にしろ!」
遠ざかるシオンの後ろ姿を見つめながら、アオは何度もこれでいいんだ、と心の中で言い聞かせていた。
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