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第238話 天狗の花嫁

紫さんに引っ張られて玄関を上がり、庭に面した広い和室に連れて来られた。 「ねぇ、凛ちゃん見てっ!どれも綺麗でしょ?」 紫さんが指差す先を見ると、部屋の周りにズラリと色とりどりの着物が、衣桁(いこう)にかけられていた。 「わぁ…、すごい。綺麗ですね」 「でしょ?じゃあ凛ちゃん、早速着てみましょうか?」 「はい…え?この着物、俺が着るの?え?でもこれって女物じゃ…」 「そうよ?凛ちゃんに似合うと思って用意したの。ね、お願い?着てみてちょうだい。これを着た凛ちゃんを見たいのよ。きっと可愛いわ。ねぇ、銀?」 「そうだな。これなんか色白の凛にはぴったりじゃないか?」 遅れて部屋に入って来た銀ちゃんが、自分のすぐ側にある着物を摘んで言った。 「ぎ、銀ちゃんまでっ!俺、いくらなんでも女物の着物を着て式に参列するのは嫌だよ…っ」 俺が「結婚式ってスーツを用意したらいい?」と銀ちゃんに聞いたら、「郷の方で用意しておいてくれるから、凛は何も持たずに行けばいい」と言ってくれたから、安心していたのに…っ! まさか、女物の着物を用意してくれてたなんて…。 俺は悲しくなってきて、涙が溢れてぽろりと頰を滑り落ちた。 それを見た紫さんが驚いて俺を抱きしめ、銀ちゃんが慌てて傍に駆け寄って来た。 「ああっ、凛ちゃんっ、ごめんなさいっ。違うのよ?これを着て式に出るわけじゃないのよ?ほら、あそこを見てちょうだい。男物もあるでしょう?式にはあれを着るのよ?この着物はね、私が若い頃に着てたもので、これを着た凛ちゃんと写真を撮りたかっただけなのよ…。でも、泣かせてまで着せたいわけじゃないから…。ごめんなさいね」 俺の髪の毛を梳きながら、紫さんがそう説明をしてくれた。女物の着物を着て出るわけじゃないとわかって、気持ちが落ち着き涙も止まる。 不覚にも、男のくせに泣いてしまった事を謝ろうと口を開きかけたその時、俺の身体が紫さんから引き剥がされて逞しい胸の中に閉じ込められた。 「母さん、凛をいじめないでくれ。凛も嫌なら遠慮なくはっきり断っていいんだぞ?」 「ちょっと銀、あんたも嬉しそうに凛ちゃんに着物を薦めてたじゃない。なに自分だけ善い人ぶってんのよ」 「似合うと言っただけだ。着ろとは言ってない」 「はぁ?そんなの屁理屈じゃないの。私は、凛ちゃんがすっごく可愛いから、可愛い子が可愛い物を着てもっと可愛くなったところを見たかっただけよ。あんただって見たかったんでしょ?」 「ぐ…っ、み、見た…くないっ。凛は何も着てなくても可愛いんだっ」 「あらやだ。変態発言」 「なんだと?このクソば…」 「銀ちゃんっ!」 言い合いがエスカレートして、母親に対して言ってはいけない言葉を吐きそうになった銀ちゃんを慌てて止める。 「凛ちゃん、本当にごめんなさい…」 「紫さん、もういいですよ。俺もすぐに泣いてしまって…恥ずかしいです…ごめんなさい。それに、今ここで着てみるだけなら着てみてもいいです。せっかく似合うと言って用意してくれたんですから…」 「ほっ、ほんとにっ⁉︎」 紫さんが銀ちゃんに体当たりをして弾き飛ばし、俺の肩を強く掴んで鼻息荒く聞いてきた。 その剣幕に怯えて、俺はこくこくと無言で頷く。途端に紫さんは艶やかな笑みを浮かべて、「じゃあ凛ちゃんはどれがお好み?」と一枚一枚着物を見せてくれた。

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