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第237話 天狗の花嫁

それからしばらくは何事もなく、平和な日々が過ぎた。 ただ不思議な事に、俺と清忠と倉橋以外の学校の皆んなは、久世先生の事を忘れてしまっていた。忘れたというより、最初からいないことになっているようだった。 その事を銀ちゃんに聞いてみると、「尊央が皆んなの記憶から自分の存在を消す術をかけたのだろう」と言った。 「もしかして、おまえの事も皆んなの記憶から消して、ずっと閉じ込めておこうと考えてたかもしれない。そうなる前に、助け出せて本当に良かった」 ーーそうなっていたら、どんなに恐ろしかっただろうか…。想像も出来ない絶望を、俺は味わっていたに違いない。 俺はぶるりと身体を震わせて、銀ちゃんに身を寄せた。銀ちゃんは俺をしっかりと抱き寄せ、安心させるように背中を撫でる。 「凛…、もしもの事で不安になることはない。それに、どんな時でも俺は必ずおまえを守ると約束する。おまえは安心して俺の腕の中にいればいい…」 「うん…、ありがとう…。でも、守られてばかりは嫌だ。俺も銀ちゃんの役に立ちたい。だからいっぱい勉強して銀ちゃんの仕事を手伝えるようになる」 「そうか。ふっ、期待してるぞ?」 「ぎ、銀ちゃんみたいに頭良くないけど、頑張るっ」 「凛、あんまり頑張り過ぎるなよ?俺は、おまえが俺の為にそう考えてくれてる事が嬉しい」 銀ちゃんの満面の笑みを見て、「ああ…本当に大好きだなぁ…」としみじみ思って、銀ちゃんにもっと強くしがみ付いた。 短い梅雨が明け、7月に入って一気に陽射しが強くなってきた。 そして、ついに鉄さんの婚儀を挙げる日が近づいた。ありがたいことに俺も招待されて、式の二日前に銀ちゃんと天狗の郷に入った。 銀ちゃんの実家の庭に降り立つと、浅葱と紫さんが待っていてくれた。 「凛ちゃん、お久しぶり。元気だった?」 「はい。紫さんもお元気そうで良かったです」 「凛ちゃんの顔見たら、もっと元気になっちゃったわ。ねぇ、凛ちゃんに見せたい物があるの。ほら、こちらにいらっしゃい」 「え?あ、はい…」 紫さんが俺の腕に腕を絡めて、ぐいぐいと引っ張って家の中へと連れて行く。途端に銀ちゃんの目が吊り上がり、大きな声を出した。 「母さんっ。勝手に凛を連れて行かないでくれっ」 「あら?銀いたの?凛ちゃんしか目に入ってなかったわ」 「俺がいなかったらどうやって凛はここに来るんだ」 「そうねぇ…、凛ちゃんが一人でも郷に来れるように、何か考えないとねぇ…。あ、そんな事より早く早く…っ」 「かっ…」 「まあまあ」 ちらりと銀ちゃんを見て言った後、紫さんは、またすぐに俺を引っ張って、どこかへ連れて行こうとする。 俺は少し困って後ろを振り返る。 浅葱に腕を掴まれて止められた銀ちゃんは、浅葱に何かを耳打ちされて目を大きくすると、渋々頷いて俺と紫さんの後を付いてきた。

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