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「キミはわかっていない……キミがどれほど需要のある存在か、わかっていないんだね。嗚呼、嘆かわしい。……僕が、教えてあげる。僕の下で、美しく咲いてみせてよ。僕にとっての最高のドールになってくれ」 「――ちょっ……!」  ヴィクトールはじっとりとヘンゼルの全身を舐めるように見つめたかと思うと、ヘンゼルのシャツのボタンを外し始めた。そこでようやく、ヘンゼルはトロイメライの面々の言う「調教」・そしてヴィクトールの言った「この部屋でヴィクトールと共に過ごすこと」の意味に気付く。彼らは、ヘンゼルを「抱かれる側」の男にするつもりなのだ。抱かれることに悦びを覚える身体につくりかえるのである。 「ま、待って……! 嫌だ、それだけは、ほんとうに……!」 「痛いことはしないよ、大丈夫。しっかり慣らして、キミの身体に合わせてやってあげるから怖がらないで」 「そういうことじゃない! おかしいだろ、俺は男だぞ! 男が抱かれるなんてそんな、変だと思わないのか、おまえは俺を抱くことが、いやだと思わないのか!」 「男同士だって、セックスはできる、これからそれを教えてあげる」 「だ、だから……! ほんと、それだけはやめ……」  ヘンゼルはヴィクトールから目をそらし、やがて静かに涙を流し始めた。濡れた瞳を隠すように枕に額を押し付けて、嗚咽をあげる。  珍しい反応だ、とヴィクトールは不思議そうにそんなヘンゼルのことをみつめていた。ヴィクトールが今までこのように調教してきた少年たちは、たしかに嫌がりはしたがこうして泣いたりはしなかった。男であるのに抱かれるというのはプライドを折られる、しかしなぜここまで。純粋に興味をもったヴィクトールはなだめるようにヘンゼルの髪を撫でる。 「なんでそんなに嫌がるの? 神様への冒涜になるから? キミ見かけによらず熱心に神様信じているんだね?」 「……そんなんじゃない……神様なんて信じていない……神様がほんとうにいるなら、椛と俺はあんな思いをしていない」 「じゃあなんで?」 「……難しい理由なんてねぇよ! 恥ずかしいからに決まってるだろ! ずっとこのトロイメライのトップに立っていたお前はわからないだろうな、町の片隅の男娼がどんな目でみられていたか……どんなに馬鹿にされていたか! 男が抱かれるってことはな……おかしいことなんだよ!」  ヘンゼルと椛が生きるこの時代・国では、同性愛者は肩身の狭い思いをしていた。それというのも、宗教において生殖以外の性行為が神への冒涜とされているからである。同姓を愛することが、罪と言われていたのだ。  椛の商売については、公には広まっていなかった。町の裏のほうで生きる人間の間で噂になるくらいであったが、人々は椛のしていることをなんとなく察していた。人間は後ろめたいことについての嗅覚は長けているものなのだ。 「椛の兄である俺が……どれだけ町の人から冷たい目で見られていたかわかるか、馬鹿にされたかわかるか! あいつの兄なんだからって俺もそういうことを強要されたことがあった、下品な言葉で罵られる毎日を過ごした……絶対にいやだ、俺は違う、俺は男に抱かれたりはしない!」  いままで受けてきた屈辱を思い出して、ヘンゼルは悔しくなって、さらにぼろぼろと泣きだしてしまった。自分が身体を売ったわけでもないのに、その親族であるからという、それだけの理由で辛い想いをしてきたのだ。それ故に、ヘンゼルは男が男に抱かれるということに対して人一倍嫌悪感を抱いていた。今、自分がその状況におかれているなんて、信じたくないくらいに。 「……ヘンゼルくん……辛かったね。みんなキミに酷いことを言ってきただろう」 「……、」 「でもね……愚かなのはキミでも、グレーテルくんでもない。キミたちを馬鹿にした人々さ。彼らは、キミたちの本当の美しさを知らない……知らないままに、死んでゆく。ざまあないね」  ヴィクトールがヘンゼルの濡れた瞳に口付ける。涙を止めることに必死だったヘンゼルは、抵抗する気力がわかずにただそのキスを受け入れた。 「禁じられたものは、美しい。人間というものは、背徳感に酔うものさ。まるで神話にでてくる天使のように美しいキミが男に抱かれる姿を人々はどう思うだろう……審判は頭の凝り固まった莫迦共じゃない、ほんとうの美しさを知っている「観客」たちさ」 「……待っ」 「僕の下のキミは綺麗だよ、誰もキミを否定したりしない……僕の側にいる限り」 「――んっ」  ヴィクトールが再びヘンゼルに口付ける。優しく、触れるように。暖かな熱を孕んだその瞳と、ぱちりと視線がぶつかる。悪魔のように赤みをを帯びたその瞳は、間近でみると吸い込まれそうになった。目を閉じようと思っているのに、なぜかそれができない。不思議なその瞳の引力に、ヘンゼルはひかれていた。 「……う、……ん」  唇を解すようにやわやわと噛まれ、角度を変えながら何度も何度も。絶妙な力加減で繰り返されるそれは、正直気持ちよかった。相手が見知らぬ男であるという事実すらもどうでもよくなるくらいに。  男とは、絶対に性的な交わりをしたくないーーいや、女であっても。そういったことでずっと揶揄されてきたから。  それなのに、この男の熱が―― 「……ひっ、」 「くち、あけて」 「……やだ」 「あはは、強情で結構。可愛いね」  流されかけていた自分にハッと気付き、ヘンゼルはヴィクトールを睨みあげた。しかしヴィクトールはそんなヘンゼルの表情すらも愛おしげに見下ろす。 「……手、痺れていない? 大丈夫?」  不意にヴィクトールがヘンゼルの頭上で纏めてあったヘンゼルの手に視線を落とした。先ほどからヘンゼルが身動ぎするたびに鎖がガシャガシャと鳴って煩かったのだろうか。ヴィクトールはポケットから小さな鍵をとりだすと、ヘンゼルの手錠を外し、手を解放してやる。 「……わかっているね。暴れればもっと酷いことになるよ。手を解放されたからといって、キミは決して自由じゃない」 「……ッ」 「いい子。ちゃんと理解しているね……可愛がってあげる」 「あっ、」  ヴィクトールが何度目かになる口付けをヘンゼルに落とす。ヘンゼルの髪を優しく撫で、耳朶を指先で揉み、まるでヘンゼルの心とかすように。唇が熱くなってくるほどに、境界がとけてしまうくらいに繰り返されるキス。ヴィクトールのすらりとした指による愛撫で解れてしまった抵抗心。つ、と舌先で唇をつつかれ、ヘンゼルはとうとうヴィクトールの舌の侵入を許してしまった。

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