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「ヘンゼルくん、おはよう」
夜があけて、カーテンから日差しが差してくるころ。ヴィクトールの声で目が覚めたヘンゼルは、重い瞼を擦る。身体がどことなくだるくて、夢と現実の区別がつかないような、そんな心地。ヘンゼルよりも一足早く起きてシャワーを浴び終えたヴィクトールは、濡れた髪をタオルで吹きながらヘンゼルの寝ぼけ顔を覗きこむ。
「……ヴィクトール……」
ヘンゼルは布団に半分顔をうずめながらぼんやりとヴィクトールを見上げた。白いシャツは朝の日差しに眩しく、髪から滴る水滴が静かに彼の肌を伝ってゆく。なぜだかきゅうっと胸が締め付けられるような感覚を覚えて、ヘンゼルは頭まですっぽりと布団に潜り込んでしまった。
「あっ、ちょっと……起きてよ」
「……うるさい」
「ダメだよ、ヘンゼルくん、君、今日もやることあるんだからね」
「んー……」
ぽすぽすと布団を叩いてきたヴィクトールを鬱陶しく思って一気に起き上がれば、思ったよりも間近にヴィクトールの顔があって、ヘンゼルはぎょっと後ずさった。
「ふふ、おはよう」
「……ん」
ヴィクトールがベッドに手をついて、ヘンゼルの唇を奪う。くる、とは思っていたが、逃げられなかった。身体が動かなかったから。まるで、ヴィクトールからのキスを待ち望んでいたように。
「あっ……」
しかし、予想外にそのキスは短かった。触れる瞬間、いつものような深いキスを期待してしまったというのに。舌をいれられて、グチャグチャに咥内を掻き回されて、頭のなかをとろとろに蕩けさせられてしまうことを期待したというのに。すぐに離れていった唇が寂しくて、ヴィクトールが離れていった、その刹那。思わずヘンゼルはヴィクトールの腕を掴んでしまった。
「えっ、ヘンゼルくん……?」
「……あっ、……いや、その、これは」
「……もっとキスして欲しい?」
「……ち、ちが……」
「……そ、わかった」
わかった、そう言いながらヴィクトールはヘンゼルを押し倒し、再び唇を重ねた。ヘンゼルの心の中を読んだように。そろそろヘンゼルの口が素直じゃないということはわかってきたのだ、して欲しい、そういう目をしていたならしてあげたい、素直に言うことができないヘンゼルのために。好きだから。
待ち望んでいた甘く激しいキスは、ヘンゼルの心をあっという間に酔わせてしまった。ぎゅっとヴィクトールの背に腕をまわして抱きしめて、その心地よさに身を委ねる。
(ばか……コイツは、悪党なのに……コイツにこんなことされて、)
……幸せかもしれない。
彼が悪い人、そうわかっているのに心の中で芽生えたその気持ち。自分が堕ちてしまったのだと、その絶望はすぐにに消えてしまう。それくらいに、ヴィクトールから与えられる甘味は気持ちよかった。
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