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 道化師の化粧を落としたヴィクトールと、触手のようなものが生えた生物を連れたドクターが立っていた。ヘンゼルはなぜだがホッとして肩の力が抜けてゆくと同時に、サッと顔を青ざめさせる。この状況をヴィクトールに見られるのは、マズイ。仕事をサボったということもあるが、何よりも…… 「そこの君。受付の彼はトロイメライの所有物だって考えればわかるはずだけど……わかった上で手を出しているの?」 「ま、待ってくれヴィクトール……!」  ヘンゼルは呆然とするテオの手を抜けて、ヴィクトールの前に躍り出る。そう、トロイメライに買われたヘンゼルに手を出したテオは……ただでは済まない。散々トロイメライの残虐さを目にしてきたヘンゼルは、焦ってヴィクトールに掴みかかる勢いで言う。 「ち、違うんだ……テオは俺の友人で……えっと、ショーを見に来ていたから、久々に会えたのが嬉しくて……俺から誘ったんだ」 「ふぅん……ヘンゼルくんがね、だめでしょお仕事サボったりしちゃ」 「ご、ごめんなさい……」 「……悪い子にはお仕置きしないとね」 「え……」  ヴィクトールはヘンゼルの髪を撫で、さして怒っていないといった風に笑う。そして、ヘンゼルを引き寄せて抱きしめると、あやすように背中をさすった。友人に襲われて恐怖に強張っていた体から、力が抜けてゆく。安心はしたが……ヴィクトールの意図が掴めない。 「君……ヘンゼルくんの友人の君。せっかくだからみておいきよ。せっかくのショーを見れなかったんだろう? あんなものよりももっと淫靡で美しいものを見せてやろう」  ぎち、と自分の肩を抱くヴィクトールの手に力が込められたのを、ヘンゼルは感じ取る。恐る恐る顔をあげてヴィクトールの表情を伺ってみれば……恐ろしく静かな激情がその瞳の中に燃えていた。口は確かに笑っている、しかしその目は怒りに満ちている。視線の先にはテオが。 「ドクター、その子、拘束して」 「はいよ」  ヴィクトールが冷たい声でドクターに命じると、ドクターは連れていた謎の生物の首輪を繋ぐ鎖をパシリとしならせる。そうすればその生物はまっすぐにテオに向かっていき、その触手であっさりとテオを拘束してしまった。 「ちょっ……ヴィクトール……!」 「そんなに慌てないでよ、ヘンゼルくん。大丈夫、君の友人だ、酷いことをしたりはしない。まあ、もし君の友人じゃなかったら――殺してやるけど」 「……っ、ま、まって……やめてくれ、テオは……」 「だから、あくまで今からやるのはヘンゼルくん、君へのお仕置き。僕が今から手を下すのは、あの子じゃなくて君だよ。君が誘ったんだろう? ねえ?」 「……ッ」 (コイツ、俺が嘘をついたってわかっている……)  ヴィクトールはどこから二人のいざこざをみていたのかは定かではない。しかし、ヘンゼルがテオをかばって嘘をついたのを見抜いているようにしか思えなかった。ヘンゼルのなかではヴィクトールがなにをしようとしているのかが全く予測がつかなくて、ただ、彼からにじみ出る怒りの感情に怯えるしかなかった。 「君、……テオくん、でいいのかな。ヘンゼルくんのことが好きみたいじゃないか」 「……おまえ、誰? ヘンゼルを返せよ……」 「僕はヴィクトール。トロイメライの団長をやっている。ヘンゼルくんは契約しちゃったから返せないなぁ。……もっとも、もうこの子は、君の知っているヘンゼルくんじゃない。返したところで……君のことなんかもう見向きもしない」 「あぁ? わかんねぇだろ、お前らの中で輪姦したとかそういうこと言ってんだろうけど、そんなの関係ない、俺はそいつとずっと長い間一緒にいたんだ、絶対に俺のものにしてやるよ」 「はっ……いいねぇ、若いって青くて目が眩む。恋をこじらせるあまりめくらにでもなったのかい? この子は君のものになんかなりやしない。そんなの少し話せばわかっただろう? ヘンゼルくんは、もう違う男のものになっているよ」  ヴィクトールはヘンゼルの体をぐいっと反転させると、後ろから抱くようにして、ヘンゼルの顎を掴む。 「……さあ、みせてやろう。君の恋い焦がれた美しい人が、僕に染まりきった、その姿を」 蛇が這うように、邪で情念に溢れたヴィクトールの言葉がヘンゼルの脳内に入り込む。 決して声を荒らげいているわけでもなく、語彙が歪んでいるわけでもなく、それなのにヴィクトールが赫怒(かくど)しているということはすぐにわかった。  ヴィクトールがヘンゼルのシャツの隙間から指を差し入れ、一気にボタンを引きちぎる。乱暴なその動きに、ヘンゼルは自分の顎を掴むヴィクトールの手を掴んで、震えていることしかできなかった。 「テオくん……みえるかい、ヘンゼルくんの身体にいっぱいついた、僕の愛の刻印」 「……ッ」  テオが目を見開いた。ヘンゼルの身体に目を覆いたくなるほどについた、鬱血痕。白い肌に散るそれらは、ヘンゼルが何をされていたのか、ということをはっきりと証明している。いままで性的なこととはほぼ無関係であった友人の胸元にそんなものが大量についていて、テオはショックと驚きと、……小さな興奮から目を逸らす。 「……ヴィクトール、まって……」 「ヘンゼルくん……これは君へのお仕置きだよ? 君に抵抗する権利はない」 「……、……あっ……」  ヴィクトールがヘンゼルの首筋に吸い付いた。  やっぱりヴィクトールは自分のことなんて玩具としてしかみていないんじゃないか。テオに言われた言葉を思い出しながら、ヘンゼルは唇を噛んだ。ヴィクトールが何を考えているのかわからない、こんな風に人前で弄ぶなんて、ただ愉しくて身体を弄っているだけなのかもしれない。 「ヴィクトール……やめ、テオの前で……なに、考えて……」 「君が僕のものだってことを、あの愚かな男に教えてやるんだよ」 「……なにが、おまえのものだ……俺のことなんて、ドールの一人としてしかみていないくせに」 「……? 何、言ってるの? あんなに言ったのに、わかってくれていないの?」 「……!」  ヴィクトールの手が、朝つけられた痕をなぞる。そうすれば、ヴィクトールの唇から吐かれた言葉の数々を思い出す。抱かれながら囁かれた愛の言葉が蘇る。 「……僕は、君のことが好きだよ、愛している。だから、誰にも渡さない、君に触れる者は許さない、僕だけに独占させて……ヘンゼルくん、愛している、愛しているよ」 「……ぁあっ……!」  またひとつ、痕がつく。そこではじめて、ヘンゼルはヴィクトールの中の悍ましいほどの独占欲に気付いてしまう。胸に散る紅い花弁は、彼の独占欲と愛の証。またひとひら、ひとひら、増えてゆくそれに、なぜか身体は歓喜に燃え上がる。首筋に走る痛みから、あまりにも甘い熱が産声をあげる。

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